20240612

 ここは嵐の海だ。わたしは男で、腰までを海水に浸している。波が荒れて体が飲み込まれそうだった。「あ"」という声がして、陸の方を振り返った。ショートヘアの、白い服の女性が立っている。わたしは彼女と顔見知りだった。この街に訪れて右も左も分からないわたしに声をかけてよくしてくれた。

 そんな彼女の額に、真っ黒な丸い穴が空いている。その周囲には喧しく騒ぎ立てるカラスが飛んでいる。ああ、カラスの長く硬いくちばしに、彼女の若くはりのある白い額は突かれたのだ、と分かった。暗黒の穴から一筋の血液が流れる。

 彼女はわたしに、穴の空いた顔で明るく繕った声をかける。この街で一緒に散策して楽しかっただとか、この前行きそびれたお好み焼き屋は一人でも絶対に行ったほうがいいだとか、そういうことばかり矢継ぎ早に言って、笑う。ずっとカラスが鳴いている。呼び声に誘われるようにどんどん羽数が増えて、彼女の顔の周りを大量のカラスが旋回し、次第にそのどれもが、くちばしで彼女の頭や顔面を啄んでいた。短い悲鳴を繰り返す彼女を助けに行こうにも、海が荒れてわたしは波に呑まれることしかできない。

 最後に、彼女はわたしの名前を呼んで、やっと泣きそうな顔をして「助けて」と言った。顔なんてもう存在しないはずなのに。

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