5話 生活
「コウ、コーウ!」
ナツミは私に呼びかけていた。私は部屋の中心で立っていた。ここは自宅ではない。ここは『トリ』で、さっきのは単なる記憶の反芻だ。「コウ、大丈夫?」ナツミは私の顔を覗きこんだ。彼女はしきりに瞬きをしている。私は彼女を見つめて、平気なことを示すために頷いた。
「落ち着こうとしてた? それか、何か思い出してた?」
「後者です」
「そっか」ナツミはそれだけ言って、笑顔を取り戻した。「今は自由時間だからさ、中庭、行こうよ! 遊具がいっぱいあって楽しいよ! リフレッシュにもなるし。ツバサも、行こう」
「え? あ、そうだな……」ツバサは目を白黒させて、狼狽える。
「二人が行きたいのなら行きます」
「行きたい! 行こう!」
ナツミが先導し、中庭まで歩く。他のかぞくは、室内で遊ぶ者や、外に行く者など、様々だった。
さっきの反芻が起こったのは、見知らぬ場所に移動したことによるストレスと、似た状況になった人を目撃したからだろうと思った。身体的な異常や反芻が起こるのは、いつも複数の要因が重なったときだ。
そんなことを考えていると、ツバサが声をかけてきた。
「コウ……さっきの、本当に大丈夫なのか? ずっと、ぼーっとしてて、呼び掛けても反応しなかった」
「さっきのものは、記憶の反芻です。それが起こっているときは鮮明に記憶を思い出しているので、声を掛けても返せないと思います」
「それ……治るのかな、ここで」
「わからないです」
「ここってそういう場所だろ? 病気? か何かを治すんだろ?」
「そう」ナツミは我々に歩幅をそろえて横に並んだ。「『あそび』とか、『しごと』、『おはなし』を通して、社会生活ができるようにするんだ。でも、基本的には『かぞく』で協力して治していくんだよ」
「私の症状は先天的な特性なので、根本的には治りません」
「マシにはなるでしょ?」私はコウみたいな子に何人か接してきたから、わかるよ。きっと和らぐよ。と、ナツミは言った。
「そうできたらより良いと思います」
「じゃあ、コウはどんなことに困ってるんだ?」ツバサは言った。
「……うるさいとき」私は無意識に口に出ていた。「声や刺激がうるさいときに、パニックのようなものになります。そうして、しばらくしたら治まります」
「……?」ナツミとツバサは首を捻って黙った。
「対処法はあります。逃げることです」
「じゃあ、それをすれば、問題ないんじゃないの?」ナツミは質問した。
「しかし、逃げることを阻むものがいます。私はそれへの対処法を知りません」
「阻むものって?」
「私が逃げるのを静止する人や、私の動揺です」
「どっちも取り除けばいいの?」
「それさえできれば、あとは自分で対処できます」
「どうすればいいんだろ? それを取り除くの」
「それをここで探していけたらと思います」
「……そうだね! 私もさ、前のかぞくの子達にいろいろ助けられたんだ」
私はナツミの前のかぞくの一人を知っていた。マメだ。我々は上靴から外靴に履き替えて、運動場に出る。駐車場から運動場への階段を降りる。外では、利用者が遊んでいた。
「うん。今は職員になって、ここで働いてる――あ、マメちゃんだ」ナツミがマメの方を向くと、マメは走ってこちらへ来た。
「ナツミちゃーん!」マメは満面の笑みで、ナツミに抱きついた。「久しぶり!」
「久しぶり! マメちゃん!」ナツミも笑顔になって抱きつく。抱きつくのを止めて離れても、まだ笑顔のままだ。
「こうやって対等に接するのは……久しぶりだね」
「職員のお仕事は上手くいってる?」
「うん! 最近やっと一人でいろいろできるようになって……まだまだ半人前だけど、頑張ってるよ! 私も休憩時間だから、一緒に遊ぼう」
「うん! 新しいかぞくの二人も一緒でいい?」
「もちろん!」
私たちはそれぞれ名前を紹介しあった。それから、どの遊具で遊びに行くかの話になった。
「ジャングルジムに行こう!」ナツミは遊具を指さした。運動場の一番端にある。
「おっ、春休みぶりじゃん! コウでも登れるやつかー?」
「うん、施設の遊具は全年齢対象になってるから、みんなが使えるよ」
「おっけー! 俺が一番乗りだー!」ツバサはジャングルジムへと走る。「あっ、ずるーい! 私が一番乗り!」ナツミも少し遅れて走りだす。
私もついて行こうとすると、マメが呼び止めた。
「話してみたら、思ったより大丈夫そうでした。話を聞いてくれてありがとう」
私は頷いた。感謝の言葉を言われたときは、とりあえずそうすることにしている。
「彼女とマメさんは、仲がいいようです」
「うん。ずっと一緒に遊んできたからね」
「遊びに行きますか?」
「もちろん! さあ、行こう、二人が待ってるよ?」マメは他の職員かのような、子供をあやすような口調で言った。
ジャングルジムに行くと、ナツミとツバサが待っていた。「そろそろ登るよ-!」
ナツミはジャングルジムの入り口に入った。
「登ったほうがいいですか?」
「登ってくれないのー?」
登らなければいけないと解し、私も入り口に入る。大人の男でも入れるように間口が広くなっている。
「ここ進もう!」ナツミは輪っかのアスレチックを這って進む。ツバサが彼女に続き、私も進む。私も進んだ。最後まで進むと、巨大なすべり台があって、前の人たちが順々に滑っていた。ナツミ、ツバサが「ヒャッホー!」と言って滑っていった。私は後ろを向いた。マメがそわそわした感じで待っている。私は座って、滑った。風が通り抜け、涼しかった。あっという間に地上へと降りた。
私たちは自由時間中、遊びほうけた。ジャングルジム、鉄棒、シーソー、鬼ごっこ。3人とも楽しそうに遊んだ。施設へ行く手続きが済むまでの三ヶ月間、自宅謹慎を命ぜられていたから、こうやってちゃんと外に出て身体を動かすのは久しぶりだった。
「そろそろ時間だよー! おうちに帰ってねー」職員の一人が拡声器で呼んだ。チャイムも鳴って、そろそろ帰らなければいけない。
「おー、そろそろ帰ろう!」
「えーマジかー。まだいたいなぁ」
「時間外までいてたらヤバいんだよ! 職員さんが怒っちゃう」
「それは怖い! 早く帰ろう!」
「私もちゃんと違反した人に怒れるようよう頑張らないと!」マメは独り言の声量で意気込む。
「マメはこれからどうするの?」
「仕事に戻るよ」
「がんばって! あと、一緒に遊んでくれてありがとう!」ナツミは笑いかけた。その後、思い出したように言った。
「ああ、そういえば、なんで突然話しかけてくれたの?」
「えーっと、コウくんが、アドバイスしてくれて……もっと、利用者の方々と対等に関わってもいいかなって思って!」
「コウが? きっとすごい良いアドバイスをしたんだろうなあ」
アドバイスと呼べるものはしていない。ただ、話を聞いただけだ。だが、話すだけでも、本人の考えがまとまるのはよくあることだ。
おうちに戻り、私たちは指定の時間に眠った。それからしばらくの間、施設での生活や作業を通して、施設での生活について、ナツミから教えてもらった。生活については、『かぞく』の『おにいさん』『おねえさん』から教わるシステムになっているという。我々もいつかは『おにいさん』になるから、知っておかなければならないと言われた。レクリエーション、何かのアンケートか、テストのようなものを受け、就労支援のための作業時間と、それから、自由時間。そうやって、一日を過ごす。
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