#8

 夕焼け。

 夏の暑さと雲の焼ける橙色の陽射し。

 渦巻き町のとある山の頂上にあるベンチに座って昔のことを思い出していると、一人の大学生程とお見受けする女性が「すみません。火を貸してくれませんか」と訊ねてきた。私はそれを承諾し、銀色のオイルライターで彼女の煙草に左手で火を付けた。

「ありがとうございます」

 そう言う彼女の口から煙が零れる。副流煙は紅茶の匂いだった。

「素敵な懐中時計ですね」

 煙が天に霧散した頃に、彼女は私の握っていた時計を見てそう言った。

「ああ。これね。形見なんだ」

「本当に素敵です! よく見せてくれませんか?」

 矯めつ眇めつ眺めた女性は、程なくして言う。

「あれ? 壊れていませんかこれ?」

「そうだね。ちょっと変なんだ。でも、だからこそ美しいとは思わない? 不完全で未完成だから人間らしくて、だからこそ美しいって」

「あはは。面白いですけれど、飛躍しすぎでは?」

「いーや。全部繋がっているよ。廻っているんだ」

とある「人形」のからくりを再構成して作られた懐中時計。

 最大の特徴は、反時計回りに時を刻むこと。

 まるで意志でもあるかのように、出来上がった瞬間にこの時計は反対に廻った。

「まあ座りなよ」と私は彼女に椅子を勧めて、あれこれ他愛もない話をした。彼女は芸術学科の学生だったらしく、私の美学を興味深そうに聞いてくれた。時々議論も交えたり、そんなものとは全く関係ない馬鹿話で笑い合ったりしていたら、いつの間にか日が暮れた。

 と、私はそこで思い出した。

「あそこを見ていて」

 彼女に虚空を指差す。「あそこと言われても」と言われたけれど、この場合は具体的な場所を指し示す必要はない。

 暫くして。

 ひゅー。

 どかん。

 と、燃え滓となった時計塔を覆い隠すようにして、夜空に花が咲いた。

「わぁ! 今日夏祭りだったんですね!」

 鳴り止まない花火の咲く音は規則的で、秒針のようだった。

 けれど、今までと違うのはあの不快感が無いこと。

 それは多分、このマイナス一秒を刻む懐中時計があるから。

 美学なんて抜きにして。

 私は素直に美しいと、そう思った。

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秒針だけが燃えない 葵鳥 @AoiAoi_Tori

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