ぐるりぐるり

 あれはやっぱり、死、だったのだろうか。

 そう思えるほどに先ほどまでの感覚はあまりにもリアルだった。それなのにまた、が始まった。

 人に聞いても時報を聞いても、今は間違いなく土曜日で、日付は俺が池袋駅で刺されたその日なのだった。

 埼京線で向かう用事は、本来いつでも良かった。だから俺は池袋駅に向かわなければ事件には遭遇しないはずで、死ぬこともないはずだ。だけど、英人は。

 俺はメッセージアプリから英人に『今どこ?』と送ってみた。

 直前にやりとりしたのは半年ほど前。俺と英人は、親友と呼べるほどもはや親しくはない。だけどこれまでに過ごした時間は誰より長い、いわゆる幼馴染というやつだ。母親同士の仲が良くて、互いの家に預けられたりして、中学に入るまでは「一緒に育った」と堂々と言える付き合いだった。けれど中二の途中から、英人は急に学校に来なくなった。

 英人はああいう性格なので、誰にも本音を漏らしはしなかった。それは俺も例外ではなく、しかしこれまでなら、英人を見ていればちゃんと何を考えているかわかるはずだった。でもクラスが離れ、部活が離れ、それだけで俺は英人を見失った。英人のお母さんに尋ねられても、俺は何も答えることができなかった。黒い髪を伸ばしはじめた訳も俺は知らない。

 それでもゆるくゆるく縁は繋がったまま、いよいよ高校が離れても、俺と英人は友だち、だと思っていた。そう思いたかった。半年前の連絡は、幼い頃に二人で計画したのがいつの間にか習慣化した、母の日のプレゼント選びの為だった。相変わらず英人は素っ気なかったけれど、俺たちはデパートで散々迷った挙句、色違いのスカーフを贈ったのだった。英人の表情の中で、だけは異常にわかりやすい。それがそのままだったのが、やけに嬉しかったのを覚えている。

 先ほどまでの光景は、俺がこんな風だから見てしまった悪夢だったのか。そう思い込もうともしたが、駄目だった。だから既読の印が付いたまま返ってこない画面のスマホを、手汗の滲む手で握りしめていた。


『家だけど、なに?』


 その返信が返ってきたのは数分後だったが、数十分待ったような気さえした。池袋にいないのを確認できてほっとすると同時に、ここで「今日は池袋に行くな」と言うのもかなりおかしな話だと、今更気付いた。「家から出るな」はもっとおかしい。


『今から会えない?』


 考えた末にそう送った。俺が一緒にいれば、さり気なく池袋駅から遠ざけるようなこともできるだろう、たぶん。おそらく。かなり不審がられる気もするが。

 しかし残念ながら、結構な早さで『無理』とだけ返ってきた。取り付く島もない、というやつだ。とりあえず『そっかー、また今度』と返した後、それでもやっぱり諦めきれずに『今日、池袋にだけは行かないでくれない? わけは今度話す』と追加で送った。

 無事でいてくれたら、それでいい。俺が変な目で見られるのは別に、いいんだ。俺が死んだ日を何かの奇跡でやり直せるなら、あいつも死なせはしない。

 きっとこれに返事は来ない───と思っていたのだが、伏せたスマホがすぐにぶるぶると震える。


『やっぱり今からお前の家に行く』


 そんな言葉が返ってきて数分後、本当に英人がやってきた。近所とはいえ、早過ぎる。英人は珍しく息を切らせていて、結んでも無い髪が汗で顔に貼り付いていた。何を急いでいるのか、俺の部屋へ俺を引っ張っていく。俺は戸惑うばかりで、されるがままに自分のベッドへ放り出された。ベッドサイドでは、英人が仁王立ちで俺を見下ろしている。


「いつからだ、いつ気付いた」

「ちょ、ちょっと待てって何の話」

「池袋駅。ナイフの男」


 目を見開いて英人を見上げると、英人はまだ肩で息をしながら俺をじっと見据えていた。


って、お前、いつ気付いた?」

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