第11話 睡銀の古城
睡蓮の古城の物語は、彼が手渡した資料の中にはあんまり詳しく載っていなかった。しかしエリーゼは知っている。実家の本館にある分厚い歴史書の中に、その城の詳細はあった。
この国を治めている王族が、大昔まだ放浪の民であった頃に、この地を訪れた。人が住んでいた痕跡がある広い土地であったが、不思議なことに誰一人として人間の姿がなかった。
放浪の民はあちこちを馬で移動しながら見て回り、やがてこの城を見つけた。白い石材の立派なお城だ。そのあまりの大きさと美しさに、この地を拠点として、住み始めていたのだが……どこからか人が現れ、大切な人の遺骨や遺灰を入れた、壺や瓶を手に、この地に墓を作ったり、手作りの霊廟を造ったり……。放浪の民は、彼らに告げた。この土地は自分たちが占拠したから、奇妙な風習はやめるようにと。その説得も脅しもむなしく、世界中からひっきりなしに誰かしら小瓶を持って訪れるのだから、気味が悪くなった放浪の旅は、この土地を手放した。そして全く別の場所を拠点とし、そこから国を開いたと云う。
歴史書はまだまだ続く。
王族となった彼らだったが、困ったことに、この美しい城を超える建物を、造りあげることができなかった。王族たちの住まう場所よりも、淡く発光する美しいこの建物……どうしても撤去することができず、貴族の代表者が派遣され、古城の維持管理のために住まわされた。
それがこの「睡銀の城」なのである。
アールベリアの両親が、この地に派遣されて城の管理人兼領主を担っていたのだろう。どこからか小瓶を持って現れる不思議な民は、そのまま領土に居ついて領民となることがあり、この地を治める貴族たちは、代々税収の管理に苦労したらしい。
その苦労を差し引いても、この古城の幽玄な美しさ。初めは国の中心にしようと案が出ていたほどだ。実現しなかったのは、なぜか集まってくる数多の遺骨のせい。分骨されたソレは小さな瓶に入れられて、この地の霊廟に納められる。なぜか途切れぬ、なぞの風習。彼らの謎の儀式に耐えられず、古城の貴族は霊廟を増設した。そうしないと、誰かが勝手に霊廟を手作りし、それらが倒壊する事故が多発したからだ。
(不思議な人気のある土地なのね)
世界各地からふらふらと集まってくる彼らは、茶色い髪の領民と結婚して、茶色い髪の子供たちに恵まれた。茶色の髪と双眸の特徴は、代々色濃く受け継がれ、先祖帰りの報告もない。
「いつ建設されたのかもわからない、とても古いお城です。リホーム済みですが、バリアフリーというわけではないので、かかとの高い靴だと苦労するかもしれません」
「スリッパで移動するなら平気かしら」
「しっかりと足にはまる物が、お勧めですね」
彼が先導するように先を歩き、エリーゼがその後に続く。今からあの美しい城に入るのかと思うと、ドキドキを通り越して変な汗が流れた。
(まるで絵画の中に入っていくみたいね……現実味がない感じ……)
別館の母の私室には、一枚だけ大きな風景画が飾ってある。大きすぎるため、エリーゼは嫁ぎ先まで持参するのはあきらめてしまった。それは村のお祭りを描いた楽しげな景色で、村人が手を繋ぎあって輪になって踊っている姿と、それを眺める人々、そのもっと遠くでは彼らの生活の糧となる綿が、畑いっぱいに実っていた。母の故郷は、丁寧に育まれた綿と、それを使った織り物が特産品だ。
それがエリーゼの知る、唯一のステキな絵画だった。あれが昼間の美しさならば、今目の前にあるこの城は、夜を描いた優美な景色。額には納まらなくとも、エリーゼのお気に入りに輝いた。
「あれ?」
前方を行く青年から、年相応の油断しきった語尾の跳ね上がりが聞こえて、エリーゼも足を止めた。
アールベリアが注視している先を見やると、太い轍の横に、こんもりと馬糞の山が……。
「こんなに太い車輪は、うちにはありません。サウス爺さんも、こんな道のど真ん中に放置する人ではありません」
「他の誰かが、ここに来たってこと? 馬糞がまだ乾いていないわね、数時間前にここへ来たのかも」
二人が馬糞を観察していると、お城のある方角から、腰に白いフリフリエプロンを巻いた五十代くらいの女性が「ぼっちゃま〜!」と片手を振りながら走ってきた。
「ノウス婆や! ゆっくりでいいよ、走るとまた転んじゃうよ!」
「ぼっちゃま聞いてくださいな、大変なんですよ! お昼過ぎに霊園の見回りとお掃除をしていたら、たいそう立派な馬車が、何の連絡もなくいきなりここに! 今、応接間にいるんですけど、わたくし怖くって!」
誰かがあの城で、青年を持っているらしい。
「客人の名前は?」
「ドナス・オーガスタ様ですわ」
その名を聞くなり、アールベリアの横顔が険しくなった。
エリーゼも緊張で身が強張る。
(お父様が推薦していた、私の婚約者の候補先だったお爺さんだわ。そう言えば別荘のご住所が、この領土内にあったわね)
ドナスは拠点の多い老人であった。
「あら? まあまあ! なーんて可憐なお嬢さんなんでしょう。この娘さんが、ぼっちゃまの言ってた花束の人?」
「婆や、その話は一旦置いておいて、エリーゼさんをお部屋まで案内してあげてください」
「あら? まあ! 私ったら、オホホホホ! ごめんなさいねぇ、さあさあお嬢さん、お疲れでしょう? よくぞお越しくださいました~」
女性はエリーゼの手荷物を持ってくれて、さあさあと促した。一方、アールベリア青年は城を見上げて、なにやら思案している。
エリーゼは一緒にお城に入りたくて、彼をそっと促して共に歩いていった。
お城の周囲には、護衛らしき人もおらず、玄関扉を守る門番の姿もなく。挙句の果てに、城主アールベリアが自ら立て付けの悪い扉を引っ張り開けていた。
(人手が足りてないのかしら? それとも、日常の動作一つ一つに他者を介入させない主義なのかしら)
エリーゼも別館では支えてくれるメイドが少なかったから、自分で家事や掃除をする機会が多かった。用意される道具や食材は、外から支給される物のみで種類も少なく、自分で好きなようには選べなかった。
玄関ホールだけでとんでもなく広く、足元の玄関マットがとても小さく見えた。規模の大きいお城に、見知った家具の大きさが全然合ってない。
「ここが段差になっています。高さがばらばらなので、気を付けて上がってくださいね」
「え? あ、ここは階段じゃなくて、石材が割れてずれてるだけなのね!?」
室内でも落石注意なのかと彼に尋ねてみると、ここ数百年はどこかが倒壊したという記録はないと返ってきた。ちょっと安心するエリーゼ、高さの不均衡な段差を上がって、途中でノウス婆やにスリッパを借りて、白い石材の冷たい廊下を進みだした。
(廊下が幅広すぎて、絨毯が間に合ってない……。ここを建築した人って、ただ巨大なお城を造りたかっただけとか? 天井も、あんなに高いわ。どうやったらお掃除できるのかしら)
歩いているだけで遠近感が狂ってくる。廊下を飾る調度品がミニチュアに見えてきた頃、
「変なお城ですよね」
「え? えー、あの、えっと……ちょっと不思議な感じがするわね。でもとっても美しいわ。こんな場所が現実に存在するだなんて、感動しちゃう」
彼を励まそうと、エリーゼは努めて明るくする。
「確かな資料は残されていませんが、僕が思うに、昔はここに夜空を飛んで移動できる人々が住んでいたのだと思います」
「え、飛ぶ?」
「はい。彼らにとっては、飛び立つのは日常の些細な仕草。この城の造りは、そんな彼らの動線を妨げないために広くされたのだと思います」
ただの造り手の趣味だと思うエリーゼだったが、反論しないでおいた。
「自由に空が飛べるなんて、羨ましいわ」
「はい、行動範囲がとてつもなく広がるでしょうね。しかし、彼らはどこへ行ってしまったのでしょうか。日中の日差しを蓄えて、夜の間中優しく照らしてくれる、この特殊な石材も、まだ謎が多いです」
たしかに、とエリーゼはほんのり輝く石材を眺めた。目に優しい明るさなのだが、どうして発光しているのかがわからない。実家の書庫の書物に、そのような不思議な鉱石の話が載ってあったのだが、わずかに採掘された記録がある程度で、お城の建築素材にできるほどの量は確認できていない。
彼はノウス婆やと来客について話し合いながら廊下を歩き、そして一つの扉の前で、立ち止まった。他の扉よりも明るい木材で、金属のお花のレリーフが掛けられていた。
「ここが貴女の部屋です。気に入らなければ、他のお部屋を選んでくれて構いませんよ。壁、ひび割れてますけど」
壁が一番キレイな部屋を、エリーゼに選んでくれたらしい。
「貴方のお部屋はどこなの?」
「城内を見回るのが大変なので、いくつか作っています」
「この近くにも?」
「あ、いいえ、わりと歩く距離に……」
同じ屋根の下で、そんなことがあるのかと、目が点になるエリーゼ。
「普段は、ここから回廊と中庭を挟んで真逆の位置にある執務室にいます」
「……ふふふ! 私、とんでもない世界にお嫁に来ちゃったのね!」
心底楽しげに笑いだす彼女に、気味悪がられること覚悟だったアールベリアは、しばし呆然となっていた。
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