20110903

 学校の、中庭を跨ぐ渡り廊下で、仲間が一人ずつ消えていった。いや、違う。私が箱を被せて消していって、私と彼だけになった。

 快晴で、野球部やテニス部が声をあげて練習しているのが見える。私は「ここにいて」と言い残して一人で行ってしまった彼を探すことにした。幼なじみてある彼の名前を初めて叫んで、泣きそうになりながら叫んで叫んで中庭を抜ける。名前を叫んでいるはずなのに、何を叫んでるのか分からない。たったひらがな三文字の名前が思い出せない。


 辿り着いた非常階段の影で、二人のクラスメイトが幸せそうに抱き合っていた。彼女らに言われ、そのまま脇を通り非常階段を上る。鉄のドアノブを鍵を押しながら回すと、そこは音楽室だ。


 グランドピアノの鍵盤から、彼の上半身がはみ出ていた。


 駆け寄って、彼の手を取り両手を合わせて指を組んで、引っ張り出そうと足掻いて鍵盤を鳴らして、息を飲む。何かが廊下を歩いているのがわかる。そして、音楽室に入ってくる。人じゃない白いものが。差し込む日差しできらきら埃が輝く昼の音楽室に似つかわしくない化け物の気配が、恐ろしかった。

 けれど、それは去った。

 代わりに気が付けば、緑色の、小柄な、歯がびっしり並んだ口を開けた何かが近くにいた。思わず彼の手を離して下がってしまった。緑の化け物はピアノから身動きが取れない彼に向かう。

 そうだった。前に、たしか、いつだったか、彼と音楽室で今とまったく同じ状況でこの緑の化け物に遭遇して、私は化け物が彼に向かっている間に扉を開け非常階段を駆け降りて逃げ出してテニスコート横の砂利を蹴って走って化け物が彼を食べ終わって私を追ってきていつの間にか背後にいた緑に頭から食われて死んだのだ。

 思い出した。思い出してしまった。

 今逃げたら一緒だ。

 彼を残して逃げるなんてだめだ。

 だって彼は私が逃げたことを少しも怒らずに、いつも通り頼りなくへにゃっと笑ってたんだ。でも、私に彼を助ける術なんてない。化け物を追い払う方法は彼しか知らないし、そもそもこいつは前回追い払うことができなかったからまだここにいるのに。二度目の挑戦である今だってきっと成功はしない。


 結局ただ緑に食われていく彼を見ているしかなかった。ずるりと口の中に消えた幼なじみ。頭の中がぐるぐる回る。食べられるの痛いかな、痛いよなきっとひどく痛いんだ前の夢で食べられたとき痛かったっけ?

 覚えてないなあ嫌だなあ逃げたいなあ痛いの嫌だなあ。

 眼前の緑の体が肥大した気がした。さっき彼を食べた口が私の頭を軽々包み込むほどに開く。壁にもたれていられずに、ずるずるしゃがみ込んだ。

 大丈夫。夢だからきっとこんなの痛くない。心臓がうるさくて目を閉じる。ぐしゃりと自分からひどい音がして、頭から食べられ、肩から胸も飲み込まれていって、腹から下が食われる頃には景色は真っ暗で時々赤い光りがちかちか光って咀嚼される。気持ち悪い。感覚はあれど痛みはまったくなかった。なんだ、痛くないじゃないかと安心した。



---



 映像と写真を見るかぎり、その幼い姉妹は死んでいた。森の中、それは悲惨な光景だった。樹の幹で横たわる姉の白いワンピースは血に染まって、色々なものが飛び散っていて、ぐにゃりと草の上に放り出された手足は青白かった。

 同僚が言う。

「どうも食い荒らされた形跡があるんだよ」

 姉の死体は主に腹の辺りが足りていなかった。脳内に妹の記憶がフィルム映画みたいに流れ込んで来る。姉の死を目の当たりにした妹は姉を食っていた。気が狂ったわけではない。妹の中身は悲しさと怒りと愛でいっぱいだった。自分と一緒に姉を生かそうとした。その手段として彼女が導き出した答えが食べるということだっただけだ。

 妹は姉を食べたあと、森の中を走って外を目指したけれど、姉と同じく血も内蔵も散らばり致命傷だったのだから生きていられるはずもなく、呆気なく死んだ。

 私達は姉妹の死体を処理しに、森へ向かう。

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