6話 おはなし
その日は施設が騒がしかった。多分誰かがトラブルを起こしたようだった。部屋で朝食を取ったあと、『おはなし』のために部屋から出ると、廊下には職員たちが何人かいて、キョロキョロと警戒するように周りを見ていた。
「何かあったのかな……?」
「隣の部屋に人がいません。昨日は4人全員そろっていました」私は隣の部屋の扉が開いているのに気づいた。そこには人がいないどころか、荷物もない。
「あ、ホントだ……先出たのかな? それか、卒業?」ナツミも不審がって部屋を見た。
「そんなに突然卒業することなんてあるのか? それも、かぞくが一斉に」ツバサはナツミに質問する。
「うーん、たまにはあるんじゃないかなぁ……」
「……そろそろおはなしの時間なので、指定された部屋に行きましょう」私は時間を確認した。そろそろ行かなければいけない。
「うん。今日は他のかぞくと、『おはなし』だったよな」
私たちはそれぞれが指定された部屋に行った。
『おはなし』とは、利用者が特定のグループに別れて、提示されたテーマに沿った会話をしたり、絵本を読み合ったりする、たいようにおける主たる活動の一つである。グループは必ずしもかぞくに限らず、バラバラになることも多い。おはなしは大学のグループディスカッションのような雰囲気があって、私はお気に入りだった。
私たちは男女ペアになって、ペアは椅子に座って向き合う。10ペアほどいる。私のペアの女性は、私がペアになったと分かるなり俯いたまま顔を上げない。胸元のネームプレートの名前欄には、マイコと書かれている。
「はあい。今日の会話のテーマは、これです!」職員が手を叩いてホワイトボードに書かれたものを紹介する。
『性欲について話しあおう どうすれば性衝動をおさえられる?』
「二人ペアになってるね? それじゃあスタート!」
性別は基本的に男女であり、二者は違う体験をしていることが多い。なので、それぞれの性の場合に基づいて話をすればいいと推察する。私は男性だから、男性固有の現象についてを話す。
「男性の性欲は、一般的には、性的な満足を得るための、肉体的な欲望です」
「あ、うん、そうだね……」彼女は少し顔をあげて頷いた。
「今回は多数派とされる異性愛者を前提としますが、男性は、異性、つまり女性の裸体やそれを連想させるもの、たとえば下着に性欲を感じると、男性の身体や精神に様々な変化があります」
「し、下着……?」
「大学の部活の同期がそう言っていました」
「そう……」
「身体の変化は、勃起、赤面、体温の上昇があります。精神の変化は、高揚感、興奮、支配欲などがあります。それによって、性衝動が起こることがあります」
「男性が性衝動を起こすと、しばしば犯罪行為に繋がり、社会的にも、個人間の心情としても、悪影響を与えます。なので、性衝動を抑えるために、様々な対策をしなければいけません。たとえば、個人的な対処としては、自慰行為をすることや、風俗店に行き、性的欲求を発散することが挙げられます。社会的な対処としては、法律の制定や、教育などが必要です」
「私からは、ひとまず以上です」とりあえずは一般的なことと、少し見聞に沿った内容を話す。
「……」マイコはずっと黙っていた。周りをよく見たら、どうやら黙っている人が多いようだ。たしかに、この話題は比較的にセンシティブだが、我々は職員にテーマを提示された以上、これについて話さなければいけない。
「話しあおう、という指示のため、あなたは話さなければいけません。そうしなければ……」
「あらー? そこの子たちはどうしておはなし、していないのかな?」
私が何かを言いかけると、左から職員の声がした。見ると、私たちではなく、一個左のペアに声を掛けたようだった。確かに左からは会話音が聞こえてこなかった。ペアの二人はどちらも俯いて、顔を赤らめている。
「これは重要なおはなしなんだよ? なんで二人とも喋らないの?」
「それは……」
「ちゃんと話してね。話さなかったらマイナス2点だよ。君、もうそろそろ落ちるよね、おやつ、食べたくないの?」
「……思い、つかなくて」
「慰めについて話したら?」職員は満面の笑みで少年に言った。「君ならおはなし、できるでしょう? もちろん、君も」職員は少女の顔も覗く。
「ええっと、僕は、毎晩……」すると、少年は自分の行為についてを話し始める。
「うんうん。良い子だね!」少年が話すのを聞くと、職員は他の場所に監視しにいった。すると、他の利用者たちも少しずつ話し始める。
「あー、まあ、みんな、話してるなら……うん、話す、ね」マイコは周囲をうかがって、話し始めた。
「うん……えっと、私は、ここに来る前に付き合っていた彼氏がいて、まあ、ここに来る原因になったんだけど、彼氏が性衝動を抑えられないから、私が奉仕してあげたんだ……そしたら彼、すごく嬉しそうにしてくれてて。すごく嬉しかったから、もっと奉仕してあげた。彼を支えないと、性衝動を他の人にぶつけると思って。だから、男性が性衝動を抑えるには、隣に適切な女性を置いておくのがいいと思います」
マイコは言い終わると、苦笑いをした。「あ、大丈夫かな……?」
「はい。おはなしは自分なりの意見を喋ることが目的だと推察するので、なんでも喋るのが重要です。しかし、男性の性衝動を抑えるのに女性の負担が必要であるという意見については、議論の余地があります。近代的な観点では――」
「……もう、止めていい?」
私の言葉を遮って、それきり彼女は喋らなくなった。このテーマは社会的に重要なので、話したいが、マイコは、最初と同じように俯いている。私も喋らないことにした。代わりに、テーマが書かれたホワイトボードを見たり、周りの話し声を聞いたりして、自分の中でこのテーマを深掘りする。しばらくして、職員がペアでの話を止めさせた。
「さて! 意見はまとまったかな? では、発表ターイム! 二人でどちらか選んで、発表者になってもらいましょう! 発表者にはたいようポイントがもらえるよ! がんばって発表しましょうね!」
発表者にはポイントが貰えるということは、初回のおはなしから承知していたが、職員は毎回その旨を話している。
「……発表」マイコはボソボソと呟く。
「はい。どちらにしますか?」
私が言った途端、マイコは身体を震わせた。
「あっ……コウがやって、いいよ」
「そうですか? 私としては発表をしてもしなくてもどちらでも良いので、マイコさんがしたければしてください」
「いや、私は……コウが、やって」
「わかりました」私はさっきした会話をまとめ、発表のための言葉を考える。
「さーて、順に発表していこうね-! まず、一番左のペアから!」
ペアがそれぞれが発表していった。私も発表した。他の者も性衝動について出た意見を言い、発表者はそれぞれポイントを貰い、おはなしは終了した。
おはなしでのペアはバラバラになり、それぞれのおうちに戻る。次は夕食まで自由時間だ。おうちへと歩いていると、ツバサの後ろ姿が見えたから、私は声を掛けた。
「ツバサさん」
「コウ? どうした?」ツバサは私の隣に歩く。
「今回のおはなしについて、あなたはどのような意見を述べましたか?」
「――ああ、コウも違和感に気づいたのか」
「違和感?」
「わざわざ男女ペアにして、話しづらいテーマを話させる違和感だよ」
「私は単にツバサさんがどのような意見を話したのかを聞こうとしていました。さっきの言葉に反語の意味はありません」
「え? マジ? みんな気まずそうにしてたじゃん!」
「普段より静かだったように思えます」それを気まずいというのならそうなのだろう。
「そう、そこが違和感……っていうか、年頃の男女をペアにしてあんな会話させるのはおかしいだろ!」
「たしかに、考えに性差のあるセンシティブなテーマは、慎重に扱うべきです」
「学校では……性教育は男女別々でやってた。一緒にやったら、今回みたく気まずくなるからな。でも、ここは? そんな配慮があったか?」
ツバサに言われ、左隣のペアを思い出す。彼らは顔を赤らめ(顔を赤らめるというのは、たいてい恥ずかしいと思っているときに起こる現象である)、職員にポイントをマイナスされると脅されセンシティブなテーマに関する話題を無理に話させた。恐らく、気まずくならないようにする配慮はないだろう。
「まあ、だからなにってわけじゃないけど」ツバサは言った。
「――ところで、ツバサさんはどのような意見をしましたか?」会話が一段落したようだから、別の話題を出す。
「え? うーん、そりゃあ、保健の授業で習ったようなことを、そのまま言っただけだよ」
「わかりました」
ツバサはちょっと間を取ってから言った。
「もしかして、ナツミにも聞こうとしてたのか?」
「はい。いろいろな人に聞きたいです」
「ナツミには、というより、女子にはそういうのは聞かない方がいい」
「わかりました」
「理由はわかるよな?」
「わかりません」
「……小6男子が成人男性に教えてやる。心配するな、俺はそういう知識に詳しいから。ダテに恋愛漫画読んでないからな!」
ツバサは私の背中に手を当てて、なぜ女子にこの種類の話をしてはいけないのかを説明した。男子がこのような話をすると、意図が不明で怖がられてしまうからだという。特に私のような大柄な男性は特に怖がられるから気をつけろとも言われた。
「わかったか?」
「わかりました」
「うーん、なんで俺が教えなくちゃいけないんだか」ツバサは苦笑いになった。
「では、代わりに私がツバサさんに何かを教えます」何かを与えられたら返すべきなので、そう言った。
「そんなんいいって! コウは面白いし」
「そうですか」
「ああいや。じゃあ、コウに一つ聞いていい?」
「はい。かまわないです」
「コウって……寝付き良いよな?」ツバサは顔を俯かせて訊いた。
「はい。よく言われます。しかも、寝るべきときに適切なな時間眠っているので、適切な時間に起きることができます」
「そっか……ハハ、ああ! ちょっと聞いてみたかっただけだよ、ごめんな」
ツバサは苦笑いをして頭を掻いた。
ツバサに言われた通り、ナツミには今回のおはなしの内容について話さなかった。だが、ツバサの言葉がずっと引っかかる。寝付きが良いかどうか聞いたのは、単なる雑談で、そこに意図はなかっただろうか。思わせぶりな笑い方も含め、どこか府に落ちない。
その日の夜、一応眠ったが、夜中に目覚めた。何か、物音がしたからだ。起き上がって横を見ると、ツバサがいなかった。反対を見ると、そこには普段通り眠っているナツミと、その奥にツバサが立っていた。
ツバサが眠っているナツミを見ている。立ち上がって、見下ろしている。表情はよく見えない。
「どうしましたか?」
「……コウ?」ツバサは狼狽したように甲高い声を上げたが、すぐに口を押さえ、声を小さくする。「はは、珍しいね、こんな時間に目覚めるなんて」
「何かをしようとしていたのですか?」
「……いいや。何でもない。ただ単に、ちょっとなくし物を――探していただけ。でもさっき見つけたから大丈夫……トイレ行ってから寝るわ」ツバサは早口で言うと、そさくさとトイレに行った。
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