第19話   秘密の「犬」

「お前がエリーゼを連れ去ったと聞いた時は、絶句したぞ。小さい頃からよく遊んでいたじゃないか、なんで裏切った」


 アールベリアが案内されたのは、客室のように見えなくもないが、倉庫のような狭さの部屋だった。圧迫感があり、さながら尋問室のよう。椅子が二つ置かれている。大きな窓が一つあるが、それはダニエルの背後にあった。


「怒っている理由は、伯爵があなたからの申し出を蹴ってまで、ドナスさんを選んだことですか? それとも、あなたの長年の想い人を、僕が許可なく奪い取ったからでしょうか」


「……」


「僕はあなたがた黒犬の一族から、遠ざけられてきました。それは明らかに僕の体に、異質な血が流れているから。僕の両親は、繰り返される近親相姦の結果、凶暴化していく身内を恐れていました。血が濃すぎたのでしょうか、両親は子供には恵まれませんでしたが、代わりに不気味な計画を立てました。それは白い牙の子供を養子として迎え、自分たちの本物の子供として育てあげ、僕の血を黒犬の一族の中に溶け込ませること。父と母は、僕の血が一族の罪や血の濃さを浄化してくれるものだと、思い込んでいました。この話を信じるも信じないも、あなた方一族次第ですが、僕は信じていました。呪いのようなこの力も、仲間に入れてくれないあなた方のことも、いっそ全て利用して、大事な人を奪還してしまおうと決意しました。僕も両親も、いつあなた方に殺されるか知れたものではない、だから迷っている時間はありませんでした」


「勘違いするな。お前が情緒不安定な第三王子に取り入ったせいで、誰もお前たちに手出しができなかっただけだ。お前のペテンぶりが恐ろしかったわけじゃないぞ」


「王子に接近したのは、生き延びるためでした。僕の力を盲信してくださる支援者がいて、大変助かっています」


 椅子に腰かけるアールベリアと、立ったまま見下ろしているダニエル。常人ならば平静でいられないだろう、重々しい空気の中、それでも彼らは話し続ける。


 互いの大事なモノのために、そうしなければならないから。


「僕がエリーゼさんとの婚約を勝ち取れたのは、第三王子が国王陛下にお願いしてくれたからですよ。友達の長年の片思いを、成就させてやってほしいと」


「何が友の願いだ。お前が王子を操ってエリーゼを手に入れた、の間違いだろう。我々一族の為にも、お前がエリーゼの喉に手をかけてくれるんだろうな」


「いいえ。僕は彼女を殺しません」


 窓の外から、エリーゼは聞き耳を立てていた。二階から一階まで、四肢に宿った火事場の馬鹿力で降りてきたのである。窓の奥には、魔王と幽霊王子が静かに舌戦している。しかし最近まで軟禁生活を強いられていたエリーゼには、二人がなんの話をしているのかさっぱりだった。


「あなた方は、一生この『静かなる猛毒』に怯えて暮らすのです。それこそが、あなた方の身勝手により虐げられてきた彼女への、罪滅ぼしとなります」


「エリーゼの代わりに、復讐でもしているつもりか」


「僕の後ろ盾は、王子だけではありません。皆、大事な人ともう一度だけ会話したいと願うのは、自然なことです」


「お前にパトロンが大勢いると? お前のしている事は、ただの死者への冒涜だ。そのように生者ばかりを敵に回していては、いつか後悔することになるぞ」


「僕の敵に回っているのは、あなた方一族だけです。僕は彼女を手放すつもりはありませんし、殺害する予定もありません。この屋敷の中庭に埋まっている『犬』についても、あなたさえおとなしくしていてくれるならば、一生口外は致しません」


 犬? とエリーゼは小首を傾げた。


(そういえば、十年くらい前にアールベリア君が、ワンちゃんがどうとか言ってみんなと喧嘩してたわね)


 当時のことを、細かく思い出していくエリーゼ。中庭で大泣きしていた小さな少年は、ダニエルの館の中庭に犬が埋まっていると言って譲らなかった。


「僕が初めてあなたのお屋敷に招かれ、屋敷の玄関先で遊んでいた時、親からはぐれたらしき子犬を発見しましたね。僕が連れて帰りたかったんですけど、あなたはそれを取り上げて、自分が飼うと言って聞きませんでした。あなたとは七歳も歳の差があり、腕力の差もありましたから、僕は諦めて引き下がりました。あなたはその犬を、中庭で放して遊ばせましたね。そしてその犬は、そのままあなたのもとで成犬になるはずでした」


「……」


「しかし子犬は突如いなくなりました。子犬は何度も、あの一際古くて気味の悪い歪な樹木の下を、掘ったのではありませんか? あなたは何度もお父上に叱られたのに、言うことを聞かずに中庭に放したのではないのですか? 散歩に行くのがめんどくさかったから、でも愛くるしい子犬をいつも目の前にしておきたかったから、中庭という横着な場所で愛玩しようとしていたのでは?」


「お前はいつも、見てきたかのようにほざくな。だから嘘つきだと言われるんだ」


「昔の通り名は嘘つきでしたけど、今は『静かなる猛毒』。僕にぴったりです。気に入っています」


 始終煽るような彼の口ぶりに、エリーゼはヒヤヒヤしていた。ダニエルも怒っているが、その何倍も、彼の方が激怒していたのである。


「この館の中庭には、掘り返されては困るモノが眠っている。そしてそれは、この館を継いだ時にあなたも聞かされたはずだ。なぜあなたのお父上は、子犬を殺して埋めたのか。それは犬という隠語を、よりカモフラージュしたかったから。第三者からすれば、犬が埋まっていると聞けば、ペットか何かのことだと思いますからね」


(子犬ではない、別の何かが中庭に埋まってるってこと……?)


 子犬とは別のモノ、そして掘り返されては困るモノ、エリーゼはさらに、自分たち一族が犬に例えられる風習があることを思い出して、背筋が瞬時に凍りついた。


(まさか、人!? お墓ではなくて中庭に埋めていて、しかも子犬の嗅覚でも気づかれて、危うく掘り返されてしまうほどの浅さなの!? どう考えても埋葬に長けたプロじゃないわ、素人が適当に埋めたのかしら!)


 なぜダニエル父子が中庭の秘密を隠そうとしているのか、そしてなぜ自分は命を狙われているのか。埋められてしまった人と、自分は何かつながりがあるのだろうか……エリーゼは頭から湯気が出そうになった。


「それはお得意の、死者の声が聞こえるとか言う、わけのわからん妄言か」


「本当に妄言かどうかは、あなたがその手にスコップを持って、掘り返してみればわかることです……」


「……」


「エリーゼさんから手を引いてください。次のリーダー候補からの一声ならば、一定数の犬が言うことを聞きます。どうかご尽力を」


 ダニエルが自らの椅子を蹴った。乱暴に家具が倒される音に、窓の外のエリーゼが怯える。


「あまり長居をしては、ご迷惑ですね。せっかくお部屋を用意してくださり恐縮ですが、おいとまさせていただきます」


 レモンイエローの双眸が、窓から顔をのぞかせるエリーゼに向いた。


(ひえ、気づかれたかしら)


 ダニエルも気付いて窓に振り向いたが、すでにエリーゼが引っ込んだ後だった。


「窓がどうした」


「いいえ、何も」


 アールベリアが「失礼します」と言って、ダニエルに背を向けた、その瞬間、ダニエルの胸の内ポケットから、光る何かが取り出された。


(!? まさかナイフ!?)


 このままでは、後ろを向いているアールベリアの背中に刺さってしまう! 避けて、と叫ぼうとしたその時、一匹のカエルが指輪のようにエリーゼの指先にぴょんと乗っかり、びっくりしたエリーゼの注意が完全にカエルに逸れてしまった。


 アールベリアはダニエルを一瞥もせず、壁にかかった小さな風景画を両手で外すと、きびすを返してナイフを紙面で受け止めた。


「やめてください。僕は運動が得意じゃないんです」


「意外だな。良い反射神経をしている」


「偶然ですよ。振り向いたらあなたが物を投げてきたので、とっさに応戦したまでのこと。あまり暴れないでください、僕の妄言に箔がついてしまいます」


(振り向く前に、額縁を掴んでいたように見えたんだけど……)


 律儀に絵を壁に掛け直す彼が、横目でエリーゼにニヤリとして見せる。


「ニキータ!」


 忠実な飼い犬を呼びつけるがごとく、異国のメイドにダニエルが指示を飛ばすが、


「そんな! 部屋に誰もいません!」


「なに!?」


 すらりとした足が窓枠をまたぐ。


「よっこいしょっと。では帰りましょうか、エリーゼさん」


「そうね。荷物は二階に置いていっちゃったけれど、かえって身軽になっていいわ」


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