何者?

和屋

「何者?」


30歳にもなり自分は何者なんだろうかと考える事がある。


平日は会社に行き仕事をして家に帰り飯を食って風呂に入り寝る。

休日はYouTubeを見て漫画を読みアニメを見てネット小説を読む。


若い頃は自分はいつか大きな事をするんだと根拠の無い自信を持って生きていた。しかし30歳になりさすがに気づく。「自分は平凡な人間なんだ」と。



同年代の大谷翔平はおそらく野球というスポーツが無くならない限り語り継がれる伝説的な選手になった。大谷翔平のプレーで毎朝元気をもらっている。ボクシングの井上尚弥は世界的に評価されにくい軽量級で日本人で初めてのPFP1位になり、日本人史上最強のボクサーになった。井上尚弥の試合は毎試合心が熱くなり感動する。



10代、20代前半を共にした仲間、友達と会うと「子育て、仕事と大変だけど子供達を見てると頑張れるよ。」と立派な親になった。一緒にくだらない事をした友達は家族を背負って良い顔をするようになった。



それに比べて自分は何者なんだろうか?

この人生の意味はなんだろうか?




そんなことを考えていた3月。鳥山明先生死去のニュースが流れてきた。

最初の感情はもちろん「悲しい、寂しい」小学生の頃弟とテレビに張り付いてアニマックスで放送されていたドラゴンボールのアニメを見ていた。自分がアニメ、漫画を本格的に好きになったきっかけだったと思う。もう鳥山明先生の新しい作品を見ることは出来ないのかという悲しさでいっぱいだった。

ただ、そんな悲しいという感情は数日後「すごいな、うらやましい」という感情に変わった。亡くなって数日、国内外で鳥山明先生を惜しむ声を沢山見た。この人はこんなにも作品を通して沢山の人の人生を豊かにし影響を与えたんだということが改めてわかった。そんな人生を歩んだ鳥山明先生に対して尊敬と羨望の気持ちでいっぱいになった。



自分が死んだ時に本当に悲しむ人間はどのくらいだろうか?

両の手いれば十分。おそらく片手で足りるだろう。

死に様は生き方を写す鏡という言葉をふと思い出した。




ネット社会で人と強く繋がらなくても生きていけるようになった現代。

なんとなく仕事をして、なんとなくコンテンツを消費するだけだと死ぬ時に何も残らない。自分の人生はただただ虚しいと考えるようになりこんな文章を書いている。

誰かにとっての「何者」かになりたい。


もちろん「何者」かになるのは並大抵な事じゃないのはこの30年でわかっている。だから自分の好きなことをしっかり楽しみながら継続して「何者」になれるチャンスを狙うつもりだ。今は二つの事に挑戦している。

一つ目は自分の考えた物語が漫画化、アニメ化し多くの人に届き愛されるようになる作品を作る事。

二つ目は現在試作品まで作り終えた。これからいろいろと調整をしながら世に出すつもりだ。

全然見向きもされない可能性の方が高い。だが悩んでただけの日々より充実している。

いつかこれを読んでくれたあなたにとって「何者」かになれるように日々精進していこうと思う。

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