あの素晴らしい鉄板焼きをもう一度
その日私は、いつものように溜まったメールのタイトルをスマートフォンで流し見していた。ほとんどはメールマガジンで、開きもせずに読み飛ばす。もう止めてしまえば良いものもあるのだが、その手続きがどうにも億劫だし、一度は気に入って登録したものだと思うと情報を見逃すのが惜しい。そういうわけで、未読のまま削除されるメールマガジンは増える一方である。
今日もそんなメールばかりか、とスクロールしていた指がふと止まる。
“さようなら鉄板焼 17年にわたりご愛顧いただきありがとうございました”
不穏な文字列である。
開いてみるとそれは、かつて我々夫婦がまだ恋人関係であった頃に泊まった、栃木県那須にある宿からのものだった。
曰く、その宿の売りであったステーキハウスを辞め、ベジタリアン料理を提供する業態に変わるのだという。そのため、ステーキハウスの営業終了日までの鉄板焼きコース付き宿泊プランを、リピーター限定でお得な価格で案内している、とのことだった。
私はしばし、打ちひしがれていた。そのメールにも書かれていたように、食事の美味しい宿としてメディアにも度々取り上げられていたはずである。それをむざむざ手放すというのか。あの鉄板焼きを、もう食べられないのか。我々にとって思い出のあの味を。
我に返った私は、すぐさま我が夫に宿からのメールマガジンを転送した。夫もなかなかにショックだったようで、帰宅後に二人で話し合った。
我々夫婦は、主に私が連れ回す形ではあるが、美味しいものをそれなりに食べてきたと自負している。その中でも、「あれは美味しかったね」と繰り返し思い出す味の中に、この那須の宿の鉄板焼きは間違いなく入っていた。
客一組に対して、鉄板焼き用の個室が一部屋とシェフ一人が当てられる、贅沢な夕食。当時我々を担当してくれたシェフは、調理をしながら丁寧かつ気さくな接客をしてくれたのだが、驚いたことに弱冠二十歳の青年だった。その技術は確かで、肉は勿論、新鮮な高原野菜やキノコも絶妙な火入れで味わわせてくれ、本当に良い時間を過ごさせてもらった。
夫婦でそんな思い出話をし、顔を見合わせ、「行くか」となった。
そういう訳で、我々は一路、那須へと向かった。それは梅雨の最中の週末だった。近所で借りたレンタカーに乗る間、雨は強まったり弱まったりを不安定に繰り返していた。
数年ぶりに訪れた那須を少し見て回る。
那須はいわゆる、避暑地の一つである。土地が拓かれたのは比較的新しく明治の頃で、乃木希典や山県有朋ら華族が農場などを開発しつつ別邸を建てていった。那須の高原は当時の夏の平均気温が二十度前後であり、塩原には温泉が湧き、新鮮な農産物や酪農品も手に入るということで、昭和三十年頃には別荘地として注目を集め、現在に至る。
別荘ブームはとうに過ぎ去ったものの、東京から近いリゾート地としての人気はそこそこあるように思う。リニューアルしたばかりの黒磯の「道の駅」は大いに賑わい、隣に建つ華族の屋敷「旧青木家那須別邸」も綺麗に整えられていて趣深い。雨の降る森の緑は深く、道路脇には紫陽花も咲き乱れていた。古くからある景色の中に新しい店や図書館も建ち、それらが調和する土地である。
宿に着く頃には雨もおさまり、まずは部屋で一息ついた。清潔感はあるが、古さは否めない。コテージ風の部屋はガチャリと回すタイプの鍵でキーホルダー付き。玄関を上がれば小さなリビングで、キルトのカバーをかけられたソファが据えられている。勾配が極めて急な階段を登った先には布団の敷かれたロフトがあり、その天井には白い雲と青空の壁紙。以前の部屋はもっと古めかしかった記憶があるので、これでも改装はされているのだろう。いつのことかはわからないが。
そう、前回泊まった時も完全に食事目当てでこの宿を選んでいた。予約サイトに載せられた部屋の写真に不安を感じつつも、食事が美味しいとの評判を信じて宿泊した。その期待を大いに上回る美味しさと、写真で見た通りの部屋だったのを夫婦二人ともよく覚えている。今回の主目的も、思い出の鉄板焼きに別れを告げることである。
さて、貸切露天風呂で軽く汗を流してから、いよいよ夕食である。
かつて一組一室だったステーキハウスは広い食堂に統合され、特別感の代わりに開放感を手に入れた。変わらずシェフは一人付き、今回は寡黙だが物腰柔らかな老シェフが我々の為に腕を振るってくれた。
食前酒代わりに、とちおとめシロップのソーダ割りで乾杯。フレッシュな苺らしい甘酸っぱさが良い。
前菜として、高原野菜と生ハムのサラダと、ヴィシソワーズをいただく。シャキシャキと新鮮な野菜に、コク深くもさっぱりと飲めるヴィシソワーズが、食欲と期待を高めてくれる。
鉄板焼きのスタートは、青々とした小松菜と、こんもりと色濃い舞茸。それぞれが手際よくソテーされ、バターの香りと共にじゅわりと素材の風味が広がる。そのなんとも芳醇なこと。高級食材でなくともここまで美味しくなるのは、技術の高さと素材の良さの為せる業である。
続いて、太く立派なアスパラガス。これは前回も感動した一品である。こんがりと焼かれたアスパラはこの上なくジューシーで、臭みは無く、後味には甘みを感じる。私はアスパラがあまり得意ではなかったのだが、ここのアスパラで美味しさに開眼したと言っても良い。今回も絶品だった。やはりシンプル故の強さがある。仕上げの塩胡椒だけでも充分旨いが、自家製のニンニク塩をつけると、ガツンと殴られるような旨さに。
本日の魚介は、伊豆のメダイ。この肉厚な切り身をまたじっくりと焼き、大葉の香る味噌だれでいただく。これがまた良い。ふっくらと柔らかく、上品な風味。それに大葉の爽やかな味噌だれが素晴らしく合う。
モヤシやズッキーニなどの焼き野菜、口直しにグレープフルーツのシャーベットを挟み、メインディッシュはもちろんステーキ、那須和牛である。サーロインと赤身を、ミディアムレアに焼いてもらった。目の前でのダイナミックなフランベはお約束。これはもう、間違いのない美味しさである。外はこんがりと、中はほんのりピンクの残る柔らかい和牛。ニンニク塩はもちろん、甘みのある岩塩、醤油ベースのステーキソース、胡麻だれと、どれで食べても美味しい。そう、これを味わいに来たのだ。サーロインは甘くとろけるようで、赤身は適度な歯ごたえと旨味が抜群である。
〆にはパスタなども選べたが、ここはやはりガーリックライスである。醤油とニンニクの香ばしいガーリックライスは、ヘラでぎゅっと押し固めたせんべい状のおこげまで乗っている。一口ごとにしみじみ「美味しい」と呟きながら、いくらでも食べられてしまう。さきほどのステーキとの相性は言うまでもない。
嗚呼、つくづく、これが食べられなくなるのは惜しい。
そう口にも出してしまったが、老シェフは少し眉を下げて微笑むだけだった。
隣のテーブルの、もう少し饒舌なシェフの言葉に耳を澄ませてみたところ、やはり鉄板焼きというのはコストがかかるのだという。それでも頑張っていたものの、やはりコロナ禍がとどめになったようである。オーナーも苦渋の決断だったのだと、そのシェフはぽつりと言った。
だからと言ってベジタリアン料理とは振り切ったことをするものである。おそらくは差別化を考えてのことなのだろう。ともかく、こうして別れを告げに来ることができただけ良かった。業態が変わってから、あるいは閉業してしまってから知ることの方が、残念ながら多いのだから。
天井に頭をぶつけたりしながらロフトの布団で眠り、翌朝も食堂へ向かう。前回泊まったときの朝食はボリュームたっぷりの和定食のみだったが、洋食も選べるようになっていたので、そちらにしてみた。ここは前回の時点で、朝食の美味しい宿ランキングにも入っていたと記憶している。
この日の洋朝食も、素晴らしいものだった。温かいパンには、バターととちあいかのジャム。たっぷりのサラダには自家製の生姜風味のドレッシングがかかり、サツマイモのグラタンが熱々のとろとろである。ハムとウインナーの添えられたスクランブルエッグは、「那須御用卵」というブランド卵が使われ、実に濃厚な味わい。感動したのはミネストローネだった。トマトやベーコン、キャベツなど具材はシンプルながら恐ろしく旨味が濃く、ハーブの香りも相まって朝の胃の腑によく沁みた。
この洋朝食も、ベジタリアン料理になると様変わりしてしまうのだろう。もはやどうしようも無いが、やはり残念には思ってしまう。
とはいえ、我々は決して上客ではなかった。「また行きたいね」とは話しつつも、旅行先には行ったことのない場所をつい選んでしまうもので、リピーターになることは極めて稀である。この宿も今回が二度目で、そしておそらく、最後になる。そんな立場で言えたことでは無いのだろう。シェフが変わらない限りはベジタリアン料理もきっと美味しいのだろうが、我々は
“推しは推せるときに推せ”、とはよく言ったものである。飲食店についてはこの精神で積極的に通っているつもりだが、宿についてもそうなのだと、今更ながら実感させられた一件だった。
さらば、鉄板焼きの宿よ。その美味しい思い出と少しの後悔だけは、いつまでも私の胸に残るだろう。
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