夢が棲む館

こでぃ

第1話 螺旋廊下

カビ臭い本棚から一冊一冊取り出し、表紙に付いた埃を手ではたく。

どうやらこの八重樫邸やえがしていの誰かさんは相当な濫読家だったらしい。二時間の物色の結果、夏目漱石や森鴎外などの今でも名を聞く小説や詩集、まともに読むことが出来ないほど昔の和綴じ本。「講談雑誌」と表紙に写された大衆雑誌から戦時中の新聞の切り抜きを張っただけのものまで、大学の図書館の四分の一にも満たない程の書庫にこれだけの量と多種多様の古書が詰め込まれているとは思いもしなかった。


「こっちは「新青年」?……わ、「江戸川乱歩」だ」


本の虫、という程でもないが読書と歴史においては少々明るいと自負している俺にとっては祖母の遺品整理作業の中では最も心が躍る時間だった。



「病院から連絡があってな。お袋が、おばあちゃんが亡くなった」


一人暮らしをしていた俺に受話器越しに父からそう伝えられたのは、通学路の横にくっ付く川の上で垂れ下がる枝垂桜がすっかり緑一色になった頃のことだった。

「おばあちゃんが亡くなった」とは言っても顔もろくに思い出せない程疎遠だった祖母の訃報をその時は何処か他人事のようにしか聞き取ることが出来ず、そうなんだ。と短く返事し、久しぶりの父との会話を終えて意識をテレビ画面に戻した後は翌朝に葬式の話を父から改めて電話されるまですっかり忘れてしまう程、俺と祖母との関係は希薄なものだった。


そんな俺がこうやって埃まみれになりながら二県以上離れた父方の祖母の家……屋敷の片づけをしているのには、さほど複雑な事情があるわけではない。


葬式から二か月経ち、明日から夏休みになってしまう日にまた父から電話がかかってきたのだ。

「おう、浩一」と耳から聞こえる父の声に混じってくる話し声から、どうやら仕事場から掛けてきているらしい。


「真昼に掛けても繋がったってことはお前、まだバイトなんかはやってないみたいだな、大学生ってのは気楽だねえ」


「……親父も元大学生だろうが、二浪の」


「すまんすまん、でも、私だって大変だったんだぞ。受験期だったっていうのに、大学紛争なんて面倒事が起きちまったもんだから、いつ志望の大学の受験が中止になっちまうかヒヤヒヤしたんだからな……おっと、そんなことよりも、だ」


ふーー、と深く息を吐く音が聞こえると、父はそのまま少し間を置く。こっちにまで紫煙が漂ってくるようで俺は思わず目を細めた。


「五月におばあちゃんが亡くなっただろう?葬式も四十九日も問題なく終わったんだが、大変なのは残った屋敷ほうさ、覚えてるだろ、おばあちゃんの家」


ちょっと待てと断り、思考を巡らせる。手を顎に添え記憶の隅角を潜ると、暫くして幼いころお盆に訪れた祖母の白い邸宅がぼんやりと浮かんだ。


「思い出したか?」と訊いてきた父に短く相槌を打つと「まあ、あんなデカい屋敷、よく住んでたなと思うがね」と焼けた喉で父が笑う。


俺の先祖である「八重樫家」は戦前までは代々林業や不動産業で富み栄えていたらしく、大正の最盛期にわざわざイギリスから建築技師を招いて西洋風の館に改装したものが、戦後すぐには零落してしまった今でも田舎に残っており、実質最後の「八重樫家」の当主だった祖父と祖母が何とか維持していたらしい。



「早い話、お前におばあちゃんの家……親戚連中は「八重樫邸」と言っているが、とにかくその八重樫邸の片づけ、遺品整理を頼みたいんだよ」


「こっちは仕事で手が話せんし、葬式の日に話した時もバイトはしてないって聞いてたからな。どうだ?」


宿泊費もバイト代も出すぞ。地方公務員の安月給からだがな。と苦笑する父からの依頼に俺は二つ返事で承諾した。

暇というのも遺憾ながら言い返すことはできなかったというのもあるが、何より、あの記憶の片隅から中途半端によみがえった寂れた田舎にポツンと置かれた緑屋根、白壁の八重樫邸に妙な郷愁の念というか、非人情的な魅力を感じてしまった。

それから一週間程。夏休みに入ってすぐに俺は電車でたっぷり五時間かけ祖母の故郷である「月波町」の最寄り駅へ辿り着いた。


運転手がホームと気づかずに通り過ぎてしまうのではないかと心配していまいそうになるほど小さくつくりも雑な駅のホームを抜ける。見回すとまず、駅前だというのに外が建屋や道路の灰色よりも山や草木の緑の比率が高いことに目がいった。

目の前にある数少ない人工物である錆びだらけのバス時刻表は今日はあと三時間後の一本しか出ないことをしらせていた。


空もすっかり茜色に染まるころにようやく屋敷の前まできた俺は、前もって父から送られていた屋敷の鍵を指す前に、まずゆっくりと屋敷全体を見回す。

北欧風の二階建ての家だが、二階の方が若干広いように見えるのが印象的だった。その白い壁の間には柱、はりを数多く外観に露出させ、その間の壁面をレンガや漆喰などで埋めている。

ドアの横に付いた「八重樫」の表札が無ければ、入るのを思わずためらってしまうほど見事な邸宅だ。

鍵を指し、少し硬い鍵穴を二、三度回し直して重いドアをゆっくりと開け、そろっと中を覗く。流石に日没前なこともあって目の前の玄関から不気味な雰囲気を感じる。


「たしか客室が一つだけ―――」


二階に四つある客室のうち、一つだけを葬式の時に帰省した父が一泊する為に使えるようにしたと言っていた。壁伝いに一つ一つの電気スイッチを探しつつ、十分ほど彷徨い何とか客室にたどり着いた。

当座に必要な荷物を一式取り出して一息つく。


「暫くは俺がこの屋敷のあるじってことかな」


一介の学生には不釣り合いな埃を被った調度品、とてもではないが使いきれない部屋数、怖いほど落ち着いた靴音響く館内、八重樫家というものがどれほどの隆盛を極めたのかは詳しく知らないが、これが末路というものだとしたら苦労してこの邸宅を気づいた先祖達は何を思うのだろうか、いさぎよしと苦笑するのだろうか、それとも嘆かわしいと顔をそむけるのか。


「くく、阿呆らしい」


死んだ人間からの評価を気にするほど俺は高尚な人間ではない。精々ホテルとしてこき使ってから、さっさと本来の身分に相応しいあのアパートのワンルームに帰ろう。

そう思いなら部屋の真ん中にあるベッドの上に仰向けになり、明日からの作業について思いをはせているうち、旅の疲労もあってか俺は直ぐに意識を落としていった。


翌日、使用人など勿論居ない館内を散策し、本当に夏休みの間に終わるのか不安になっていた俺が探検開始三十分後に開いたドアの先から香ってきたどこか懐かしいカビとインク臭が、最初の遺品整理作業の場を決めた。そこからの俺は整理とは名ばかりの夜に持ち込める本探しに精を出すことになってしまった。


「今度は「グスコーブドリの伝記」の初版!」


くるくると身体をひねり、感動を体と声量で表す。ここがいつも通う図書館だったらすぐに退館ものだろうが、今の俺はこの館の当主さまだ、少なくとも夏休みの間は。


「さてさて~次は」

手のひらを擦り、五つある本棚のうち一番左端の本棚に目をつける。気分はすっかりお宝物色中の探検家気分。

小脇に抱えた五冊の本束を足元に置き、本の背の確認もせず、片っ端から手に取っていく。だが、今度はどの本も厚みが無く、題も筆なんかで番号を記したものばかりだった。


「……アルバム?」


どうやら左端は全て「八重樫家」やこの屋敷についての記憶を記したものが安置されているようだ。 腰から上を写した名刺程の大きさの人物写真が五枚四行、所狭しと並んでいる。

その中から昭和一~十五とマーカーでつけられたアルバムを開き、白黒写真の関係も分からない人物像をパラパラとめくると、最後のページに張り付けられた八重樫邸をバックにした二十人近い集合写真が目に留まった。


正に昭和初期といったところだろうか、ロイド眼鏡、ハット、ステッキなどの小物まで目に付くまるでビクトリア朝の紳士のようなスーツ姿の男もいれば、時代劇さながらの紋付の袴を着た和服姿の者、果ては白い詰襟の軍服姿まで。男達とは対照的に皆模様こそ差異はあれど、全員が着物姿の女性達。ちょいと下膨れな子供たちを前にピンと正面を向く八重樫家の面々はいずれもまるで生気を感じないほどの無表情であるにもかかわらず、その背筋と見えない光を放つような眼差しは、なぜ八重樫家が大成を成したかを納得させるように見えた。


だが、それを見つめるのは俺という諸行無常の生きた見本であるというのはなんとも時の流れを感じさせる。戦後には零落していたということを父から聞いていたが、何故八重樫家はのか……。写真に写る人達は誰で、ドウいった関係なのか。名前は、血縁は、いつ生き、死んで、何をのだろうか。

ふつふつと意地の悪い興味が湧いた俺は、片っ端から棚の冊子を引き抜き、床に広げて赤黄色く光る硝子球がらすだまに照した。

既に確認した古書を積み、隅に避ける以外はすべておざなりにするその漁り方は最早遺品整理というよりかはていのいい墓荒らしといった様相だったが

「俺は当主だから」と勝手な免罪符の言葉を脳内で振りかざし、作業を続けた。



それからどれだけの時間が経ったのか、窓もない薄明かりだけの書庫で文字と白黒の眼球めだまだけを見ていた俺には分からない。ただ、本棚にもたれかけていた腰が五度程痛みを訴えかけたことは覚えている。

だが、腰を犠牲にした成果はあった。アルバムや地元新聞の切り抜きとの格闘の結果我が八重樫家の隆盛と、その先から黒い何かが俺の脳髄を刺激していた。

まず、八重樫家という存在を俺はまだ過小評価していたらしい。

隣の本棚の中に、「月波新聞」という地元紙の切り抜きが集められた冊子があり、その中で、「八重樫家」という名前は幾度も登場した。旧字体の漢字とそこに合わさる戦前特有の文法にえらく苦労したが、それでも如何に八重樫家の人間がこの土地に根付き、力をつけていたのかが理解できた。町長選挙に八重樫家の誰々が当選とか、御嫡男が誕生とかはまだいい、果ては八重樫家のお坊ちゃんが帝国大学に御入学だとか、家族旅行は何処に行くのかとかまで、その扱いは正にこの地を統べる王族といった所でその輝かしい記録は枚挙にいとまがない。


しかし、その記録はある時期に縄を切られたように消えてしまっていた。昭和十七年八月、ここから全ての情報が途絶えてしまっていた。「月波新聞」だけではない、アルバム、蔵書、大衆雑誌、全てが昭和十八年の夏頃までのものしかないのである。

急にこの資料を集めていた者が収集趣味に飽いた、というにはあまりにもサッパリとし過ぎている。収集できなくなった理由があるのか、それとも誰かがその先の時代の八重樫家の記憶を消し去ってしまったのか…………。

いずれにしろ「八重樫家」の衰退は徐々に腐り落ちていく没落貴族のようなものでは無かった。昭和十八年八月、この直前か直後に「八重樫家」という巨大な権力者をただの人へと変えた大きく、明確な「事件」があったに相違ない。少なくとも、俺はそう確信に近い感情を抱いていた。


ではその「事件」とは何だったのか。それも日付は昭和十八年八月の十日。俺が発見した中では最も新しい「月波新聞」の切り抜き記事がヒントを出してくれていた。

紙面の真ん中に写るパリッとした紳士服に身を包む左右両端を上にはねあげた八字型の口ひげが特徴的な老紳士が印象的なその記事の内容は。


「月波の偉人八重樫宗一郎薨去」


「甘九日午前零時三十分危篤に陥つた月波家現当主伯爵八重樫宗一郎氏は遂に同日午前五時十五分薨去した。享年六十三」


薨去こうきょとはまた御大層な物言いだが、冊子の端から端までを占領する当時の八重樫家当主の死亡記事はいかにこの地でそれが大きな事件であったのかがよく解る。

記事によると死因は腸チフスの悪化による衰弱死、「次期当主には宗一郎氏の嫡男

「八重樫恭介」氏が内定か?」とのことだ。

この記事が最後。どう考えてもこれから起こったであろう八重樫家破滅の凶事と無関係ではない筈だ。

いや、無関係どころか、これこそが元凶と考えるのが自然だろう。「八重樫宗一郎」「八重樫恭介」、この二人の名と姿、関係こそ今の俺を創ったに違いない。

しかし、八重樫家の家系図を先の調査で確認していた俺が疑問に思う点が一つある。

この次期当主に内定したと記事に書かれている「八重樫恭介」なる人物は俺の祖父では無い、ということだ。八重樫家最後の当主となっていたのは祖父「八重樫啓宗」で、戦後すぐには既に当主、というより屋敷を維持する立場にあったことは父から聞いていた。

つまり宗一郎氏の跡を継いだのは祖父の方であって、嫡男たる八重樫恭介では無かった。そうなるだけの事情か、出来事が在った。そして、跡目と成れなかった八重樫恭介は、一体如何なって、何処に行ったのだろうか。おそらく、それが……


興奮の汗が徐々に冷やされていくのを頬で感じた。俺はもしかして知らなくてもいい、ではなく知ってはいけないことを暴こうとしているのではないか。

父も、祖母も知らない……知ろうとしなかった。いや、それも定かではない。

知っていて俺には言わなかった?、隠したかった?いや、それなら父は最初から俺に遺品整理を依頼しなかったはずだ。少なくとも父は知らなかったし、恐らく知ろうともしていなかった。俺が生まれる前に死んだ祖父は、父に伝えなかった。伝えようとしなかったのか、それとも祖父も知らなかったのか。今となっては確かめる術はない。

遠いようで近い昭和十八年の夏。その時、何が起こったのか。そして、どうしてそれが俺を造ったのか。

今の自分、此処に居る自分は一体、何で出来ているのか。急に言いようのない不安感が体を襲い、身を震わせる。

今俺を支える埃積もった床板も、温かく柔らかな赤を放っていた電球も何処か頼りなく、責め立ててくるように感じてしまう。

 わ右手をあげて、自分が自分であること確認する為、顔を撫でまわしてみた。

「うん、俺だ。知っている俺だ」

 胸の動悸がみるみる高まり、早鐘を撞つくように乱れ撃ち初めた……呼吸が、それに連れて荒くなった。

もう、これ以上侵入はいるのは辞めた方がいい。ここから先は……。


小脇に抱えていた資料を捨て落とし、俺は書庫を足早に退出した。無論、未だ危険な興味は高揚を残していたが、それ以上に禁忌に触れようとしてしまったという背徳感が背中にまとわりついてきて、とてもあの場所に留まることは出来ないと思ったのだ。


今は一刻も早く自室へ、俺の持ってきた外界の物資を目につく場所へ寄せたい。

書庫の突き当りを左に曲がり、その先にある階段を昇って二階の客室へ……。

客室へ―――行けない。

歩けど歩けど、廊下の先から客室の扉が姿を現さない。

どうして……階段を上がった先はシャンデリアを飾ったラウンジのような場所で、それを過ぎれば、客室が並ぶ廊下に出るはずなのに……いつ迄も廊下が終わらない。天井で垂れ下がる電球だけしかない真っすぐの廊下を俺は、何時まで歩かされているんだ。扉が、それぞれ向き合う客室の扉たちが見えない。これは、最早、最早違和感などとうに過ぎている。前も、後ろも、視界の先は闇しかない。



それから十分か、一時間過ぎ、いよいよ俺は正気を疑った。

こんなことがあろうというのか。あったとして何故俺が……。

……知ろうとしたからか?いや、無理やり理由を付けるとしたら、それしか思い浮かばない。如何やら本当に俺は余計な事をしてしまったらしい。 

無限の空間を、ス――ッと垂直に、どこへか落ちて行くような気がしはじめた。臓腑の底から湧き出して来る戦慄と共に、我を忘れて大声をあげた……が……その声は正気を思い出させる間もないうちに、四方の壁と空間に吸い込まれて、消え失せてしまった。

 又叫んだ。……けれども矢張無駄であった。その声が一しきり烈しく波動して、渦巻いて、消え去ったあとには、二つの壁と、二つの空間が、いよいよ厳粛に静まり返っているばかり。

 又叫ぼうとした。……けれどもその声は、まだ声にならないうちに、咽喉の奥の方へ引返してしまった。叫ぶたんびに深まって行く静寂の恐ろしさ……。

 奥歯がガチガチと音を立てはじめ、膝頭が自然とガクガクし出した。

 俺は、いつの間にか喘ぎ初めていた。叫ぼうにも叫ばれず、出ようにも出られぬ恐怖に包まれて、部屋の中央まんなかに棒立ちになったまま喘いでいた。


気は確かのはずだ。そして、この廊下は確かに存在している。残念ながら、俺は俺の中では白痴にはなっていなかった。

それではこれは、この無限の廊下は一体どうしたことだろう。最早戻ったところで、ここが階段へ未だ繋がっているとはもう思えない。 そういう類の問題では無くなっていることだけは分かる。


とうとう疲労と無力感に耐えられなくなり、その場でうずくまってしまった。


誰か、誰か助けてくれ!いや、せめて、俺に靴音以外の音を、壁の白と、床のカーペットの赤以外の色を見せてくれ!

顔をクシャクシャに歪めながら、胸中に叫んだ時、ふと耳にトンと何かが跳ねるような音が届いた。

ハッと顔を上げ、 そこいらをキョロキョロと見廻わすが、何も見えない。

すると今度はトンットンッと一定間隔で跳ねる音が聞こえた。

それは丁度顔を上げたほう、廊下の先から聞こえてくる。俺は疲労で何倍と重くなった脚を何とか持ち上げ、またひょろひょろと歩き出した。

トンットンットンッ、軽く跳ねるような音は段々と違和感から実態を帯びるほどにはっきりしてくる。それが何かは見当つかない。たとえそれが恐ろしい怪物の足音だったとしても、俺の歩みを止める理由にはならない。

そうして何十歩か……ふいに、扉が現れた。

錆びついた、物々しい青銅色の扉。トンットンットンッ、音はそこから漏れていた様だ。

手すりのような扉の取っ手を両手でつかみ、グっと力を込めて引っ張ると、ギギッギと擦れるようにして、ゆっくりと開かれた。


そこは広さは三畳一間が精々の窓も何もない殺風景な部屋だった、特徴と言えるものといえば部屋の入口に残された敷居の跡と壁と天井を固めるコンクリの灰色ぐらいのもので、その様相は空虚と言って差し支えない。


部屋の真ん中に在った音の正体を覗いて。

ソレは大きさは俺の膝上程で、一部分がしきりに上下に動き、それが例の音を発していたのだと理解した。暫くその物体の正体を図りかねて眺めていると、ソレが動きを変えた。上部だけが動き、一瞬固まったかと思うと、俺の膝上程しかなかった物体は三倍はその体躯を縦に伸ばしたのだ。つまり立ち上がった。ヒト。矢張人だった。

そうして、人恋しい気分が何とかとどめるも、こんなところにいる人間の正体に恐怖し、後ずさろうとする俺を逃がさんとするように、その影は急速に俺の傍まで駆け寄って来た。

防衛本能で咄嗟に頭を護ろうと上げた両腕を掴まれた時、ソイツが放った言葉は既に正気を失いかけていた俺を完全に混乱させた。


「お兄サマ!、お兄さまですね!」







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