Man

* Man


「わたしたちはずっと、わたしたちが知らない世界で生きているの。もうずっとね。……あ、勘違いしないでね? ここも現実の世界なんだから、ファンタジーの世界じゃないわ。わたし、あなた、彼女たち、それぞれに人生があるでしょう? でも、ここで働いている人たちにとっても人生があってね。……分かるでしょう? 人生ってとっても複雑なの」


 五分刈りの女とともに自動車に戻ったわたしに、リーダーが言った。


 わたしは、ぽかんとした表情をしていたと思う。でも、それはわたしがこんなとき、どんな表情をすれば良いのかを知らなかったためだ。わたしは、カマトトでもおぼこ娘でもなかった。彼女たちの不吉な戦いと、わたしの不穏な未来について、わたしはすでに感じ取っていた。


 五分刈りの女が、わたしに言った。「もう、逃げられねえぜ」


 駐車場への通路と店舗とが併設されているような、摩訶不思議な場所を、わたしは自動車を走らせた。ショッピング・モールで長々と続く通路を走ったことはあったけれど、ここの光景はあくまでも異様だ。


 おかっぱ、茶髪の女が、ふふんと鼻歌を歌い出した。どうやら、彼女にとっては見知っている光景のようだ。ゴール、いや、入り口は近いのだろう。わたしは少し気が引き締まる。


 さらに15分ほど経った。自動車を走らせて、思いもかけずに開けたそこは、まるでがらんとした倉庫のような場所だった。いや、イベントを終えた後のコンベンション・センターというのが、もっと適切な形容だろう。そこは、商業施設の駐車場などとはとても思えなかった。警備員も従業員もいない。ただがらんとしていた。「ここを訪れるお前たちは、ゴミだ」とでも言わんばかりに。


 そうだ。わたしたちは、「地獄」ということに真摯な思いを巡らせる必要がある。誰かが、そこは「地獄だ」と言えば、そこは「地獄」であり、「天国だ」と言えば、そこは「天国」なのだった。これは変えられない真実だろう……


 リーダーが言う。「さあ、降りようか」

「お仕事の始まり、始まり」

「お前がお仕事、言うか?」

「だって、毎日のことじゃん」

「オレにはちげーけどな」


 わたしたち5人は、倉庫のような駐車場のなかを、鉄製のそっけない扉に向かって歩いていった。そう。それが「入り口」だったのだ。わたしは、寒々とした気配を感じる。


 リーダーが扉を押し開けると、そこにはありきたりのデパートのような、明るい空間が広がっていた。いや。むしろ会社の廊下に近い。警備員室、従業員室、オフィス……まるで事務的な。そこには社会があるのだな、などとわたしはのんきに思いめぐらす。


 5人はすたすたと、足早にでもなく歩いていく。そして、問題の場所へ。


「新入りか?」と、その男は言った。


「あたしたちのダチさ。今日見つけた」

「あはは。入って早々泣き言を言わんといいがね」

「心配ないよ。こいつの素性は十分調べてある」


(え? 何?)


「おい、女」

「わたし、『女』じゃありません……」

「だったらメス豚か? 女のことを女と言うんだよ」

「わたしには名前があります」

「ここでは、『名前』は、ない。ゲーマーと従業員。ただ、それだけだ」

「その『従業員』っていうのが曲者でねえ……」と、リーダー。

「よけいなことを言う。新入りなら、娯楽の時間はたっぷりあるだろうに」

「いきなり死なせないでね?」


「死」という言葉にわたしは驚く。でも、カマトトぶるまい。わたしは、ここが「死のゲーム施設」だということに、すでに気付いていた。


「腕はたしかなのか?」

「何の? わたしのゲームの腕ですか?」

「そう、そう」

「パズル・ゲームくらいなら、やったことはありますが……」

「あっはは。こりゃあ、良い。お前ら、おあつらえ向きの“羊”を見つけたな?」

「そんなん、どうでも良いよ」と、リーダー。

「あの、ここは『どこ』なんです? 本当に『日本』なんですか?」と、わたし。

「そうだよ。あんたも命を賭けたくてやって来たんじゃないの?」

「わたしはただ誘われて……」

「そういうのが、気に入らねえんだよ、今ここで『冷凍室』送りにしてやろうか?」

「すみません、すみません」泣きつく、わたし。


 4人は冷ややかな目でわたしを見つめている。いや、五分刈りの女だけが、わたしを憐れむような目で見ている。


「ここの全監視システム、知っているな?」

「全監視システム?」

「そうだよ。それで、お前らのさっきの行状も知っている。おい、NT5、間違いはないよな?」

「あれは、あれはわたしたちの咎じゃないよ。弱気な女が暴れてさ」

「どっちでも良くってね。ここでは、動機や気もちなんて関係ない。事実がすべてでね……」

「わたし、わたし……」

「おやおや、ボクは饒舌過ぎたようだね。ついでに名前も明かそうか、ボクの名前は『R』」

「R? 外国の方ですか? それともイニシャル?」

「おや、これは? あはは!」


「R」と名乗った細身の男は、大声で笑った。いかにも、このわたしがこの場所に不似合いかを知っているように。……わたしは怖れる。


「お嬢さん? マドモワゼル? プリティー・ガール? 今は、地獄へようこそとしか、言えないね。それで。君が今わたしにしたことに対する対価だが?」

「対価?」

「そう、失礼は倍にして払わなくてはいけない。もっとも、君のような……」

「わたし、何でもします。許してください」


 わたしは、訳も分からずに謝っていた。


「許してください? はて、こいつは本当のおぼこか?」

「知らないよ、さっき拾ったんだ」

「お前が誰かを拾うなんて、珍しいじゃないか。5カ月ぶりか? それに、『十分調べてある』という言い草とも違う……」

「よく覚えてんな、R」

「記憶力だけが売りでね。おかげで、この仕事もやっていられる」

「けっ、クソ従業員が」

「あんたがあんたでなけりゃ、冷凍室送りだぜ?」

「冷凍室、冷凍室、うっせーんだよ」リーダーの口調が変わった。長髪を片手で少し撫でている。

「ふふふ。お前もねえ、ここへ来た最初のときは……」

「それは、言わない約束じゃないか」

「いいよ。オレがこの女をもらう」

「好きにしな。……好きに、してよ」


 わたしは、知らない間にRの女にされていた。不快な感情よりも、わたしにとっては不思議とも言える安心感が訪れていた。少なくとも、わたしはこの世界で邪険にされはしないだろう、という思いがあった。──異世界において、きっと人は真実に触れるのだろう、と。


「R、さん……」

「Rで、良い。なんなんだ?」

「あなたは誰ですか?」

「う? ぷははっ!」


「こいつは傑作だ。これから戦場送りになろうっていう人間がだぜ? 『あなたは誰ですか?』と来た。……ここでは、誰も彼もねえんだよ!」

「でも、あなたには『R』という名前があります」

「あー、ちげえんだ。そういうことじゃなくってな……オレ、お前に本気で惚れそうだぜ」

「やめてください、どうか」

「いや、気に入らねえ、その拒絶が」

「では、わたしをあなたの恋人にしてくださっても良いですから……」

「違う。ここでは、敗者は勝者の所有物。そこからは、誰も逃げられない」

「そんな運命……」


 わたしは、その異様な言葉に圧倒されていたけれど、この残酷な世界の仕組みも受け入れ始めていた。そのことを……告白しなければいけないのだと思います。

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