第4話   パーティで、花束を

 エリーゼの父の誕生日パーティの開催時刻が迫ってきた。広い会場に集まった女性は華やかにめかしこんでおり、男性陣は久々に顔を合わせる親類たちに挨拶と握手を交わしていた。ハグし合っている家族もいる。


 エリーゼも毎年、母とここに来ていた。母は年に一度だけ、本館に呼ばれるこの日を大変楽しみにしていたのを、エリーゼは独り、瞼の裏に浮かべる。小さかったエリーゼは、招待客に挨拶をして周る父に、話しかけるタイミングを見計らっていたけれど、結局そんな隙はなくて、ならば父の方から話しかけてくるのを待てば良いのだと待っていたけれど、やがてそれは間違いであると気がついた。


 父の視線が、一瞬でもエリーゼ親子に注がれる事はなかったのだ。


 彼は両腕に抱えた赤ん坊のネオンを周囲に見せるのに忙しく、ネオンが立ち上がって歩けるようになると、その小さな手と繋いで、皆に挨拶回りをするように促していた。


 今は独りのエリーゼ。父を含めた全ての身内に、なんの期待もしていない。


(お姉様たちが気まぐれを起こして、私にくれたこのドレスに、今年も助けられたなぁ。別館にあるドレスは、どれもフォーマルで重たくって、色も暗めだから、おめでたい日には似合わないのよね)


 それでも母は、エリーゼも立派な貴族の淑女なのだからと、いつもドレスを着ているよう言った。自らのドレスを手直しして、エリーゼの体型に合わせて作り直してくれた。色が地味なのは、当時はそれが流行っていたから。側室である母は、正妻が廃棄したたくさんのドレスをこっそりと拝借し、自らと娘をお人形に見立てて、可愛らしいドレスを作ってくれた。


 色味さえ目をつむれば、ドレスはいつもエリーゼを大変愛らしく飾っている。


(私はお母様ほど手先が器用じゃないから、大勢のお下がりを集めてドレスを作るなんて、無理ね……。いただいたドレスを、そのまま着ていくしかないわ)


 エリーゼに話しかける紳士の姿は、とても少ない。父親から疎まれ気味の美少女に近寄れば、周囲から奇異な目で見られることを承知しているから。


(はーぁ、早く始まって、終わらないかなー。こんなに広いのに、居場所がないんだもの、居心地悪いわね~)


 天井に輝くシャンデリアがとても綺麗なので、眺めて過ごしていることにした。


「お姉ちゃん」


 ふと、真下から声が。


 同時に、土の臭いが鼻をついた。驚いてエリーゼが視線を下げると、案の定、泥だらけのアールベリア少年が立っていた。


「まあ! またケンカしたの?」


「ちがうもん!」


 じゃあ何をしたらこんなに汚れるのかと、問いただそうとしたエリーゼの鼻先に、ずいと突き付けられたのは、泥と根っこがぶら下がったままの小さな花束だった。


「あら、これどうしたの?」


「うーんと……お姉ちゃん、あのね……」


 不安そうに眉毛を寄せながら、わざわざしゃがんでくれているエリーゼの顔を、一所懸命に見つめる。


「お話、たくさん聞いてくれて、ありがとう。あのね、ぼくすごく嬉しかったの。それでね、あのね……」


「うん、それで?」


 スカートの裾が床につくことも気にせず、しゃがんで目線を合わせ続けてくれるエリーゼに、少年の顔がみるみる真っ赤に。アワアワと言い淀んでいたけれど、意を決したように、目をぎゅっと閉じて、花束を持つ手にもぎゅっと力がこもった。


「お、大きくなったら、ぼ、ぼくの、お嫁さんになっ――」


 この日のために伯爵が雇ったハンドベル楽団が、開始の音楽を演奏し始めた。高温で澄んだ音色は誰の耳にも届き、賑やかなおしゃべりの場だった広場は、瞬く間に「権力者の誕生日パーティ会場」へと変貌を遂げた。


 開いた扉から何度も中の様子を伺っていた父が、さも初めて会場に入ってくるかのように振る舞いながら入場。賑やかな拍手に、片手を振りながら会釈した。


「あら、お父様が来ちゃったわね。おしゃべりは後にしましょうか」


「うん……わかった」


 少年はしょんぼりと、花束(中庭から勝手に引き抜いた)を取り下げた。


 なぜ泥だらけになってまで庭の花を……しょんぼりする少年が気の毒で、エリーゼは花だけは受け取ろうかと提案しかけた、その時、


「ベリル! ああ、なんでこんなことに」


 白髪の老紳士が駆けつけて、愛息子を抱え上げようとして「う、腰が」とすぐに断念した。


「パパ、大丈夫?」


 泥んこの少年が、父の上着に付着してしまった泥を指で払う。


 ふと、目の前でしゃがんだままでいるエリーゼに気づくなり、彼の父が大慌てで「どうかご起立ください! せっかくのドレスが!」と急かすので、エリーゼは立ち上がって会釈した。


「ごきげんよう、貴方がヴォルフェンス男爵ですね」


「息子が何か、失礼をいたしませんでしたか? ああ、なんでこんなに泥んこなんだ。いつもはおとなしい子なんです」


 つい数時間前、年上相手に中庭でケンカしていたが……家だと物静からしい。


 エリーゼは笑顔で首を横に振って見せると、男爵はほっとして、


「来なさい、トイレで顔と手を、それと着替えは持って来てたかな、ママに相談しなければ」


 泥んこ少年を急かすと、会場を後にした。


「パパ、ごめんなさい……」


 父親に手を引かれながら、しゅんとする小さな背中がエリーゼの印象に残った。


(ずいぶんとご高齢のお父様なのね。ようやっと授かった男の子ですもの、さぞアールベリア君のことが可愛いでしょうね〜)


 家族に愛され、大事にされている少年。天井のシャンデリアよりもステキな光景を目にしたエリーゼは、一人ニコニコ。まるで一輪の花のようなその姿は、数年後には縁談が殺到するほどの美女へと成長する予感を周囲に抱かせた。その一方で、彼女の不遇が過ぎる生い立ちが妨げとなり、十年先まで縁談がないことなど、当のエリーゼには全く予想できないのであった。


(あら、いつの間にかお父様の仰々しいスピーチが終わってたわ)


 それが始まっていたことさえ興味を失っていたエリーゼの耳には、何も入っていなかった。


 久々に見る父は、一段と腹が出ていた。もともと甘い物とお酒が大好きで、痩せたらハンサムなのにと、使用人からも陰口を言われる程。それが今日、さらに悪化している。


 父の後ろには、辺りを興味深そうにきょろきょろしている、ネオンの姿が。アールベリア少年と同じで、今年で五歳になる。


(お父様のスピーチが終わったってことは、次は恒例のアレが始まるわね……)


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