第18話 血の色の館
グールベル侯爵の後継ダニエルは、未だ妻の一人も娶らない故に変わり者のレッテルを貼られていた。エリーゼも彼が独身でいると聞いたときは、さすがに驚いたものだった。
「ダニエル君は、とてもお父様思いの男の子だったわ。家族を不安にさせるようなことは、しないと思ってたけど……何か事情があるのかしらね」
「……。あの人も、エリーゼさんの婚約者に立候補してましたよね」
「ええ。どうしてなのかしらね? 軟禁されて行き遅れた女なんて選んだら、きっと家族から大反対されるでしょうに、おかしな人よね」
黒い馬車の荷台に、爺やと婆や達に手伝ってもらいながら荷物を詰めてゆく。
「そう言えば、どうしてアールベリア君は、私をこのお城に連れて来たの? 貴方が成人する一年後じゃ、ダメだったのかしら?」
彼女が心底不思議そうに見上げている。
その視線から逃れたいかのように、色白な頬をうっすら染めながら青年が小さく呟いた。
「ベリルと」
「え?」
「僕のことは、その……そう呼んでください」
あの特徴的なフード付きの外套をまとった彼は、やっぱり髪の色が周りと違うことを気にしているようだったけれど、今だけは、それのみが理由では無いような気がした。
「じゃあ、私のことはリズね」
「え?」
「お母様しか呼んだことないのよ? ふふ、貴方が二番目ね」
にこにこと言ってのけるエリーゼに、特別な名前を呼ぶ許可をもらってしまったアールベリアは、耳の先まで熱くなったのを急いでフードを引っ掴んで隠した。
「でもベリルって呼ぶの、なんだか照れちゃうわねー」
「じ、じゃあ、一年後! 僕が成人したら、その時は呼んでください! 僕も、その時になったら、貴女をそう呼びます!」
急に上擦った声で宣言されて、エリーゼは目をぱちくり。馭者台に乗り込んだサウス爺も、何事かと身を乗り出している。
我に返った青年が慌てて平謝りする。呼び名だけでそこまで腰が低くなるものかと、エリーゼは苦笑した。
「わかったわ。一年後、約束ね」
ダニエルが家督を継ぎ、統治している領土は、ここからさらに遠く、厳格に仕切られ測られた数多の畑からは、様々な作物が採れる豊かな土地だった。高低差による湿度と気温差が激しく、一番上と下の土地では、育つ作物が違うほど。シュトライガス一族の中で王都に一番近く、物流も盛んであり、王都の調度品や土産物が、ここでも購入できる。
そんな難しい土地を、きっちり管理している「変わり者」、それが今のダニエルの評判であった。
(ちょっと酔っちゃったわ……。キレイに舗装された道なのに、それが返って酔うことがあるのね)
いくら父親がワイン好きだからとて、館の外装まで上品な色合いに染め上げるとは。目立つことこの上ない。黒々とした玄関扉の前に、当主のダニエル自らが、仁王立ちして待っている。
黒い馬車は、アーチ状の柵を潜ってダニエルの前に停車した。窓からエリーゼが顔を出す。
「久しぶりね、ダニエル君。まあ! 見違えるほど素敵になったじゃない」
彼女の中では、ダニエルはみんなのリーダー格の少年であった頃から、記憶が進んでいなかった。今目の前にいる凛々しい男性が、ダニエルの面影を若干残していることが、なんだか面白かった。
本当に立派になったと思う。
(ダニエル君は、別館で軟禁されてた私を哀れんでいたのかしら。リーダー気質だし、放っておけなかったのかも。未だに独身の理由は、わからないけど)
家督を継いでから数年経った後も、妻も側室も持たない彼の生き様が、謎であった。
「急にお呼び立てしてすまない。疲れただろう、エリーゼ。君のために部屋を用意したから、休んで欲しい」
すっかり大人の男の声である。執事が扉を大きく開き、二人を中へと招く。
「アールベリア、貴様はすぐに客間へ来い」
「わかりました」
男二人の間には、冷ややかな空気が流れていた。喧嘩になるのではとエリーゼは心配する。幽玄で儚い雰囲気のアールベリア、対して匂うような男ぶりのダニエルは、とても対照的に見えた。光と影、否、影と光……どちらも異質な雰囲気があった。
(やっぱりアールベリア君の強引なやり方は、良くなかったのね。婚約者として先に立候補していたのに、後からいきなりアールベリア君が私を連れ去ったんだもの。わざわざ手紙で呼び付けてまで文句が言いたいだなんて、よっぽど怒ってるわね……)
きっと列の横入りなど目撃しようものなら、烈火のごとく激昂するタイプだろうと思われた。
エリーゼだけがこの家のメイドに案内されて、二階の客室へと移動した。態度も機嫌も悪いメイドで、しかしエリーゼも旅で疲れていたから特に言い返さず、ほとんど無言を貫いた。
(何かしら、この人。育ちが最悪なのかしら? 何を怒っているのかしら)
それでも部屋の扉を開けて、エリーゼを中に招いてくれた。エリーゼは彼女とすれ違う際に警戒したけれども、なんだかんだで重い荷物を部屋の中まで運んでくれたので、感謝の言葉くらい述べようと振り向くと――
思いっきり扉を蹴って閉められ、がちゃりと鍵をかけられた。
「ええ!?」
あまりの足癖の悪さと、扉が閉じる際に見せた邪悪な顔に、エリーゼがびっくりしていると、
「引っかかったな! この豚女め!」
「はい? あなた、そんな口の効き方をしていては、館の主人であるダニエル君の顔に泥を塗ることになるわよ。彼に忠義を示すなら、今すぐその言葉遣いをやめなさい!」
「アタイに説教していいのはダニエル様だけだ! ダニエル様が、お前のせいでどんなに苦しんできたか知らないだろ! あのまま変態ジジイに殺されて、剥製にされてりゃ良かったのに!」
一瞬誰のことを言われたのかピンと来なかったエリーゼだったが、ネオンとドナスの関係性を思い出して、ハッとなった。
「ドナス様のことを言っているの? 私があの人に嫁いだらどんな目に遭うか、あなたもダニエル君も知ってたの!?」
「安心しな。ジジイはしくじったが、ダニエル様はお前を上手くおびき寄せた。もう一生この部屋から出られないぞ。許可さえ降りたら、このアタイがお前の足の健を切ってやるからな!」
エリーゼが生きてきた中で、一番残酷な脅し文句が飛んできた。こんなに下品なメイドを雇うなんて、エリーゼはますますダニエルがわからなくなる。
(なんてこと! ダニエル君、どういうつもりか知らないけれど、私はやすやすとベッドを変えるつもりはないわよ。あなたと同じお墓にだって入らないわ!)
エリーゼは、メイドが散々罵声を吐き散らかして去っていったのを確認すると、改めてこの部屋の窓を見た。ここは二階だから、貴族のお嬢様が脱走なんて、するわけがないと、タカを括っていたのだろう、施錠も何もされていない。
「伊達に数百回も脱走劇を起こしてないわ。アールベリア君と合流しなくっちゃ。彼、腕っ節が強そうには見えないけれども、私が無事だってわかったら、頑張って戦ってくれるかもね」
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