第3話 獣除け珈琲
とある日の早朝、ラミスが後ろ手を組みながら、クレナに声をかけた。
「良いモノができたから、クレナちゃんにあげる」
「……何これ? 香水?」
ラミスの手に握られていたのは、中に黒い液体の入った透明なガラス瓶。
「ううん、この中には動物除けの珈琲が入ってるの。クレナちゃん、朝から晩まで色々と警戒して神経をすり減らしてるみたいだから、少しでも楽させてあげようと思って徹夜で作った」
「あたしが一人で朝から晩まで警戒せざるを得ないのは、あんたが引きこもってばかりで当番制を拒否してるせいだけどね」
クレナがジトリとした視線を向けると、ラミスは肩をすくめながら言った。
「まあまあ、そう怒らないで。これを使えば、そんなお悩みなんて一気に解決するから」
「一気に解決って何? この珈琲があれば、動物に襲われなくなるとか?」
「その通り。けど、動物を遠ざける類のものではないよ。強いて言うなら、動物が従いたくなる香り……上位の動物に似た香りを放つことで、一般の動物の横を素通り出来るようになるという寸法」
「発想は面白いと思うけど、獣臭い珈琲ってなんか嫌ね。それに、従いたくなる香りっていうのも少し不安だわ。どうせなら、動物が逃げ出す感じの香りの方が良かったんじゃない?」
顎に手をあてガラス瓶を眺めるクレナに、ラミスは落ち着いた口調で説明した。
「確かに、私も最初はその方向で研究を進めてたよ。けど、縄張りを追われた動物が行き着く先に人が住んでたら大変なことになるでしょ? 私の中に、辛うじて残っている人の心が『それは危険だ』と思いとどまらせてくれたの」
「姉に人の心が辛うじてしか残っていないという事実に、困惑を隠しきれないんだけど……」
「安心して。クレナちゃんが私の面倒を見てくれてる間は、人を殺めたりしないと思うから」
「待って。あんた、あたしがいなくなったら人を殺めるの?」
「……私が他人に興味ないの、クレナちゃんもよく知ってるよね?」
瞬間、場に沈黙が走る。
クレナは目を逸らしながら、ラミスに尋ねた。
「と、とりあえず試してみようかしら。これ、飲めばいいのよね?」
「うん、何も考えずグイッといっちゃって。味は、はっきり言って酷いから」
「とても珈琲職人の言葉とは思えないわね。これから、カフェ経営でやってくつもりなんだから少しはプライドとか見せなさいよ」
「試してみて売り物になりそうなら、ちゃんと味も改良していくよ。あっ、それと間違ってもユニさんの口に入らないよう注意してね。動物自身が飲んじゃうと、香りで自分が強くなったと勘違いして、ファンキーな歩調になっちゃうから」
「なんだか、興味をそそられる言葉が出てきたわね。けど、了解。ユニさんから離れて飲むわね」
クレナは覚悟を決めて珈琲を飲み干し、嘔吐してから幌馬車を出発させた。
それ以降、双子の前に動物が立ちふさがることは一切なくなった。
「凄いわ。ありえない不味さだったけど効果は絶大ね。まさか、道の真ん中に居座ってる動物が、端に避けてくれるなんて……」
「見て、クレナちゃん。あのオオカミっぽい動物、私たちが通り過ぎた後もジッと見つめて、中には服従のポーズを示してる奴もいる」
珈琲の効き目は確かだった。
しかも、一度の使用で効果は三日ほど持続する。
これは、クレナの疲労を軽減させるのに大いに役立った。作戦、大成功である。
――しばらく経って、双子の乗った幌馬車は小さな集落へ到着した。
長旅を終え、軽い足取りで宿へ向かう双子の耳に、どこからか男たちの話し声が聞こえてくる。
「おい、聞いたか? なんでも最近、動物が群れをなして何かを追うように、この集落へ向かって来てるらしいぜ」
「なんだそりゃ。本当かよ?」
「噂によると何者かが集落を襲わせるために、わざと動物を誘導してるんだとか」
「そいつは許せねえな。犯人を見つけたら即刻、火炙り確定だな」
クレナは顔を青くして立ち止まると、ラミスに尋ねた。
「ねえ、これって……」
「うん、きっと私たちについてきちゃってる」
「水で洗えば、香りって落とせるかしら?」
「……たぶん」
次の瞬間、どちらが言い出したわけでもなく、双子は近くの井戸に向かって駆け出していた。
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