8話 ヨゴレ

 施設の『あそび』部屋には、ボールプールなどがある。さらに、アスレチック、トランポリンもある。『あそび』は自由時間とは違い、指定された遊具で遊ぶ。

 私はボールプールに身をうずめる。隅に行き、壁に身体を押しつけ、たいようの子らがどのような行動をしているのかをぼおっと見る。私が座ると、だいたい腰あたりまでボールが来る。座って、足を伸ばし、身体が触れる感覚を楽しむ。

 ボールプールでは、利用者の大人も子供も交ざりあって、遊んでいる。あそびでボールプールに行ったときは、私はいつもここで彼らの様子を見ていた。同じかぞくか違うかぞくかはわからないが、ボールを投げ合っている。ちょっとしたアスレチックになっているところでは、ボールを入れる穴があって、そこに人々が色とりどりのボールを入れている。

 しばらくそこでじっとしていると、ずっと一人で遊んでニコニコと笑っていた少年が、おもむろに私の方へ来た。よく見たらそれはケイだった。初日の夕食で罰を受けていた少年だ。

 彼は私に近づいて、しきりに私の方を見る。私は座っているから、私がケイの顔を見るには見上げる必要があった。

「ケイさん、どうしましたか?」

「ああ……名前、覚えててくれたんだ」

「ネームプレートに書いてあるので」

「……一人じゃつまんなくないの?」

「つまらない、おもしろいで考えたことがないです」

「ふーん、変なの。無表情で座ってるだけなんて。来なきゃいいじゃん、こんなところ」

「あそびは、施設の活動の一種なので、できるだけ参加する必要があります」

「ああ、そういうの。でも、みんなと一緒に遊んだ方がいいんじゃない? 複数人で遊んだ方がいいよ」

「……話しかける余地がなく、また、一人でこうしていても楽しいので。では、あなたはなぜここに一人でいるのですか?」

 私が問うと、ケイは顔をしかめた。

「みんな嫌ってるからだよ、俺を。見たらわかるだろ?」

「わかるために、今から見ます」私はケイの顔を観察する。彼の目は私をにらんでいる。しばらく見たが、彼が多数派な少年の顔だということしかわからない。あえて言うなら、少し顔が丸く、耳が長い。

「は? なんだよ気持ち悪い……やめろ」

「わかりました」

「はぁ……なんでここに来ないといけないのか、知らないのか?」

「規則は守らないといけないので……」

「ここに来て、楽しそうにしないとポイントがもらえないからだよ」

 ケイは突然振り向いて天井を見た。私が黙っていると、「見なよ」と言われたから、天井を見た。天井からカメラのようなものがぶら下がって、カメラの下方が赤く点滅している。

「あれがあるところはポイントが貰えるところだ」

「あまり気にしていませんでした」

 私が言うと、ケイは私の方をむき直して言った。

「お前って、何がきっかけでに『トリ』に来たの? 『ヨゴレ』? ――ああいや、なんか事件起こして来た?」

「はい。そうです」

「やっぱり……」

「見ただけで理由が分かるのですか?」

「同類は」

「つまり、あなたも事件を起こし、それを取り上げられてここに来たということですか?」

「……まぁ」

「あのとき、人を殴ったからあそこに立たされたことと何か関係が――」

 ケイは私の腹を殴った。だから、私は言葉を言い終えられなかった。殴ったとはいっても、私とケイには極端な体格差があったから、痛みはない。

「……?」

「っ……」ケイは私から一歩引いた。

「どうしましたか?」

「告発するか……?」

「何を告発するのですか?」

「……いや、特にない。何もない。ただ、アレが来ただけだ」

「アレとは?」

「アレが来たら、もう抑えられなくなって、手が出て、そうしたら、また食事を抜かされて、イライラして……」

 アレと言ってぼやかしているが、私にはわかる。

「私も、恐らくあなたが言うそれのせいで、ヨゴレというものになり、来ることになりました」

「お前にも来るのか?」

「そんなに頻繁には来ません」衝動性、他害――施設は、私のそれをこのような語彙で表した。その語彙が完全に私の特定の性質を示しているかは分からないが、一般に認められるものであるのは確かだ。

「ふーん」ケイは何かを言おうと口を開けた。だが、

「はーい、レクリエーション終わり! みんなと楽しめたかな? では、帰りましょう!」

 と、職員が停止の合図を叫んだから、ケイは話すのを止めた。他の利用者たちはあそびを止め、それぞれのおうちに帰っていく。私も帰ろうと立ち上がると、ケイはふっと息をついて、そさくさと帰っていった。


 自由時間、私はふらふらと施設の運動場を歩いていた。運動場のトラックを何周か走って、疲れを取ってから、人がいないような場所を歩いてみようとふと思い、人が少なそうな建物の裏や細い道などを歩いた。

 おうちの建物の裏側は、他とは違った雰囲気がある。地面は雑草が小さく生えていて、太陽はおうちの高い建物に遮られ、いつも日陰になっていた。そこに蛇口があるのを発見し、私は水を出して飲んだ。走って喉が渇いていた。生ぬるいが、水分さえ取ればじゅうぶんだ。水を飲んで、口を拭き、ふと横を向くと、一人の少年と、複数人が向き合っているのを発見した。

 よく見ると、一人の少年はケイだった。集団の方は、真ん中に一人、身体が一回り大きな少年が前に出ている。

「おー! ヨゴレ! 今日も臭うぞ!」その少年がニヤニヤと笑いながらケイを罵倒すると、後ろの利用者たちは笑顔で鼻を覆った。臭い、臭いと、複数人がヤジを飛ばす。

 ケイは俯いて、何も話さない。

「今日は、ヨゴレを浄化しにきました!」少年が笑みを浮かべた。

「はーい、聖水!」

 後ろに控えていた少女がバケツの水を勢いよくケイにかけた。ケイはそれを一身に受ける。全身が水に濡れ、身体を震わせた。

「あれー? ヨゴレが落ちないよー?」

「ヨゴレはヨゴレってこと?」少年たちは笑いあった。

 ケイは水を振り払わず、ただ少年たちをにらむ。

「なに? イライラする? じゃあさ、殴れよ。そんなイライラするんなら、また殴ってみなよ。ヨゴレ野郎なら人を殴っても心が痛くならないんだろ? だったら――」

 私は少年が言い終わる前に彼らの間に割り込んだ。彼らの方を向く。真ん中の少年は目を細めた。

「お前……」

「名倉光といいます」

「そんなのどうでもいいんだよ! そこをどけろ。今、ヨゴレを浄化してるところだからさ」

「あなたたちが行っている行為はするべきではないので、どきません」

「てめぇ、ちょっと身体がデカいからって調子乗るんじゃないぞ!」少年は私に向かってきて、手首を掴んできた。乾燥してカサカサしているが、母親のそれとは違い、よく外で遊んでいる人のような肌だ。硬い肌が産毛から刺さって痛い。さらに、なま暖かい感触がゾワゾワと私の肌を刺して、私はその手を振り払った。

「うわっ!」

 彼は足をよろめかせて尻もちをついた。彼は一瞬顔を俯かせたが、袖で目元を拭うと、すぐさま立ち上がり、私をにらむ。

「たしかさ、お前もヨゴレだよな……ツバサくんから聞いたよ? 彼、すごく純粋だからさ、お前が犯罪者のカスってことに気づいてないんだな。かわいそうに」

「逮捕されただけでは犯罪者にはなりません」

「うるさい! 死ねよ、犯罪者なんか全員死ね!」

 死ね、というのは比喩だと思う。人殺しという罵倒が実際には人を殺していないことが多いのと同じように、死ね、というのも実際には死んでほしいと思っているわけではないと類推する。

 堂々たる真ん中の少年とは違い、後ろにいる少年少女は、私を見て顔を不快な色に歪ませていた。

 私が黙っていると、少年の後ろにいた一人が、彼に耳打ちした。すると、彼は頷いて、「もう行こう」と、言った。そうして、

「偽善者」

 と、私に言い捨てて、他の少年少女をつれて去っていった。

 彼らが完全に見えなくなったのを確認してから、ケイを見ると、彼は私をにらんでいた。まだ全身が濡れている。放っておけば風邪をひくだろう。

「シャワーを浴びにいき、着替えた後、職員にあの人たちからどのようなことをされたのか説明するのが適切です。必要ならば、私が証人になります」

「シャワーは浴びるけど、話すのはいらない」

「どうして?」

「意味ないから。前も話した。でもヨゴレだから仕方ないって」

 彼がそう言うのなら止めるべきではないだろう。私は頷いて、帰ろうとすると、ケイが呼び止めた。

「なんで助けたの? 反抗したら、もっと目をつけられる。お前じゃなくて、俺が。お前のせいでアイツらがもっと酷くなる」

「人がいじめ行為を受けていた場合、止めさせるべきだからです」

「いい迷惑。我慢しているのが一番いいんだ」

「ならあなたがいじめられていたのを発見したつど、私がかばいます」

「別にいらない。お前が悪いとは言ってない。元はと言えば俺が全部悪いんだから……」ケイはもごもごと独り言をする。「そうだ、俺が……アレを承諾しないと……」そう言って、走って去っていった。


 ケイが施設から卒業したという事実は、すぐ施設全体に広まった。彼がいなくなったのを、みんなが祝福した。施設は入所期間によって卒業する者もいるというから、たぶんケイはそれだろう、と、みんなが思った。

「やっとケイがいなくなったんだね! せいせいしたよ!」ナツミはおうちの畳に倒れこんで、座布団を枕にして言った。

「どうしてですか?」

「そりゃそうでしょ! だってあの子はずっと落ち着きがなくて、人に迷惑をかけ続けたんだもん!」しかも『ヨゴレ』だし。ナツミは言った。

「私もヨゴレなので、いなくなったらせいせいしますか?」

 私が言うと、ナツミは突然口早に言った。

「コウは別。ヨゴレっていう言葉は、みんなに迷惑をかけているヒトにだけ使うんだもん。コウは別に迷惑かけてないよね?」

 私は黙った。

「コウはいい奴だからヨゴレなんかじゃないよ! な?」ツバサも笑った。私は肯定も否定もしなかった。

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