#3

 半々年が経った。晴れ風に桜舞う春。

 やり始めて気付いたけれど、私の感性と放火は奇しくも相性が良かったらしい。「不完全なものこそ美しい」という思想と、放火という「あらゆるものを不完全に帰す」行為――最初は篝の異常性に魅せられて始めたことだったが、いつの間にか私は放火そのものにも惹かれていた。けれどこれは、篝の思う放火とは真逆であった。

「どんなものもね、燃やして初めて『完成』するのさ。灰になって塵になって、それでやっと『完璧』になるんだよ」

 燃えゆく図書館で茜に染まる横顔で、篝はそんなことを言っていた。

 鏡映し。

 この半々年で判ったことは、私と篝は似た者同士であるけれども、しかしその本質は鏡映しであるということであった。私の対偶が篝であり、篝の対偶が私だ。

 私は放火をマイナスで考える。物の価値を損なわせる行為。

 篝は放火をプラスで考える。物に価値を付加する行為。

 しかし対偶だから、どちらも行き着く結論は同じなのである。

「その方が美しいから」

 面白いことに、これは放火以外の些末な所でも顕れた。

 私は珈琲を美しいと思う。それはぬるくなった瞬間に不味くなるという不完全性を持つからだ。

 篝は珈琲を美しいと思う。それは甘くても苦くても美味しいという完全性を持つからだ。

「すっかり有名人じゃないか、先生も」

 神社の境内のベンチに二人で座っている。

 先日の雨で散った桜の花吹雪。晴れ風が吹くと更に散り、紙垂が靡き、絵馬が裏返り、本殿の方向から線香の香りがする。烏が好奇心からか桜を突っついて、その拍子で花弁が落ちる。陽射しの加減によって白くも薄紅色にも見える、風にひらひら舞うその花びらを手で掴んでみて、篝の方を見た。しかし彼女は花も恥じらう純心な心を持っていない。そんなものには目もくれず、花より新聞と言わんばかりに、彼女は一つの見出しを指して言う。口元には初めて会った頃から変わらない薄ら笑み。

「どう? 嬉しいかい?」

「僕は花が見たい」

「ロマンチストめ」

 手に持っていた花びらが奪うようにして取られた。

「えいっ。こうしてしまえ」

 それを例のオイルライターで炙った。

 花は燃えると、焦げの奥に少し甘い匂いがする。煙の味は燃えるものによって若干違う。

「うん、綺麗だ。これが本当の花火ってね」

「うるさいな」

「やんのかよ先生」

 火花が散った。

「花を燃やすなよ」

「どうして? 綺麗だろう」

「美しいものを燃やすな」

「先生、解ってないな。燃やしてこそ美しいのさ」

 同じ穴の狢でも解り合えるとは限らない。

 経験で判っている。こうなったら平行線だ。ここは私が大人になろう。もとい、ここは私が人間になろう。大人云々の前に、からくりに目くじらを立てようものなら、人間としての沽券が失われる。

「篝。お前を燃やしてもいいんだぜ」

 駄目だった。

「やってみなよ先生。まあ無理だろうけど。それこそ先生の流儀に反するもの。先生はわたしを『美しい』と思ったから、ここに居るんだろう?」

 見透かしたような亜麻色の目。ミステリアスな雰囲気を助長する癖っ毛。にやにやした厭な笑み。

「ごめん。僕が悪かった」

「よろしい。大人しく――男の大人らしく、女の尻に敷かれていなよ」

 せめてもの仕返しと、篝が花びらを奪ったように、私は篝から新聞を奪って、先彼女が指していた記事を読んでみた。要約するに、「また放火事件が起きました。現在調査中です」であった。つまり、何も判っていないらしい。しかし、それが私と篝の知能犯的立ち回りのお陰かと言われたら、怪しい。正直言って運良く、警察の盲点を上手く突けているのだと思う。

 誰が犯人を「人形」なんて予想するものか。誰が放火を複数犯と思うものか。

 そもそも、「人形」が犯罪した場合、法で裁けるのだろうか。「人形」は法律の適用内なのか。「人形」に人権はあるのか。人で在る権利を持っているのか。

「しかし何と言うか、あれだね先生」

「何だよ」

「警察が判らなくても、名探偵には判るかもしれないね」

 実在して堪るかそんなもの。

 探偵なんて、幽霊も同然である。


 ○


「貴方がやったんですよね」

 困ったことになった。探偵にバレた。

 おっとりした雰囲気の丸眼鏡の女性が、我が四畳半を訪ねてきたと思ったら、開口一番に私の正体を言い当ててしまった。次に彼女は「申し遅れました。紙燭しそくです。探偵をやっています」と自らの正体を名乗った。

「何のことだかさっぱりなんですが」

「白を切らないでください放火魔さん。素性は割れています」

「……あの、とりあえず上がりませんか?」

 長話になると踏んだ私は、ひとまず紙燭なる女探偵を部屋に招いた。

「趣味の悪い部屋ですね」

「よく言われますよ」

 私の過去の作品ばかりが並ぶ部屋。まさしく、それを端的に表す言葉である。

「けれど、私は好きですよ。貴方の作品」

「はぁ……。それはありがとうございます」

「いやいや、これはお世辞ではありませんよ。本当なんです」

「えーと……。どういうことです?」

「私は貴方のファンなんです。昔から」

 どうも、私に取り入る為に嘘を吐いている訳では無いようだった。

 かつて私は、ちょっとしたアーティストとして活動していた。絵を描いたり、彫刻を彫ったり、よく解らないオブジェを作ったり、小説を書いたりとジャンルは全く定まっていなかったけれど、世界観は統一されていた。故に、確かにその時には、少数のファンが居た。それでも、ある事情で引退した。惜しむ声も少ないながらにあったけれど、振り向く理由にはならない。

「お気に入りは『暗黒板』です」

 黒板を黒で塗りつぶしただけの代物である。

「探偵さんもいい趣味してますね」

「よく言われます」

 紙燭は汚らしい座布団に厭な顔一つしないで正座した。人が出来ている。

 客人はもてなすべきだろう。

 私はコップ一杯の水道水を出した。

「何ですか、これは?」

「水ですが」

「水道水でしょう?」

「ええ。逆立ちしても何しても、これはどうしようもなく水道水です。文字通り」

「放火魔さん。これはどういう意味ですか? ぶぶ漬けみたいなことですか?」

「はい? ごめんなさい、意味が解らないです。単純にもてなしの意味で水を出しただけですが」

「ああ、なるほど。はいはい解りましたよ。そういう感じなんですね。そういう人なんですね、貴方は。だったら有り難く頂きます」

 一口に水を飲んだ。

 一体突っかかってきたのは何だったのか。

「さて本題ですが、私は貴方を糾弾するために来た訳ではありません」

「待ってくださいよ探偵さん。僕はそもそも認めていませんよ、放火魔なんて」

「嘘を吐きなさい。さっき自分で認めていたではありませんか」

「いつ?」

「私がどさくさに紛れて『放火魔さん』と呼んでも否定しなかったでしょう」

「否定しないことが、必ずしも肯定とは限らないんですが」

「じゃあどうして少し服が焦げているんですか?」

「え、待って嘘……?」

「嘘ですが」

「…………」

「引っ掛かりましたね。今の慌てようは犯人のそれでしたよ、放火魔さん」

 策士め。早々に万事休す。もうこれは潔く諦めよう。

 溜息を吐きながら、私も座布団に座った。

「火事の現場を見た時に思ったんです。あ、これ先生の犯行だって」

「怖いですって」

「でも、先生じゃないっぽい要素も散見されるんです。もしかして共犯だったり?」

「本当に怖いんですけど」

 もうそれは推理でも何でもない、名探偵の山勘ではあるまいか。

 警察の盲点を綺麗に突いてきた。名探偵に死角無し。

「でも私は貴方を法に裁かせようとは思っていません」

「じゃあ何ですか」

「お願いをしに来ました」

 私はお金でも強請り取られるのだろうか。

「これは探偵の私としての行動ではありません。誰からの依頼も受けていないし、お金も発生していない、完全に私的な事情です」

 紙燭はナイフでも突き付けるような鋭い眼差しで私を見つめた。

「もう一回だけで良いです。後一回、作品を作ってください。そうしたら、貴方のしたことを私は綺麗さっぱり忘れます」

 拍子抜けだった。豆鉄砲を食らう覚悟をしていた鳩が弾を外された時のような顔をしていることだろう。同時に、彼女は本当に根っから私のファンなのだ理解した。

 お金を強請られたり、命が関わったり。それらに比べれば、こんなものは易い願い出であろう。ここで「はい」と返事をすれば、私と篝はひとまずの安寧を取り戻せる。

だから私はその場では、適当に肯定の返事をして、探偵を帰した。彼女は随分嬉しそうで、感謝さえしてくれた。

 けれど、本当は。

 その願いは、私にとってはかぐや姫の子安貝よりも無理難題だった。

 それはちょっとした交通事故だった。

 命を脅かす程の事故ではなかった。

 ちょっとした後遺症を患う程度に済む事故。

 でも、その「ちょっとした」ことが、私にとっては命を失うも同然な程に致命的だった。

目を醒まして、知らない天井が見えて、周りの人間もカーテンもシーツも枕も頭の中も、何もかも真っ白な空間の中で、唯一つ奇妙な違和感があった。いや。感覚は無かった。そう、感覚が無いという違和感があった。

 事故の際、私は右上半身を強く打ち付けたらしい。

 それによって神経を損傷。

 私は右腕の感覚を喪った。

 利き手を喪ったことで、私の創作の腕は見るからに劣化した。私は創作をしなくなった。

 しかし誤解しないで頂きたい。

 私は不貞腐れて創作を止めた訳ではない。

 満足したから、止めたのである。

 繰り言になるが、未完成で不完全なものこそ美しい。

 利き手を喪った隻腕の芸術家。嗚呼何と美しいのだろう。

 追い求めていた理想に私自身がなってしまったから、私はもう創作をする理由を喪ったのである。

 紙燭は私のファンだと言う。

 今でも左手を使えば出来ないことは無いけれど、昔のような――例えば彼女の期待するような作品は作れないだろう。もうそこまでの情熱が遺っていない。燃え尽きてしまった。それではきっと彼女は納得しない。そうなれば、私と篝は名探偵の毒牙に掛かってお終い。

 いやはや。

 どうしたものか。

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