第15話 黒いリンゴと失われた景色

昼休みになると、ひじりが屋上に「相沢二斗あいざわにと」を連れて来た


二斗にと、アルキ先生には事情を説明したよ」

ひじり……ぼくは、もう絵を描かなければいいだけなんだ……だから相談なんていいよ」

 相沢二斗あいざわにとはクラスであまり目立たないタイプの人間だ

 勉強は出来るが、それもこれも全て「美術」のためにやってきたこと。父親が画家であり、二斗がその道に進もうとすることは自然なことだった


「二斗、アルキ先生は別格だ!それに僕は二斗の絵が好きなんだ!諦めて欲しくない!」

ひじり……」

「わたしとうめ、ずっと二斗達に助けてもらってるから……わたし達も、探究科のみんなと一緒に授業を受けれるように頑張るから!……二斗も「夢」を諦めないで!」

百地ももちさん……」


 二斗は二人の後押しを受けてアルキのほうを見る


七面ななおもて先生、ぼく……「兎角」なんだ……大変な事をしてしまったんだ……みんなと一緒にいても良いのかな?……」

「相沢……いや、二斗!絵を描いてくれないか?」


「「「――!」」」


 アルキは午前中に準備していたのか、画材を準備して「赤いリンゴ」をその場に置いた


 リンゴは赤い。当然の事だ……しかしアルキは「黒いリンゴ」をこの目で見たわけでは無い

 このリンゴが本当に黒くなるのか、検証のためにも描いてもらう必要があった


「俺は実際に見たわけではない……だがある程度の推測が立っている、確認したいから描いてみてくれないか」

 

「……いいんですか?描いても……」

二斗は震える手で画材を受け取る


「大丈夫だ、お前の「兎角」は暴走しない!安心して描いてくれ」

「……はい」


 アルキとひじり、そして杏子あんずが見守る中、二斗は震える手でリンゴを描き始める


 はじめは震えていた手も描き始めた二斗にとは、集中する。震える手がピタリと止まり、自分の世界に入り込むと、凄まじい勢いでえがき始めた


「赤いリンゴ」に変化はない。


描き終えた二斗は不安気ふあんげに三人のほうを振り返る


「大丈夫みたいよ……」

「みたいだね……描いても問題ないのか?」

ひじり杏子あんずは疑問を浮かべて顔を見合わせる


二斗にと、色もつけてくれないか」

 アルキはアクリル絵の具を取り出して準備する。


 その様子を見ている二斗は、緊張からか、額から汗が流れる……


「怖いです……七面先生」

 二斗は正直な気持ちをアルキに伝える。その幼く不安な表情は、助けて欲しい、と言わんばかりに怯えていた

「今はツラいかもしれないが自分の「兎角」と向き合う時だ、頑張ってみてくれないか?」


「……」


 二斗にとは、アルキの優しい声に答えるように、アクリル絵の具を受け取った。「赤い色」を取り出すと、キャンバスに描いたリンゴに色をつけていく。


 すぐに変化が起こる……対象物である「赤いリンゴ」はみるみるうちにその色を失い、「黒いリンゴ」になったのだ


「「「――!」」」


 二斗の「キャンバスの中のリンゴ」は赤い


 だが「描かれた対象のリンゴ」は黒い


 黒くなったリンゴを見て、二斗は再び震え出す、そんな二斗を支えるように肩を抱くアルキは、優しく声を掛ける


「上手いもんだ!さすが天才相沢芳雄あいざわよしおの息子だなぁ……いや……すまんお前の親父は関係ないか、お前の才能だ!」


「――!知ってるんですか?父のこと……」

「知らないほうがおかしいだろ!?あの相沢芳雄だぞ!海外でも高い評価を受けているし、最近は……活動していないようだが……どこか体調でも悪いのか?」


「ぼくのせいなんです、ぼくは父に見限られたあげく……あの人の大切なモノを奪った張本人ですから」


「聞かせてくれるか?「失われた景色」について」


 アルキは優しく包み込むような声で二斗にとに問い掛ける。

 ひじり杏子あんずが心配そうに見守る中、しばらく沈黙していた二斗は、「黒いリンゴ」を見つめたまま語り出した


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            |


「父は優しかった。僕達は幸せだった、だけど僕のせいで、父の大部分を占めていたモノが、失われたんだ.....」


 相沢芳雄あいざわよしおは現代の画家の中でも成功している人物だと言える

 彼のえがくモノは「風景」が主だ。現代らしく美しい風景を写実的に描いて、これほど評価されることは珍しい


 写実的なのに幻想的に描く彼の技法は、「天才」という名に相応しいほど美しかった


 初めて評価された作品「おもう景色」から大ブレイクした相沢は、この作品についてこう語る


「今まで何度もこの景色を眺めるたびに、湧き上がる感情が異なること、その時に抱えている気持ちによってまったく違って見えることから、このタイトルにしました……これは私の画家としての原点となる場所であり景色です」


 相沢にとってこの景色は妻との思い出の場所でもある、画家としての彼をずっと支え続けてくれた妻の大好きな場所が、この「憶う景色」なのだ


二斗にとは相沢家の次男として誕生した。

 

 長男は画家として才能も興味もなく、全てを引き継いだのは次男の二斗だった

 二斗の才能に気付いた相沢は厳しくも愛を持って教育し、「憶う景色」の場所へとよく連れて行っていた

 

「二斗、いつかお前の描いたこの景色を、見てみたいものだ」

「うん、ぼくも大きくなったらお父さんみたいな画家になりたいんだ!」

「そうか、楽しみにしてるぞ」

 まだ幼い二斗を連れて行ってはそんな会話をしていた。



相沢芳雄あいざわよしおは次から次へと描く作品が、世界に認められていく

 だが二斗が修徳高校に入学した頃、相沢家を襲った悲劇……妻の死が相沢を変えてしまった。


 愛する妻を失った相沢の絵には色がつかない。色をつけられなくなった事が苛立ちを生み、その苛立ちの矛先は才能のある二斗へと向いた


「何だ、その絵は!全然ダメだ!」

「お前には才能が無い」

「俺の真似ばかりするな!」

「お前みたいなやつが画家になれるはずがない」



「お前の描く世界には色が無い!」



尊敬する父親から罵られ、否定され、二斗にとは自分に自信が持てなくなり、暗い精神の奥底で触れる


暗黒物質ダークマター」を観測したのだ……


 自分が「兎角」に目覚めたことに気付かないまま事件は起きた

 修徳高校の美術室でリンゴを描いた二斗には何が起きたのか理解出来なかったのだ。

 

 赤かったリンゴが黒くなったから……


 それが自分の能力とは思わず、逃げるように美術室を後にした二斗は、心を落ち着かせるため帰りにあの場所へ向かう

 

「憶う景色」で相沢芳雄が描いた場所


 尊敬する父がいつか二斗の描いたこの景色を見たいと言ってくれた場所


 今の自分なら、どうえがけるのか……画材を慌てて持って出た二斗には、描く事が出来る


 二斗は夢中で描いた、母が亡くなった事、兄は大学に行き、家を出て寄り付かなくなった事、尊敬する父親が変わってしまった事……そんなことを「おもい」えがいた


キャンバスには美しく幻想的な風景が広がる


しかし目の前にあるはずの景色には「色」が無くなっていた……


 目の前の景色は、黒い世界が切り取られたように存在する。二斗はその時初めて自覚する……自分が絵を描くと「対象の色を奪う」ということに


 この事はたちまち事件として取り上げられ「失われた景色」と名付けられた


 相沢芳雄は妻を失い、大切な場所も失ったことで、今では絵も描かずに抜け殻のようになっているという


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           |


「……二斗にとありがとう、教えてくれて」

 

「いいえ……だからもういいんです。ぼくは修徳高校の探究科です!勉強は出来るのでみんなと卒業目指して頑張りますので……先生が探究科のためにしてくれている事も知ってます!絵を描かなければ、みんなと卒業出来るんですから!七面先生には「兎角」のこと内緒にしてもらうから、迷惑かけるかもしれないですけど……ぼくが絵を描けないからって死ぬわけじゃ無いですし……大丈夫ですよ!」


二斗は全てを語り、ずっと悩んでいた事を話したことですっきりしたと、笑顔で言った……笑顔で言っていたが涙は流れていた

 

「……二斗……大丈夫じゃないだろ?……気付いてないのか?お前は今、泣いてるんだぞ!絵が描けない事を「おもい」、心から悲しんでいるんだ!好きな事を諦めるな!大好きなお父さんに「いい絵」だなと認めてもらいたいんだろ!?描け!描いていいんだ!なぜならお前の能力は「唯一無二の画家」の能力なんだから!」


「「「――!」」」


 アルキの言葉を聞いた三人は耳を疑った


 アルキはたしかに言ったのだ「唯一無二の画家」の能力だと……二斗にとの「兎角」は「キャンバスに色を付けると、対象の色を奪う」……しかしこれがどうしてそんな風に思えるのか……なぜそう言い切れるのか


 アルキの次の言葉に耳を傾ける。今の二斗には涙が流れていない。「希望」を抱いてしまう……七面歩ななおもてあるきの言葉には説得力があるから……自分はまた絵を描けるのではないか、「夢」を持っていいのではないか


「二斗、お前の能力は「色を奪う」ではないよ!……物体にはそもそも色が付いているわけではない事は知っているか?」

 

「――!そうか!さすがアルキ先生」

 ひじりが素早くアルキの言わんとしている事を理解する

「はぁ?どういうこと?」

 杏子あんずは勉強は出来るが、ひじりほど勘がいいほうではないので怪訝けげんそうに質問する


「……はい……言われてみればたしかにそうですけど……だからといって結果としては「色を奪う」ことになっています!」

 二斗にとも杏子と同様にアルキの一言では完全に理解出来ていないようだ


「簡単に説明すると「光の三原色」である「赤・緑・青」は分かるよな!色は「光源色」と「物体色」の反射と吸収によって見え方が変わるから、その物体自体が色を持っているわけじゃないんだ!」


三人は授業を聞くようにアルキを見つめる


「「リンゴは赤い」……のではなくリンゴは赤を多く反射して緑と青を吸収しているから「赤く視える」……つまりお前の能力は「物体が持つ光の反射率」を高くしたり低くしたり出来る能力なんだ」


「――!それって……」


「つまりお前には「黒いリンゴ」も「失われた景色」も再び色を付けることが……いや厳密に言えば「兎角」を使えばより美しく「反射」させることが出来る!」


「「「――!」」」

 

「す……すごい……アルキの発想……」

「アルキ先生!じゃあ二斗は絵を描くことが出来るんだね!」


「もちろん!「描く」なんてもんじゃない!誰よりも「美しく反射」させる事が出来るんだぞ!まぁ気をつけるべき事は、キャンバスに色を付けると対象の色は再び失われる事……かな!」


「――えっ?キャンバスに色は付けられない?……」

 

「ああ、お前の能力を「スポットライト」と名付けるとする。この「スイッチ」はキャンバスなんだ!色を付けると対象の「反射率」を変えてしまい、色を奪う……だからキャンバスに色は付けられない」


「……そんな……それじゃ画家はやっぱり……」


「俺は言ったよな「唯一無二の画家」だと!つまりキャンバスの中の「絵」にお前が命を吹き込むんだよ!キャンバスの木々に空に大地に……それぞれ「反射率」を調整するんだ!お前には絵の具なんて必要ない!能力のコントロールには大変な訓練を要するかもしれないが、自分の「兎角」を論理的に理解して、計算し「反射率」を調整するんだ!……お前なら出来る!」

 

「先生……」

 

「だってお前は天才相沢芳雄あいざわよしおの息子であり、唯一彼が嫉妬した画家なんだから!」


「――!」

 

「お前だけの「色づく世界」を見せてくれ、二斗!」


 二斗の表情に光が差し込む


 描いていい、「夢」を持っていい


 自分は父のように画家になれるかもしれない


 いつかきっと自分の「おもう景色」を描いてみせる

「……はい、ありがとうございます!……アルキ先生」


「――!ふっ……、一緒に頑張ろうな」

 

「兎角」である二斗の能力「光の反射率」をコントロールすることはそう簡単に出来ることではない。

 だが「夢」を持って進むことが出来るのは、それだけで原動力になる

 まずは「黒いリンゴ」を赤くする事から始める。いつか近いうちに「失われた景色」も色づくことになるだろう

 相沢二斗あいざわにとは修徳高校「探究科」の生徒として「色」を探究していく

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