第6話 久しぶりの、父との会話
別館でドールハウスの主役のように過ごすエリーゼは、アールベリア少年に文通を試みることに。
しかし、父と数多の使用人から手紙を出すのを反対され、家紋の付いた封蝋など、もっての外だと……。
(私は外にいる誰かに、手紙も出せないの!?)
絶望するエリーゼを哀れんで、内緒で届けると名乗り出た使用人もいたけれど、この手紙が確かにエリーゼからの物であると証明できる「封蝋」を、伯爵の文机から拝借させるなんて、とてもできなかった。徒歩で届けてもらおうにも、あの少年の領土は非常に特殊であるため、道に詳しい者でなければ、確実に迷ってしまう。
何か他に良い案が思い浮かぶはずだと、別館の窓辺で一人、ぼんやりと物思いにふけってみるけど、湧き上がる悔しさが身を震わせるばかりで、初めて悲しみに押し負けてしまった。
(ごめんなさい、アールベリア君。私は貴方の理解者失格だわ)
自分のような思いをさせたくない、そんな気持ちから生まれた励ましの手紙など、もしかしたら少年には必要ないのかもしれない。自分自身が、誰かとつながろうとしていたのだと、エリーゼは初めて自覚した。
(己の境遇一つ変えられないだなんて。本当にただ生かされているだけだわ、お人形さんと何も変わらないじゃない、どうすればいいの……?)
あの土まみれで根っこの付いたままの、不器用な花束。受け取っておけばよかったと、エリーゼは目を伏せた。ドライフラワーに加工して、私室の壁に掛けて過ごしていたかった。
別館からの脱走を決意し、こっそり庭師に借りたはしごを使い、屋根によじ登ったところをメイドたちに発見されてしまい、数多の男手に引きずり下ろされること数百回。
エリーゼはすっかり心が折れてしまった。母亡き後の孤独は、とても長くて、辛いものだった。このままここで飼い殺しにされるくらいならと、何度も脱走を試みたけれども、中途半端に高貴な身分を与えられた自分を、許す者は周りにいなかった。
度重なるエリーゼの脱走により、本館に呼ばれる頻度が皆無に。事実上の軟禁状態になり、エリーゼが様々な本を読んで知識を蓄えていく楽しみも、奪われてしまった。
(シュトライガス家の女は、秘密を把握し守ること……今の私では、お母様の教えも守れないわ)
永らく封印されるような日々が過ぎ、エリーゼが二十歳を迎えた翌日、父から唐突に本館に呼ばれた。父の自室まで同行者もなく向かい、父の口から「婚約者」の候補先を列挙されて、それでもエリーゼは戸惑わなかった。
感情がほとんど、消えてしまっていたから。
(いつだったかしら、お姉様のうちの誰かが言ってたわね……お父様の急な呼び出しはいつものことだし、急な思いつきだって、いつものことだわ、って。そしていきなり中断して、無かったことにするのも大得意なのよね)
候補先は三つ。名前だけなら聞いたことがある隣国の第三王子、今日まで存在すら知らなかった父の遠戚の老人、そして二十二歳になっても独り身であるダニエルだった。
(ダニエル君が? どうしてまだ独身なのかしら。あの子もネオンみたいに、お家の後を継がなければならない立場なのに)
エリーゼが驚いていると、椅子に深く腰掛けたままの父が、鬱陶しげに目を合わせてきた。でもまたすぐに視線を逸らされる。
「もうお前もイイ歳だ。いつまでもここに居られては、妙な噂が立ちかねん」
なるほど、世間体を気にする父らしい意見だと、エリーゼは納得した。自分たち
(それにしても、第三王子様だなんて大層な候補先、お父様だったらなんとしてもお姉様たちを当てがいそうなものだけど……あ、そう言えば、最後のお姉様もお嫁に行ったんだったわ。ずっと本館から遠ざけられてたから、顔も合わせる機会がなくて、忘れちゃってた。興味関心が無いのは、お互い様だわね)
候補先のざっくりとした説明を受けていると、父が咳払いで区切りを入れた。
「儂はお前に幸せになってもらいたくない」
「……」
「遠戚の頑固ジジイを候補に入れたのは、儂だ。お前に変な権力や妙な立場に就いてほしくないからな。我がシュトライガス一族は、敵対すれば例え身内であろうと容赦はしない。お前が将来、ネオンの政敵になられては困るのだ。わかってくれるな?」
「返事が必要かしら、お父様」
今日ばかりは、エリーゼは理不尽に耐えられずに声に、顔に、態度に出した。母と自分の誕生日に、一度だって別館に来てくれなかった、母の名前を毎度呼び間違えた、そして今日までエリーゼの名前を呼んでくれたことはなかった。
「ジジイは大病を煩っている。あの調子では長くもたんだろう。幸い我が国では、女に財産権はない。無一文になった未亡人のお前は、再び儂の元へ戻り、別館で母親の墓の面倒を見て暮らせ。生娘でなくなった女に、縁談など来ないだろうからな」
長い間、感情を忘れていたエリーゼの目に怒りの炎が灯った。それは自分を死ぬまで飼い殺しにしたい父の旨を知ったからではなかった。
「そのような言い方、母があんまりに気の毒です! 母は最期までお父様を愛していましたのに!」
「面倒を見てやってたんだから、愛情が儂に向くのは当然だろう。動物の赤ん坊が、飼い主に懐くのと同じだ」
あまりのことに、エリーゼは言葉が一切口から出てこなかった。絶句も怒りも度合いが過ぎれば、どの言葉に乗せて叫ぶべきか、それすら判断できなくなるのを、エリーゼは知りたくなかった。
「もう良い、下がれ。これから妻と二人きりの時間だ」
伯爵は椅子から立ち上がると、暖炉の上に飾った正妻の大きな肖像画を見上げた。ゆっくりと歩み寄ってゆく。暖炉の上には、紫色の蝋燭が刺さった金の燭台が置かれており、マッチを擦る音、次に炎が静かに灯る緊張感が産まれた。
(誰の趣味かしら、不気味な燭台ね……。ん? 三股に枝分かれした燭台の真ん中に、紋章が彫られてるわ。あの紋には、見覚えが……思い出した、アールベリア君の家紋だわ)
苛ついた視線に気づいて、エリーゼもムッとした。
「ごゆっくり、お父様」
まだ怒りを殺しきれない声を震わせながら、エリーゼは独り、父の部屋を後にしたのだった。
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