第21話 エリーゼが別館に居た理由
「ちょうど手紙を出そうと思っていたところだった。わざわざお前から出戻りに来てくれるとはな」
「出戻りではありませんわ、お父様」
やはり手紙を出すつもりだったらしい。こっちから来てやった次第ではあるが、相変わらずの父の態度を目の前にすると、せっかくマーサが腕を振るって用意してくれたティーセットも不味くなるというもの。
「そうだったな、アールベリアはまだ成人しておらんガキだ。お前と婚約こそ結んでおるが、正式な結婚はまだだ」
「夫も同然として接しておりますわ」
「フン、今のお前が生娘かどうかはこの際、関係ない。あのジジイが、お前さえあのガキを捨てれば考え直してやると、わざわざ書面にして送ってきたぞ」
「いいえ、お父様。アールベリア・ヴォルフェンス男爵ほど、私の夫にふさわしい人はおりません。私の心は、決まっております」
茶菓子をほぼ独り占めしている伯爵に向かって、エリーゼは凛と言い返した。
「ドナス様とグールベル侯爵の思惑は、すでに把握済みですわ。私の屍人形を欲しがる悪趣味な殿方の正体もね」
「へえ、ボクだって気づいたんだ」
なんとネオンが二階のテラスをよじのぼってきた。
「こら、下がっていなさいネオン」
「お父様はいつまでボクを子供扱いするの? 来年はボクがこの家の主人になるんだよ? ボクに何でもできるようになっててほしいでしょ?」
ネオンの小さな手には、懲りずに大きなナイフが、まるでオモチャのように軽々しく握られていた。
「エリーゼがどうやってドナスとボクの事を知ったのか、そんなの関係ないやー。お人形の作り方はあらかた習ったし、エリーゼはこれからずーっとボクと一緒に暮らすんだよ」
「僕の妻を、剥製なんかにはさせませんよ」
ネオンの血走った目が、風で吹き上がったカーテン向こうのアールベリアを凝視した。
「ああ、そんなところにいたんだー。存在感が薄くて気付かなかった」
その程度の悪態に動じるアールベリアではなかった。影のように控えながら、冷ややかな目を向けている。
「本当はボクだって、エリーゼと結婚できるのにさ。だってエリーゼの両親は、シュトライガス家とはなんの関係も無い使用人の男女なんだよ? ボクとエリーゼは、赤の他人なんだ。それなのに世間じゃ近親婚になっちゃうからって、お父様が嫌がるんだよ」
弟は父の言いつけだけは、最低限守っているようだ。
「でもまあ、どうせボクのになるんだし、関係ないや。あれ……? お茶飲んでないの?」
「ええ。実家では何も口にするなと、夫から言われているの」
途端に目尻を吊り上げるネオン。
(この反応は、何か盛ってたわね……)
アールベリアから、これから起きる事をあらかた予想してもらっていたとはいえ、実際に体験してしまうと、心にクるものがあった。エリーゼは家族を、愛していたのだから。
突然ナイフが宙を舞い、アールベリアの手に収まった。
「危ないので没収してくれと、あなたのお母様がおっしゃっています」
「はあ!? 死んだ人間がしゃべるわけないだろ!?」
「信じるか否かは、ネオンさん次第です。僕はここから、あなたが誰も傷つけることがないように見張っていますからね」
城の銀食器よろしくネオンのナイフも、幽霊に動かされてしまったようだ。
椅子に深く腰掛けていた伯爵が、太った腹から落ちそうになりながら前のめりになった。
「ネ、ネオン、お前にそこまで話した覚えはないぞ。いったいどこから仕入れてきたんだ」
「えー? 若いメイドたちが話してたよ。扉に耳をつけて、じっくり盗み聞きしたんだ。たまに喘ぎ声もするんだけど、あれ何してるのかな。ボクが誘ったら抱けるのかな」
「黙りなさい!」
エリーゼが鋭く注意した。
「私とお姉様たちは、同じ男性を父に持って産まれた、それは紛れもない真実よ。お父様が私を別館に閉じ込めていたのは、あなたと私に子供ができる可能性をゼロにするため。本当は私のことまで育てるつもりなかったんだろうけど、あなたが私をお人形にしたがっていたから、お父様がしぶしぶ大目に見てたのよ」
「誰かの中庭に埋められるよりマシだろ? ボクとあの別館でずーっと遊ぼうね!」
シュトライガス家の令嬢、その立場を許されているだけで、エリーゼにその血は入っていなかった。ネオンにとっては、玩具同然の賤しい身分に過ぎない。
たとえそうであっても、姉として弟の野蛮な言動を許し続けるわけにはいかない!
「私にシュトライガスの血は流れてないわ。だけど私は、あなたの姉として生きていく」
「へー?」
「あなたは世間に出ていないから、何もわからないでしょうけど、次の群れのリーダーはダニエルなの。あなたは嫌でも彼に首輪を付けられ、いずれ彼の言いなりになるわ」
「歳が離れてるってだけで、そこまでされなきゃいけないの? このボクが変な掟に、おとなしく従うとでも思ってるの?」
「ええ、従わざるを得ないわ。ダニエルの上にはね、もっともっと怖い人がいるのよ。暴れる狂犬たちの手綱をしっかり持って、支配する人がね」
本気で誰のことを言われているのかわからないといったふうのネオンだったが、やがて姉の視線の先にいる青年に気がつき、青ざめた。
「まっさか、あの根暗アールベリアのこと言ってるの!?」
「あら、カンが良いわね。姉として鼻が高いわ。彼がいなかったら、私はこの恐ろしい真実に気がつくことができなかった。彼がいなかったら、私はまんまとあなたのお人形になってるところだったわ」
そして彼がいなかったら、このおぞましい真実に心が保たなかった。
「エリーゼなんか、何にもできないお人形になっちゃえばよかったのに! あの爺さんには、エリーゼを処女のまま加工してねって頼んでたのに」
「しょ」
「ボクね、エリーゼと血がつながってても、構わなかったよ。だって人形になったエリーゼは、ずっと綺麗なままで側にいてくれるもん。妊娠なんかしたら骨盤が変形するし、お腹の皮だって伸びちゃうでしょ?」
「ねえ、ネオン。ドナスさんに影響され過ぎよ。お父様に頼んで、ドナスさんを出禁にしてもらうわね」
「ボクとアールベリアの何が違うの? エリーゼは、軟禁先があの不気味な城に変わっただけで、ヤってる事は人形と変わらないんでしょ?」
(なんでこんなにお下品なこと聞いてくるのかしら)
エリーゼはピンときた。できることなら、外れてほしい予想だった。
「お父様、ネオンはちょっと下半身がだらしないみたい。若いメイドたちが、この子を頻繁に誘惑してるようだから、お婆ちゃんメイドだらけにしてあげて。さもないと何人孕ませるか分かんないわ」
ネオンがズボンのポケットに片手を突っ込み、予備の刃物を取り出そうとして、指先が何にも触れないことに眉をひそめた。
カーテンそばのアールベリアが、冷めた視線でそれを眺める。没収しているナイフの数が、五本に増えていた。
「ねえネオン、私はね、あなたのことをいい子だって思い込みたかったわ。この家を任せても大丈夫だって、思いたかったわ」
エリーゼが優しく諭している間にも、ネオンとアールベリアが視線だけで火花を散らしている。
「来年は、あなたがこの家を守る番なのよ。どうか道を踏み外さず、かっこよく生き抜いてちょうだいね」
「はぁ~い(生返事)」
ネオンはすっかり興が冷めたのか、始終視線が明後日の方向を向いている。もう少しお説教したいエリーゼだったが、ふと、菓子でも喉に詰めたかのように蒼白している伯爵と目が合って、絶句した。
「エ、エリーゼ、ここでの話は……その……」
「私はシュトライガス家の女です。秘密は墓場まで持っていきましょう。それが私なりの、お父様と正妻の奥様への誠意です」
もはや長居は無用だろう。あとはこの家が解決すべき問題である。
よそに嫁いだ自分が深入りする領域では、なくなった。
彼の妻となった自覚があるからこそ、エリーゼはここで撤退する。
「帰りましょう、ベリル。貴方がいてくれて、本当によかった」
彼がほっとした顔で、微笑んでいた。
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