第15話 束の間の「夫婦」の会話
この日はいろいろあって疲れてしまい、エリーゼは婆や達が用意したお風呂に入ると、すぐに自室でぐっすりと眠ってしまった。
(夕食は、彼と一緒に取る約束をしていたのに……)
真夜中に目が覚め、自暴自棄になる。こんな夜更けに婆や達を呼びつけるのも気が引けたので、エリーゼは女性物の調度品が揃ったステキな自室から、一歩廊下へと踏み出してみた。
幽霊なんているわけがない、そんな常識の中に戻りたかったのかもしれない。フラフラと廊下を歩きながら、自分でもはっきりとわからない、けれど、きっと自分なりに、この城を受け入れよう、この城の中を、少しでも居心地が良いと感じたいと……そんな欲求から足が動いているのだと、客観視した。
(ノウス婆や達以外に、使用人の姿がないのよね……いざとなったときの力仕事は彼みたいだし、もっと若くて力持ちの人を、数名ほど雇った方が、お城の管理がしやすいと思うんだけど……)
昨日の、あの部屋を再度確認してみることにした。あの部屋で起きた怪奇現象こそ、エリーゼの人生観を何もかもひっくり返してくれた。これはもう一度確認せねば、飲み込むことができぬとばかりに、エリーゼはおっかなびっくり、あの部屋を目指して歩いた。
その道中にも、廊下やどこかの部屋の中で、正体不明の怪奇音が響く。まるで誰かがお茶でも沸かそうとしているかのような、妙に生活感が漂う音だ。そのせいかエリーゼは驚きこそするものの、足がすくむほどの恐怖は感じなかった。
(我ながら不思議な気持ちになるわね)
例の部屋の前に到着。なんと、扉が少し開いている。
怖いもの見たさという、謎の衝動性に駆られて、隙間に顔を近づけてみた。すると、揺れる燭台に照らされながら、昨日と全く違う配置になっている銀食器の数々が。スプーンはスプーン同士、お皿はお皿同士と、分別されて並んでいる。そして現在進行形で、右に左に動いていた。
(うーわ……改めて見ると怖いわねぇ。人は見た目が全てじゃないって言葉があるけど、見た目も声も雰囲気も何もわからない上に、一方的に物を動かしてくるだなんて、怖い以外の何を感じればいいの……)
動く食器ばかり見ていても、ただ恐ろしいだけ。他に何か気になるものはないかと、エリーゼは部屋を見回した。よく目立つ長テーブルと食器類に意識が奪われがちだが、部屋の奥には火の消えた暖炉があり、その上には奇妙な物が立て掛けてあった。
(あれは、何かしら? 小さい棺桶? お人形でも入れるのかしら、ちょっと悪趣味ね)
棺桶と聞くと、どうしても母を見送った日の記憶がよみがえってしまう……落ち込むエリーゼだったが、よくよく見ると暖炉の周りは生花で可憐に飾られており、小さな棺桶には花飾りが掛けられていた。なんだかとても大事にされている雰囲気がある。
(もしかして、祀られてる? あの暖炉は、祭壇の代わりなのかしら)
何かを依り代に祀る文化は、世界各地で見られる。それらを特集した書物も、エリーゼは読んだことがあった。
姿の見えない彼らにも、何かを大事にする気持ちが、そして誰かを偲ぶ気持ちがあるのだろうか、エリーゼはなんだか安心した。
(どんな形であれ、亡くなった人やその象徴を大事に扱う人に、悪い人はいない気がするわ)
エリーゼがノックをすると、少しの間だけ室内が静まりかえり、やがて何事もなかったように再び食器が動きだした。
「おはようございます。私はシュトライガス家の、エリーゼと申します。昨夜は挨拶も間に合わずに、失礼をいたしました。改めて、これからよろしくお願いいたします」
これで食器の一つも顔面めがけて飛んできたら、もう一生この部屋には入らないつもりでいた。エリーゼは注意深く辺りを見回した。
……これといった攻撃的な反応は、見られなかった。
(まだ信じられないけど、幽霊さんって、本当にいるのね……。この部屋で何をしてるのかしら? 自由におしゃべりができるといいんだけど、これ以上は、ないものねだりかしらね)
エリーゼは一礼して、部屋を後にした。
勝手に城内をうろうろしてしまった罪悪感を消すために、部屋に戻ろうとしていたエリーゼ、廊下でノウス婆やに会い、これから朝食作りを始めるのだと聞いて、手伝いを立候補した。
「どう? このお城には慣れましたかしら? あら、まだ一日しか経ってないわね、ごめんなさいね私ったら」
スープの下準備のために、野菜とベーコンを細切れにしていた手を止めて、ノウス婆やが苦笑する。
「いいえ、たった一日ですが、何とかやっていけそうだなぁという気持ちになりました」
「まあ! さすがはぼっちゃまが選んだお嫁さんなだけあるわ〜」
「ふふふ。この窓から見えるお墓や霊廟も、とても大事にされていますもの。ボロボロの粗末な墓地だったら、とても恐ろしいけれど、こんなにも白くて美しく整えられている場所を、維持管理する人が恐ろしい人なわけありません」
「そう! ぼっちゃまは良いお人なのよ~」
「ここから霊園を眺めてるだけで、愛と悲しみが溢れてゆくのを感じます。ここは、皆様の整域なのですね」
「そう! そうなのよ〜、よかったわ、わかってくれる人が来てくれて」
「ここでなら、静かに眠ってもらえると考えるご遺族のお気持ちが、わかる気がします。管理しているアールベリア君も優しいし、お爺さんお婆さんたちも面白いし、私、ここがどんどん好きになれそうなんです」
エリーゼは火を起こして、パンを温めたり、昨日食べるはずだった鳥の丸焼きを温め直したり、いろいろと温めていた。特に嫌がりもせず、てきぱきと働く彼女に、ノウス婆やが心配げな眼差しになった。
「……あのねエリーゼさん、強要するような言い方はしたくないんだけれど、どうか、ぼっちゃまのことを受け入れてあげてほしいの。小さい頃から、あなたにふさわしくあろうと頑張ってきたのよ。あの時、渡せなかった花束も、ずっと後悔していらして」
「花束? もしかして、十年前のパーティの時のですか?」
「あら、覚えていらしたの!? そうなのよー、ぼっちゃまはねぇ、あの時あなたに結婚を申し出ようとしていたの。本気でね」
五歳児の本気とは。「これからお母さんのお手伝いをいっぱいたくさんやります!」と宣言してからすぐに遊びにサボりだす、それぐらい軽くて無邪気な口約束とたいして変わらないような気もするエリーゼだったが、現に有言実行した彼がいる……いったい自分のどこを好きになったのだろうかと、心底不思議に思った。
城のどこかにいる主人を呼んできてほしいと頼まれ、エリーゼが「無茶ぶりですね」と呟きながら廊下を彷徨っていると、はるか彼方の階段の手すりを、拭いているアールベリアの姿が。シャツを腕まくりして、装飾の多いゴツゴツした手すりに苦戦している様子だ。
「あ、おはようございます、エリーゼさん」
「おはよ、朝ごはん出来てるわよ。私も少し手伝ったの」
「え? ノウス婆やは?」
「はい? あ、お料理なら得意よ。私から参加したの。よく母が作っているのを、手伝ってたのよね」
エリーゼが過ごした別館には、台所があった。
「母は平民出身だったせいか、何でも自分でやっていた方が、気が楽だったみたいでね。私も覚えちゃった。家事が良いストレス発散になってるわ。いずれは私がメイド長になって、この家を支配しちゃうかもしれないわよー」
「エリーゼさんは、とても前向きですね。でも無理はしないでください。この城は古くて、とてつもなく広いですから」
「あなたも今、一人でお掃除してるわよね?」
「ああ〜……はい。なかなかこの家に快く居着いてくれる方に、恵まれなくて。毎日のように幽霊たちもバタバタと物を動かしてくるので、埃が舞って、すぐに家財の隙間に貯まるんです」
パワハラするタイプにも見えないし、本当にこの城での不思議な現象が原因で辞めていくんだろうなぁと、エリーゼは同情した。
(私も完璧に克服できたわけじゃないのよね……明日は我が身にならないといいけれど)
べつに幽霊がお城に居てもいいけれど、せめてどこにいるかだけでも、知っておきたいエリーゼだった。何か判断のコツがあるのかと、思い切って彼に聞いてみると、
「こればかりは……」
「才能とか、センスの問題なの?」
「自分でも、よくわかりません……まれに人生半ばで能力が開花する人もいるようですが、僕は会ったことがありません。全てペテン師でした」
「貴方と同じ力を持った人に、会おうとしたのね?」
「……」
「自分と同じ境遇とか、共通点がある人を、友人や理解者に選びたい気持ち、わかるわ。私ね、貴方にご両親がいないと聞いて、気の毒にと思うのと同時に、私と同じだわって、安心しちゃったの。ひどい話よね、でもほんとにそう思ってしまったの。貴方なら、母を失った私の悲しみをわかってくれると思ったから」
もちろんそれだけで貴方を選んだわけじゃないわよ、と忘れず付け足した。
「そうね、貴方がペテン師で、本当はご両親が別にいて、しかもどこかでピンピンしていて、幽霊やなんだって話も、私を怖がらせて腕にくっつけたいだけだったら、怒っちゃうかな」
「そんな手の込んだこと、できませんよ。どうやったら大量の食器や家財を、毎日のように動かせるんですか」
「ふふ、朝ご飯に遅れないでね」
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