第5話   可愛い子犬たち

「やあやあ、儂の愛する子犬パピィたち! 毎年元気な顔を見せてくれて、ありがとう。こんなに健全な男児たちに恵まれて、シュトライガス一族は安泰だな! ガッハッハッハー!」


 なぜかすでに酔っぱらっている伯爵の目の前で、横一列に並ばされた少年たちが、大緊張した様子で背筋を伸ばしていた。年長者から順に並ばされているため、一番初めはダニエルだった。


「ではダニエル君から始めたまえ。今年でいくつになる?」


「じゅ、十二歳です!」


 この会場にいる全員に声が届くようにと祈りながら、ダニエル少年がうわずった声を響かせた。声が小さいと、もう一度やり直しを強制されるからだ。


 伯爵は満足げにうなずくと、ダニエルの隣に立つ少年に、同じ質問を投げかけた。声の大きさが気にいらず、三回も言い直させていた。


(よくやるわよねぇ……この謎の儀式)


 儀式から卒業できるのは、十三歳から。ダニエルが皆の前で年齢を宣言する拷問は、今年で最後となる。


「また一段とふくよかになられたんじゃなくて……?」


「奥様が亡くなって以来、あまり食生活がよろしくないみたいなの。もともと甘い物好きなお人だったけれど、注意してくださる人がいないと、誰でもああなってしまうのかしら」


 エリーゼから少し離れた壁際で、どこかの奥様たちが、ひそひそと胸の内を交わし合っていた。


 エリーゼも静かに同感する。


(やっぱり、去年よりも太って見えるわよねぇ。シュトライガス一族は、政界じゃあ国内外からも重宝される重鎮だそうだけど、どうしてかしら身内の前では、子供っぽいのよね……仕事が大変だから、家族の前では息抜きしてるとか?)


 年齢宣言は、やがて一番最年少のアールベリア少年まで到達した。着替えと手洗いが間に合ったらしい、着衣に不自然な汚れはなく、大きな声で「五歳です!」と元気に叫んだ。


 この謎の儀式は、父に愛息子ネオンが生まれてから始まった。それまでの父は、親戚筋ばかり可愛らしい男児に恵まれる境遇を目の当たりにするたびに、怒りと羨望が湧いたのだろう、ネオンが誕生してからは、こうして他の男児の健やかな成長を皆の前で喜び、皆で祝う謎の風習を作り出したのであった。


 ちなみに、なぜかネオンだけは儀式に参加させない。なぜなのかは、誰も尋ねない。エリーゼも、どうせ尋ねたって教えてくれないことがわかりきっているから、端から知ろうとも思わなかった。


(たしかネオンも五歳になったばかりなのよね。この間、お誕生日会があったらしいし)


 なーぜーか、エリーゼ親子には、ネオンの誕生日会の招待は一度もなかったし、気を効かせた母が贈り物を用意して届けようとしても、メイト長にかたくなに断られていた。エリーゼが独りになってからは、もはやネオンのために何の用意もしていなかった。


(あら? お父様の背後に、大きなプレゼントボックスを持ったマーサがやってきたわ……?)


 金色のリボンに飾られた、白くて大きな紙の箱。それが銀色のティートロリーに乗って運ばれてきた。伯爵がわざとらしい演技で驚いてみせると、「これは何だい?」と子供たちに尋ねてから、リボンを解いて、蓋を開けてみた。


 伯爵が箱を傾けて、たくさん入った焼き菓子を、会場の皆にも見えるようにする。


「なんてことだ! これは君たちが作ってくれたのかい? ありがとう、嬉しいよ。大事にいただくとしよう」


 あの焼き菓子は、エリーゼが子供たちの争いを治めるために思いついた産物。まさかこんな形で、父のもとに届くとは思っていなかった。エリーゼは、遠くからウィンクしてみせるマーサに、苦笑して片手を振っておいた。


(マーサのことだから、砂糖ばかりじゃなくて、蜂蜜やドライフルーツとか、甘みを感じる薬草なんかを使ってお菓子を作らせたと思うんだけど……それも短時間で一気に食べられたら健康に悪いから、あとでメイドたちに、小出しにして父に提供するよう言っておかなきゃ。あ、そんなことしなくても、お姉様たちが勝手に食べちゃうか)


 この家では、甘い物が争奪戦。他人のおやつも平気で食べるのだから、エリーゼはドン引きしている。


 主役を張る父の、最前線で花のように立ち並ぶ美しい女性陣は、エリーゼの姉たち。今ふうの、軽やかで少し派手めなアクセントの付いた半袖ミニスカート。しかし肌の露出は下品と称されるため、色付きタイツと、シースルーのレースの長手袋をはめている。流行がわからないエリーゼの目には、少々近未来チックなモンスターに映ったが、どのような格好をしていても姉たちは美しかった。


 伯爵の奥方が、数多の画家が立候補するほどの美貌の持ち主であったから。


 そして、奥方と顔が瓜二つという理由だけで、屋敷に雇われたエリーゼの母も。それを受け継いだ娘のエリーゼも、周りから密かに将来を期待されている。


 知らないのは、エリーゼ本人だけ。誰も自分に興味などないし、自分も周りに期待しない、そんな生き方が、いつしか当たり前のように身に付いてしまっていた。


 ずっと伯爵の後ろに隠れていたネオンが、退屈し始めたのか周りの子の輪に入ろうと駆け出すのを、伯爵が腕を掴んで引き止めた。


(どうしてお父様は、ネオンだけ誰とも遊ばせないのかしら。あの子、絶対退屈してるわ)


 エリーゼが近寄ろうにも、父とメイド長が許さない。こればかりはエリーゼにも、どうにもしてあげられなかった。



 立食パーティー形式で、出された飲み物が美味しかったので三杯も飲んでしまったエリーゼ、ちょっとお花を摘みたくなったので、ひっそりと会場を抜け出した。


 すると、汚れた食器が重なった木製のワゴンを押して進む、マーサの後ろ姿が見えた。パーティ中は厨房が大忙しであり、メニューに無い料理を酔った勢いで注文してくる困ったお客や、取り皿を大量に消費するタイプのお客様、空いた大皿もそのままにしていては格好が悪いため、食器洗いと料理を追加するために、マーサ含め料理人が厨房を出たり入ったり。なぜ他の使用人に任せないのかと長らく疑問だったが、雇った料理人の知名度が高いため、伯爵が周りに自慢するために頻繁に顔見世させていたのだと気付いたときには、エリーゼは呆れて目玉がぐるりと回った。


「ねえエリーゼ!」


 呼ばれて振り向くと、なんと珍しいことにネオンが一人で走ってきた。いつも父が傍にいるのが当たり前だったから、一人でいるのは本当に新鮮な光景だった。


「どうしたのネオン、お父様は?」


 いつもは、エリーゼお姉さま、とか、単にお姉さま呼びしていたネオンが、今日は呼び捨てになっている。その方が呼びやすいからラクをしているのかと思ったが、


「ねえねえエリーゼ、ボク今日からエリーゼのことエリーゼって呼んでいい?」


「ええ、構わないわよ。と言うか、すでに呼んでいるけれど」


「よかった。あのね! お父様がね、あんなのは姉じゃないから、姉呼ばわりしちゃダメって言うんだ。じゃあどう呼んだらいいのって聞いたら、呼び捨てで構わないって言ってたの」


「……ああ、そうなの」


「うん! それじゃまたね、エリーゼ!」


 始終明るい笑顔のまま、会場へ戻ろうと駆け出すネオンと、開いた扉から父が血相変えて転がり出てくるのはほぼ同時だった。


「ネオン! 勝手にそばを離れるんじゃない! 何かあったらどうするんだ。お前はたった一人の、この家の跡継ぎなのだぞ」


「えへへ、ごめんなさーい」


 怒る父の顔が面白かったのか、へらへら笑いながら扉の奥へと引っ張り込まれていくネオン。その意外と元気そうな様子に、エリーゼは複雑だったけれど、ちょっと安心した。


「お嬢様……」


 心配そうなマーサの声に、エリーゼは振り向いて、もはや苦笑しか浮かべられなかった。


「気にしてないわ。あの子はまだ小さいし、何もわからないまましゃべってるって感じね。お父様の言いつけ通りに動いてるから、むしろ良い子だわ」


 見たところ親子仲は良いようだし、自分が何かを不安視する必要は、何もないのではと思うエリーゼ、きっとこれを見届けることが今日この不快なパーティに時間を費やした価値だったのだと、一人納得し……これ以上の長居は不要であると判断した。


「私、疲れちゃったから別館に戻ってるわね」


「え……ですが、パーティが終わるまではどなた様が抜けるのも、旦那様はお許しになりません。それに、ほら、まだ甘いデザートがお出しできておりませんし――」


「いいのよ、マーサ。私を探してくれる人なんて、誰もいないわ。見逃したあなたにも、お咎めなんて無いわよ」


 エリーゼは身内同士の賑やかな交流会から、身を引くように退場した。



 それ以来、彼女が屋敷の催し物に招かれることは、なかった。


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