第16話   ダニエルからの手紙

 サウス、ノウス、イーストときたら、ウェストだろうかとエリーゼが考えていると、サウス爺そっくりのウェスト爺やと呼ばれる老人が、霊園のかなたからジョギングしてきた。イースト婆やから霊園の手入れを指導されていたエリーゼは、立ち上がって会釈した。


「おはようございます、おじいさん」


「おお、あんたが噂の。おはようございます、エリーゼお嬢様。走り込みがてら、お手紙をお届けに参りました」


 ウェスト爺やは城の使用人ではなく、街から往復三時間もかけて体力作りに勤しんでいる、普通のお爺さんだ。


「まあ! あんなに離れた所から、走ってですか!? どうかご無理はなさらずに」


「なあに、ちょっとハードな散歩でもしてないと、すぐに足腰が弱って痛みますからな。どうかお気になさらずに」


 走り過ぎでも足が痛くなるのではと心配になるエリーゼ、元気に走り去ってゆく後ろ姿を、はらはらと見送った。


「そのお手紙はぼっちゃま宛ですわ。お届けして差し上げて」


「はい」


 ふとエリーゼは、手の中にある白い封筒の黒い封蝋に眉を寄せた。


「ダニエル君のお家からだわ」


「そのお名前の御仁も、エリーゼ様を妻に迎えたかったお一人ですわね」


「ええ。幼馴染のような関係でしたけど、それ以上は、特に交流はありませんでした」


 イースト婆やの目尻が吊り上がっているので、ほぼ交友関係がないのを強調しておいた。


 嫁としての合格判定が下ったのだろう、厳しい老婆の目尻が、若干穏やかになった。


「ぼっちゃまとダニエル様は七つも歳が離れております。世間的には一番あなた様と釣り合っていたかもしれません」


「そうだったかもしれませんね」


「まあ確かに家柄も近いですし、年齢もあなたと二歳差です」


「でもダニエル君は、手を引きましたわ。きっと私を貰うのが面倒臭くなったのです」


 行き遅れていた貴族の女より、もっと若くて愛らしい、そして好条件の女性が見つかったのかもしれない。


 二十歳を迎える頃には相手の家に収まっている、それがこの国の貴族の女の宿命。別館に軟禁されていたエリーゼは、その宿命から外されているものだと諦めていた。だから父からの縁談話が来た時も、その相手がお爺さんでも、特に大きく感情が揺れ動く事はなかった。


 この彼と再会するまでは。


「エリーゼさん! わざわざお手紙を、こんな所まで、感謝します」


「捜したわ……今度から、笛のような何かを貸してくれないかしら。貴方を鷹狩りの相方みたいに扱いたくはないんだけど、ちょっと身が保たないわね」


 まさか地下にいるとは……。偶然、落とし戸が上がっている部屋を見つけて、地下へと続く階段を下りてみたら、彼がいたからよかったものの……。


 地下室はワインセラーになっていた。この場所には光る石材が使われておらず、灯りを持ってくる必要がある。彼に飲酒の趣味はなく、どう手入れして良いものか独学で片付けていたらしい。


「エリーゼさんは、お酒の趣味はありますか? 僕はまだ一滴も飲んだことがないんですけど」


「私もないけど、お料理に使った事はあるわよ。私にとってはお酒は調味料ね」


「そうなんですか。もしもエリーゼさんがお酒好きなら、ここにあるお酒を見てもらおうと思ったんですけど」


 なんと、ワインセラーを託すつもりだったらしい。古くて状態の良いワインは、熟されて味が良くなると同時に、大変高価な嗜好品となる。その価値がわからないエリーゼは、お料理に使うのも恐ろしく感じた。


(ん? 何かしら、棚の影に長方形の大きな石がある。ワインに関する道具なのかしら?)


 エリーゼの視線に気がついたアールベリアは、意外そうな顔になった。


「アレをご存知なのですか?」


「え? わからないわ。ここからじゃよく見えないの。近づいてもいいかしら?」


 許可をもらうなり、わくわくしながら近づいてゆくエリーゼ。腰より少し低めの石台を、腰をかがめてしげしげと観察する。頭の中の知識と掛け合わせて、一つの心当たりを探し出した。


 すっかり興奮して彼に振り返る。


「これは! 占星術に使われていた古代の道具よ! 見つけた星座に円盤の印を合わせると、ほら、他の星座も見つけやすくなるの。本に書いてあったわ」


「そんなことが掲載された資料があるんですね」


「でも、地下室だと夜空が見えないわね。なんでこんな所にあるのかしら。しかもコレ、床と壁の石材に固定されてて動かないようになってるわ」


 エリーゼは星座の描かれた円盤を眺めているうちに、牡羊座の近くにやたらと傷が多いことに気がついた。どうやら、牡羊座が頻繁に円盤の印に合わせられていたらしい。


「触ってもいいかしら?」


「構いませんけど、古い物ですから固いですよ」


 彼の心配もよそに、エリーゼはゴリゴリと動かしていった。動かすコツが、書物にあったのである。


 牡羊座が印と合致する、その動きに合わせて、目の前の石壁が横にスライドしていったので、エリーゼは大変びっくりした。


「なになに!? カラクリ屋敷!?」


 思わず彼のそばまで走って戻った。動じないアールベリアの様子に、彼の既知であるとわかって安堵する。呼吸を整え、改めて謎の戸口の奥を観察すると、床に銀食器が直置きされており、それらは見覚えのある配置であった。


 もっと奥には、小さな台座が。何か置いてあったのか、そこだけ不自然に何も無かった。


「白い羊膜ようまく御子みこ。僕は小さな棺に入って、この隠し扉の奥の部屋で、眠ってたそうです」


「え!? それどういうこと?」


「それが、僕にもさっぱり……」


 ただ棺にそう彫られてあっただけで、羊膜が何を意図するのかも不明なのだと言う。


「こんな噂があるから、僕も両親も苦労しましたよ。父がお酒に弱くて、酔うとなんでも喋ってしまうんです」


「苦労したのね……。あ、私は、誰がどこから産まれたとか、あんまり気にしないわ。違いもわからないし」


 彼が白銀色の髪と月のような瞳のせいで周囲から浮いていたことを、エリーゼは知っている。


「あ、そうだわ、手紙! ダニエル君からなの。貴方宛てよ。たぶん、私も無関係ではない内容だと思うわ」


 手渡す際にペーパーナイフを持ってきてないことに気付いたエリーゼ、まだまだイースト婆やに学ぶ事は多いのだと自覚した。


 彼は器用に封蝋を剥がして、中身を取り出した。広げてみると、黒々とした太いペン先が力強い筆跡に拍車を掛けていた。


 エリーゼと一緒に、読んでみる。


「……せっかく街まで、貴女の上着を買いに行きたかったのに。見上の家柄から緊急で呼び出されると、行かねばなりません」


「怒りが滲み出てる内容だったわね……」


 エリーゼの父はダニエルからの求婚を蹴り、老齢ドナスをエリーゼの相手に選んでいた。そこからさらに成人前のアールベリアに掻っ攫われて、もう自尊心がボロ切れのごとく、そしてマグマのごとくになっているだろうと予想するエリーゼだった。抗議の手紙は、きっと父にも届いているだろう。


 エリーゼ、ふと疑問に思う。


「ねえ、ちょっと気になったんだけど……私の旦那様候補は、もう一人いたの。この国の第三王子様よ。貴方はどうやって、そんな偉い人を退けられたの?」


「……」


「その王子様も、今頃は世間体やプライドが傷付いたーって言って、怒ってるんじゃないかしら。もしも召喚の知らせが届いたら、私も一緒に謝りに行くわ」


「……え、えっと……」


 心配しているのに、なぜか彼の目が泳ぐ。


(んー? さすがに王族相手にやらかすのは、感心しないし、隠されると私も困るわ!)


 問いただすエリーゼ。これ以上の隠し事は、さすがに苛立ってきた。胸ぐらを引っ張ってやると、アールベリアが大焦りで「わかりました! 話しますから!」と降参した。


「第三王子のお母様は、側室の女性です。そして三年前に亡くなられました。その時の王子がどう思ったのかは、親しい間柄ではありませんので、わかりかねます。しかし彼は僕に頼んだのです、もう一度お母様にお会いしたいと」


「え……」


「彼も本気ではなかったと思います。僕のことを、お金目当てのペテン師と、さほど変わらないと思っています。それでも、僕の良からぬ噂を信じて、城に招いてくれました。以来、良くしてもらっています」


「数あるペテン師の中で、貴方の実力が本物であると認めてくれたのね? すごいじゃない! 貴方は王子様の寂しさを慰め、王子様のお母様が言いたかったことを代弁して差し上げたのでしょ? 王子様はとっても嬉しかったと思うわ。息子さんともう一度お話しできたお母様も、とても嬉しかったはずよ」


 エリーゼも母に会いたくなってきた。何年経っても、会えるものなら会いたいに決まっている。室内のあちこちを振り返って見るも、彼以外に誰の姿もない。


「ねえ、私のお母様のことも、見えるの?」


「はい」


「即答するのね。お母様、今笑ってる?」


「心配そうにされています」


 どこにいるのかと聞いたら、そこの部屋の隅だと返ってきた。とたんにエリーゼは胸がいっぱいになる。誰もいないワインセラーの隅っこに、向き合った。


「大丈夫よ、お母様。私はお母様のほうが心配だわ。もしも、たくさんの幽霊さんたちと過ごすのが大変だったら、いつでも旅行に出ていいのよ? 故郷に帰郷するのもいいわね。私なら、心配ないから」


 ……アールベリアは、彼女の後ろ姿に呆然と魅入っていた。こんなにすんなりと信じきる人がいるなんて、不思議な光景だった。


 たいがいの依頼人は、本当に本人の霊なのかと、アールベリアにいくつか質問を投げかけてきて、たとえ答えが合っていても懐疑的なのが常だった。信じてくれるのは、爺や婆やだけで……最近になってようやく第三王子の信頼を得られた程度だったのに。


 彼女はしばらく楽しげに近状報告を済ませた後、アールベリアに振り向いた。


「貴方は領土を治めながら、素敵な職業に就いてたのね。貴方のことが少しずつ知れて嬉しいわ」


 心底嬉しそうに言われて、アールベリアは白い髪をぽりぽり……。


「あの、では、地上の階に上がりましょうか」


「ええ、そうしましょ」


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