4話 反芻
私は取調室の椅子に座っていた。警察が対面に座っている。私は、『他害の可能性がある』として、取調室でも手錠をかけられ、椅子に腰縄をくくりつけられていたので、身動きがとれなかった。
「で、君はなんで人を殴っちゃったわけ? 殴っただけじゃなく……小一時間も暴れ回って」
私は状況を知らない。確かに私は人を殴ったが、理由がわからない。彼に何かを言われ、衝動が沸き、そうして殴った。しかし、彼に何を言われたのかも覚えておらず、そうして起こった感情がわからない。だが、殴ったり、暴れ回ったのは本当だ。私はこのような状況で言うべき言葉を知らない。私が黙っていると、彼は机に置かれた紙面を見て、半笑いになった。
「ああ、そうか。君は……ははっ、いい大人なのに、言語を使って説明をするのが……苦手、なんだっけ? ゆっくりでいいから、言ってみなよ。どんな答えでも怒らないから」
私は考えるために、立って、歩き回りたかった。考える必要があるときは、いつも歩きたくなる。さらに、パトカーに乗ったせいで酔って、気分がよくなく、言葉が思いつかない。私が黙っていると、彼はあからさまにイライラしはじめた。私は何かを言わなければならない。起こったことを早急に思い出す。――仕事をして、疲れていて、人がいた。それで殴った。……そうだ。
「そこに人がいたから」
私が言うと、彼は一瞬、虚を突かれたように真顔になった。周りにいる他の警察も、動くのをを止める。彼は語気を荒げた。
「殴った結果、偶然その人が死んでも、同じことを言うのか?」
「はい。私の行為は同じなので、相手がどのような状態になっても、変わらないです」
「なぁ……そんなの、無差別殺人鬼の論理と変わらんだろ。殴られた相手がどう思ったか、わかるか?」
「悲しいと思います」一般的に人は殴られると、悲しい気持ちになる。
彼は突然立ち上がり、机を叩いた。
「悲しいと分かってるのに、殴ったのか? 人がいたから?」
私は上を向いて、彼のしわの寄った眉間を眺めると、彼は狼狽えたらしく、ゆっくり椅子に座った。彼は腕を組んで胸をはった。
「はぁ……ああ、まぁ、お前みたいな、最初からオカシイ奴がオカシイことをしてもさ、起訴とかはないし、刑務所に行く必要はないよ? 栄養補給施設――『トリ』とか言ったっけか。それか、座敷牢、じゃなかった、自宅留置……つまり、『おうちケア』があるからさぁ」今時刑務所もいっぱいいっぱいなんだから、本当にヤバい奴なんか入れてられないよ。彼は小さく口ずさむ。
「施設とは?」
「最近ニュースでよくやってるだろ? 人様にメーワクかけるような奴とか、虐待されて精神が曲がった奴とか、お前みたいな奴とか、つまり、社会で生活できないような奴らを集めて、『栄養補給』をするんだ。そしたら人様と同じにになれるってわけ。結構前衛的な薬物実験もしてるらしいから、死んでる奴も多いみたいだけど。まぁ、人様に貢献してるから、いいよな」
「そう思います」人に貢献することはいいことだから、彼に同意する。
「こういうのはさ、お前、こんな感じなら、今も保護者いるだろ? 成年後見人でもいいけど……まぁ、親がどっちにするのか、全部決めれるんだ」
「なら、両親を呼ぶ必要があります」
「施設に行くようなヒトなのに話が早いじゃないか。これは結構軽度なところになるのかな? ええっと、たいよう、とか言ったっけ?」
「私のこの特性は先天的なものなので、制御ができません。なので、どこの施設に行くのかもわかりません」
私の言葉を聞くと、彼は失笑した。
「このバカみたいに
私は早く帰って、一人で過ごしたかった。家でも、留置場でも、施設なる所でもいい。次に警察車両に乗るときは、酔い止めを飲もうと思った。
「それまで、この刑事施設で待ちますか? それか、家に戻りますか?」
「保護者が来て、ハンコ押したら家に帰れるよ」
「わかりました」
「親呼んどくからさ、それまではここにいといてくれや。あと一日過ごすくらいだから」
私は頷いた。
「じゃ、取り調べは終了ね。はい、戻って」
独居房に戻っても、私はしばらく何もせずに立っていた。その後、閉じられた扉の格子を眺めた。そこの格子が何本あるか数える。大体の本数を数えると、次は格子を一つ一つ、握った。もうすぐここを離れる事になるから、ここがどういう場所なのかを確認してみたかった。もし刑法のゼミに行っていたらこの場所も見学できたのだろうか? 私は中心を見てその周りを歩いたり、壁伝いに手を触れた。存分に歩き回ってから、床に倒れ込み、眠った。
人と会わない、この短い生活は、気楽だった。私は一日中、ずっと規則を守り、自由時間は壁や天井を見つめるか、独居房を好きに歩き回った。
次の日の昼、私は釈放され、外へ出た。久しぶりに思えたが、外は何も変わらない。高いビルと、人間たちでひしめきあっていている。留置場の前には、母親が立っていた。
「コウちゃん!」私を見つけると、母親は私を抱きしめ、頬をすりあわせる。「会いたかったよ~」
母親の力は強く、息苦しかった。彼女の肌は乾燥していて、それを押しつけられるのは不快だ。彼女の産毛と角質が頬を刺してくる。これなら無機物に拘束される方がいい。不快だったから、私は彼女を力ずくで突き放した。
「……は?」母親は、目を丸くしたあと、私をにらんだ。
「何なの、お前」
母親は私の両肩をつかんだ。そして、私を口早に罵倒した。
「母親である私の愛情を、そうやって、無下にして……あんたはずっと変な子だったのよ! 子供の頃は他人からの愛情を拒絶したり、一人遊びばかりして、学校でもいつも変な子で……診断はされてたけど、どうやって普通の子になれるかどうか考えて、仕事を斡旋してあげたのに、でも癇癪(カンシャク)起こして暴れ回って……人様に迷惑かけて、それを反省もせずに……!」
彼女の声は、高く、大きかった。はやく止めさせたい。
「あなたは本当は、拘置所で臓器提供を待つだけのただの人殺しなのに! 私は忘れてないからね、あなたが本当は、人殺しだってことを!」
「極端な思考は止めるのが賢明です」
「うるさい! 私はね、それ以前にあなたが人間かどうか疑ってるのよ。ただ見たものを覚えるだけのロボットなんかじゃないかって。いまコウちゃんが発している言葉も、暗記した言葉の組み合わせでしかなくて、そこに感情なんて何にもないんだって……。コウちゃんが私たちにさえずっと敬語なせいで、虐待してるんじゃないかって疑われたのよ? 私たちはこんなにもコウちゃんの事を愛しているのに! これも、コウちゃんが変な子のせいよ!」
母親はさらに矢継ぎ早に私の特性を推しはかる。診断名や診断基準など、専門用語を多用したが、中身がないように思う。しばらく私に何かを言うと、母親は突然満足したようで、いつもの微笑みに戻った。
「まあ、記憶力がいいことと、すごくいい大学を卒業したのだけが救いね。それさえなかったら、あなたを本当に人間扱いしていなかったかも。さーて、帰りましょう。パパが車停めてるから」
私たちは駐車場に行って、車に乗った。私が助手席に座った。父親がハンドルを握っていた。
「ごめんなさいの手紙、もうパパが書いといたから大丈夫! コウちゃんは何も心配することないよ!」父親は私の頭を撫でる。圧迫感があって不快だが、拒絶したらまた同じようになると思って、黙って従う。
「あの人も反省してるんだって。『そういう子』に対して言いすぎたって。……じゃあ、家に帰ろうか」
車は出発した。その間、両親は私を励ます言葉を繰り返した。3ヶ月の間に、施設か自宅留置かが決まるから、それまで家で待機していてね、その間はちゃんとお世話してあげるから大丈夫だよ、と。
家に帰ると、夜になっていた。やることがないから、夜の支度を済ますと、すぐに眠った。私が眠ろうと布団に入ると、母親が私の部屋の扉を開け、笑いかけた。
「愛してるからね!」
しばらく眠っていたが、喉が渇いたから目が覚めた。私は冷蔵庫に行こうと部屋から出て、リビングまで歩くと、リビングだけ電気がついていることに気づいた。また、両親がそこで、私について何か話していることも気づいた。扉が少し開いていたから、気づかれないように彼らの様子を見る。
両親がリビングの椅子に対面で座っていた。母親はパソコンを開けて画面を見ていて、父親は何枚もの紙類を見ている。彼らは私について話していた。母親はパソコンをにらんで言った。
「彼が留置場にいたとき、異常行動が見られたって」
「何をしていたんだい?」
「監視カメラの映像でさ、何時間も微動だにせず立っていたり、壁や床や格子に触れたり、ずっと天井を見つめていたり」
「コウちゃんはそこまで重症だったのか!」
「ええ、それはもう! ひどいわ! 小さい頃は大人しくて育てやすいと思ってたのに、今はただの無口で変な大男よ。あーあ、なんであんな子を産んじゃったのかしら」
「これからどうする?」
「ああ、やっぱり、どちらにするか考えないといけないね。自宅留置――おうちケアか、栄養補給施設――トリか。でも、おうちケアの場合、ね……」母親は父親にだけ聞こえるようにぼそぼそと呟く。父親は母親の言葉にしきりに頷いていた。
「しかも、お金がさ。見てよ、これ。ケアとトリの差」母親は父親にチラシを見せた。
「これは凄いな。ああそうか、ケアに必要なケアルームは特殊な維持費がかかる。しかも、面倒を見ないと捕まるなんて!」
「やっぱり、コウちゃんは手放すべきかな?」
「仕方ないだろう、ケアの場合、脱走してトラブルを起こすかもしれないし」
「せっかく育ててきたのに……かわいいコウちゃんを」
「また新しい子を育てればいいんだよ。また古典的な方法で産んだらああいう子が産まれるかもしれないから、里親募集している子を探してみようか。次はもっと普通の子がいいな」
「それもそうね! ああそうだ、施設上がりの子を探してみましょう。コウちゃんと同年代の子もいるみたいだし、施設で普通になれた子なんでしょ? ええっと、『うみ』で募集してるのね」
母親はパソコンをいじりだす。
「はは! それはいいなあ」父親は大きく笑って手を叩いた。
「ちょっとあなた! そんなに大きな声出したらコウちゃんに聞こえちゃうでしょ」母親は注意するが、顔は朗らかである。
「そういう君だって声大きいじゃないか。いいよ、コウちゃんは深く寝るタイプだし、鈍感だから気づかないだろ」
「それもそうね。どうせちょっとしたら施設に行っちゃうんだし、バレてもいいわ」
しばらく母親はパソコンをいじったのち、ぱっと顔を明るくした。「すごい! この子、とってもかわいい子なのにすごく安い!」
「ははは、安いって言ったらまるで売り物みたいじゃないか! 募金だって! カンパカンパ!」
「あっ、それもそうね! ともかく、本当に迷うわ~!」
私は布団に入り、眠らなければいけなかった。部屋に戻り、布団に潜る。しかし、目を瞑っても眠れない。天井を見る。高さが低いような気がした。張り紙の模様が私の目を刺す。太陽、雲、虹、海、笑顔。両親が貼り付けた、色とりどりな模様は、色彩が異様に激しく、集中を散漫にさせる。普段は気にしていなかったが、今は何故か気になる。段々と天井が低くなっていく気がして、息が詰まる。それはとどまることを知らず、天井が私の胴体を押しつぶした。
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