第4話.さようなら
「それでね、今は――」
そうみーちゃんが言いかけたところで、僕たちの会話を邪魔するような大きな声が突然後ろから響いた。
「ママー!!」
声の方を見ると、鼻を垂らした少し太めの小さな男の子が走ってこっちに向かってきている。茶髪に襟足の長い髪型は、なんとなく記憶にある満男を彷彿とさせた。
でもおかしい。近くに小さい子供の母親になりそうな人はいない。僕は常に周囲を探知しており、周りにいる人はみな把握していた。
ちなみに、気づかれていないと思っているようだけど、僕を監視している人が周辺に十七人、少し離れた建物に八人いることは分かっている。それに、上空には小さいヘリコプターみたいなやつと、更にその上からは衛星(?)ってやつが常に僕を捉えているようだ。敵意はないようなので生かしておいてやっているけど、うざったいから後で各国の政府に抗議しておこう。
その子供は、相変わらず大きな声でママーと叫びながらこっちに向かってきている。
もしかして迷子なのかな? いや、まっ、まさか……。
君は顔を曇らせると突然立ち上がり、子供の方へと駆け寄っていく。すると、その子供は飛び込むように君に抱きついた。
「たっくん、どうしたの? バーバは?」
「ババアはうるさいからママのところに来た!」
君を見上げた子供が苛立った声で言う。
「そうなの。ママね、今お友達とお話をしているから、もうちょっとだけバーバのところにいてくれない?」
そう君が優しくなだめるも、子供は寝転がって嫌だ嫌だと駄々をこねている。しばらくすると、僕の存在に気づいたのか子供は立ち上がり、こちらを睨むとビシッと僕を指差した。
「さては、てめえは悪の怪人だな! このカマドウマ野郎! このたっくん様が退治してやる!」
そういえば魔物にもカマドウマみたいなやつがいたな。あれと同じと言われるのは心外だ。
蜂や蝶はまだしも、ゴキブリやゲジゲジ、あとカメムシとか、ああいう系のやつは本当に苦手だった。近づきたくないので、いつも遠くからファイヤーボールをお見舞いしていたけど、虫の焼けた匂いはそれはそれできつかったりする。
勇者である僕を一方的に悪者扱いすると、制止する君の手を振りほどき子供は僕の方へと駆け出した。
「おりゃあ、たっくんキック!」
そして勢いそのままに僕に蹴りを入れる。キックにパンチ、やりたい放題。
僕は反撃も
まぁ、
魔王軍、特に四天王との戦いでもやり過ぎてしまうことがよくあった。街や山などを吹き飛ばす度に、領地が減ったと王様に愚痴られていたものだ。
「こら! やめなさい!」
一心不乱に僕を攻撃している子供を君が後ろから抱き上げた。子供はジタバタと暴れている。終いにはつばを吐きかけてくる始末。さすがに汚いのでそれは防御魔法でそっと防いでおいた。
君に叱られ、不貞腐れた様子で顔を逸らしている子供。反省の色はなく、叱られている最中も僕を
そんな中、子供が来た方から一人の女性が息を切らして走ってきた。遠い記憶、確かみーちゃんのお母さんだったと思う。
二十年という歳月以上に、かなりやつれたように見えた。昔はもっと、今のみーちゃんみたいにふっくらとしていた気がする。
おばさんは僕がいることが分かると、気まずそうな様子で軽く会釈をした。僕もどうもお久しぶりですと返す。そして、暴れる子供の手を無理やり引いて、おばさんは来た方へと去っていった。
嵐のような子供がいなくなり、ほっと一息つく。
「かーくん、ごめんね。うちの子が」
うちの子……、やっぱり君の子なんだ。僕は落ち込んだ表情を隠しきれなかった。
「あっ、いや、大丈夫だよ」
すぐに平静を装い、子供の蹴りで汚れたスボンを手で払う。浄化魔法を使えば一瞬で綺麗にできるけど、君を驚かせたくはない。それに目立っても困る。
「子供、いるんだね」
お互いもう二十五歳、子供がいても不思議じゃない。本来なら友達に子供が出来たら嬉しいはず。でも、素直に喜べない。子供の存在、そして君の人生を否定してしまっているようで、そんな自分が嫌だった。
「うん。もう五歳になるの」
五歳、僕が異世界に召喚された歳だ。僕もあの頃はあんなだったのかな。
いや、どうだろう。僕はどちらかというと大人しい子供だった。さっきの粗野で乱暴なクソガ……、いや元気な子とは違う。それに、穏やかな性格の君とも違うので、おそらく父親似なのだろう。
「えっと、父親……、旦那さんは?」
そう尋ねると、君は苦笑いしながら首を横に振った。
「いないの。あの子が生まれる前に別れちゃってね」
離婚したとはいえ、一度は一人の男性を深く愛し結婚をした。その事実を僕は認めたくなかった。僕の知らない君が、どんどん僕の中で大きな割合を占めていく。
「マッチングアプ……、あっ、かーくんには分からないか。えっと、なんていうか、お見合いみたいな感じで知り合ったんだけど、すごくノリがよくてね、見た目は色黒のムキムキで頼りがいがある人だったの。子供が出来た時だって喜んでくれてね、俺に任せろって言ってくれたんだよ」
色黒でムキムキ、
「でもね、結婚して一緒に住み始めてすぐに、家に帰ってこなくなっちゃって。心配して警察にまで行ったんだけど、数日後にやっと連絡がついたと思ったら、他に好きな
「そんなことが……」
異世界に召喚された僕は大変だったけど、君も君で色々と苦労したんだね。君が大変な時に、そばにいてあげられなかったことが悔しかった。そして、君を大切にしなかったその男に殺意が湧く。
「そんな怖い顔しないで。子供は可愛いし、今はとっても幸せよ」
晴々とした顔でそう言う君。もう吹っ切れているようだ。その男をこの世から消し去ってやろうかと思っていたけどやめておこう。
「ただね、時々思うの。あの子にちゃんと父親がいたらなぁって。寂しい思いをさせているんじゃないかって、申し訳ない気持ちになるのよ」
そう言うと君は、切なそうな表情で川の流れの方へ視線を移した。そんな君の横顔を見て、思わず出そうになった言葉を僕は飲み込んだ。
「みーちゃんなら……、みーちゃんならさ、きっと素敵な旦那さんが見つかるよ」
飲み込んだ言葉の代わりに、当たり障りのないことを言っている自分が情けないしカッコ悪い。
「ありがとう。実はね、今働いているお店の常連さんで、いつも私を指名してくれる人がいるんだけど、すごくいい人でね、どうかなぁって思っているの。年はかなり上だし、かーくんみたいにカッコよくもないんだけど、一緒にいてホッとするのよ」
照れくさそうに頬を赤らめながら言う君。はにかむその表情は幸せそう。君のその様子に、安堵してしまっている自分がいた。
「そっか……、頑張ってね」
「うん」
君は笑顔でうなずいた。
「じゃあ、お母さんが心配だし、そろそろ行くね。かーくんと話せてよかった」
「うん、僕も」
君は手を振ると、あの頃と同じように土手の道を橋の方へと歩いていく。夕暮れ時、遠ざかる君の背中。幼い頃、毎日のように見ていた姿と重なる。
もしも僕が異世界に召喚されていなかったら、君と寄り添って生きていけたのかな。そして、今の君の隣にいれたのかな。
いや、もしもなんてない。今のこれが現実で全て。
なんの為に戻ってきたのか……、なんの為に会いに来たのか……。こんなはずじゃなかったと、君の背中が遠ざかるほどに悔しさと切なさが膨らんでいく。
僕は唇を噛んだ。このままでいいのか、そんな想いが胸の奥を電気のようにチリッと走った。
「みーちゃーん!」
僕は思わず叫んでいた。小さくなった君が叫び声に気づいて立ち止まる。
「どーしたのー?」
振り返ると両手を口に当てて大きな声で君が返した。
「ねぇー! 憶えてるー?」
「なにがー?」
僕は拳を強く握りしめた。そしてありったりの声で叫ぶ。
「大きくなったら、みーちゃんを僕のお嫁さんにするって約束したよねー!!」
僕の言葉に君は驚いた様子で目を丸くしている。どんな答えが返ってくるのか、僕は固唾を呑んで待った。ドキドキと高鳴る鼓動。
君は一瞬悲しそうな表情を見せた後、顔を伏せて小さくフフッと笑った。顔を上げ、こっちをまっすぐ見据える君の顔には、あの頃の優しい笑顔が湛えられている。
「そうだっけー? 憶えてないよー!」
そっか……、うん、そうだよね。
じゃあねーと歩きながら笑顔で大きく手を振る君。僕も目一杯、大きく手を振り返した。
みーちゃん、ありがとう。そして……、さようなら。
もう会うことはない、そんな気がした。
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