反時計回りの天国

#4

「わたしを殺してくれないかい、先生」

 燃え盛る時計塔を前にして、篝は私に笑顔でそう言った。その笑顔は私の知る限りの、あの見透かしたような厭な笑みでは無い、ただ純粋な、少女のような笑みだった。

 とある梅雨の日であった。めらめら燃える火柱に散らかる火の粉。私と篝は二人で時計塔を燃やした。恥ずかしながら、私は名探偵を出し抜く策を思いつけなかった。唯一つ「時計塔を燃やしてそれを『作品』と言い張る」という苦肉の策を除いては。それに縋る他無かった自分を酷く恥じる。

 そんな陳腐な犯人にはなりたくなかった。建築物だって作品である。他人の作品を燃やしてそれを我が物顔で「作品」だと言い張るような恥知らずなんか御免だった。けれど仕方無かったのだ。こうすることでしか、私は迫り来る探偵の魔の手から身を守ることが出来なかったのである。

 しかし、現実はつくづく小説よりも奇怪である。

 篝はもう長くないらしい。

 からくりだって無限じゃない。篝は「人形」としては不良品であった。人間に言い換えれば、身体が弱かった。だから度々不調を来していたそうだけれど、その積み重ねによってもう取り返しの付かない所まで来てしまったらしい。

 修理に出たらどうだと提案したが、それは無理な話らしかった。

 というのは、修理の過程で記憶媒体を一緒に覗かれてしまえば、彼女の犯行が明るみの下に晒されてしまうからである。そうなれば、普通に死ぬより凄惨な事態が待っている。

 だから篝は私に笑顔で訴えるのである。

 殺してよ――と。

「無理だ」

「何故だい。放火で散々やってきたんだ、殺すのは初めてじゃないだろう」

「人を殺すのとからくりを殺すのとじゃ訳が違う」

「普通逆だよ」

 悪のキャンプファイヤーを前に、篝はアスファルトの地面へと座り込んだ。「まあ座りなよ先生」と、あの日と同じ台詞を吐く。

「わたしは嬉しかった」

 私は隣に座り込んだはいいものの、何も言えなかった。それは殆ど独白に近く、彼女の言葉は夜空へと昇り、儚く霧散する。まるで、煙のように。

「放火に理解を示してくれる人間なんて居なかったから、先生はわたしの初めての理解者なのさ。初めての共犯者なのさ」

 ちかちかと眩い、めらめらと薪を焼べる音。橙と黄に染まる篝の白い横顔。嗄れた声。

「だから唯殺されるのは厭だな。先生には後悔して欲しい。わたしを殺して、わたしが死んでも、わたしを覚えていて欲しい。そうしたらわたしは先生の中で燃え続けられる」

 秒針の音は久遠に止まる。

「よし。じゃあ、わたしの昔話をしよう」

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