当世 妖怪事象辞典

宮田秩早

まえがき

 本邦の妖怪学といえば、京都を発祥とする東アジア恠異かいい学会に加えて、東北大学(※)妖怪学部妖怪学科と山口県妖怪事象総合博物館(研究所併設)を中核メンバーとした妖怪事象学会が世界的にも有名である。

 本邦は古来より妖怪学の本場であった。しかしながら近年は、物語の妖怪たちは隆盛を極めているものの、肝心の学問的分野については停滞しているとの指摘がある。

 たとえば『毎年、全国で恐竜博は開かれても、妖怪博が開かれないのはいかがなものか』と、妖怪事象学会発行の『妖怪年報』において「読者欄」であるところの「端境はざかい」に投稿があった。

 投稿者である「匿名妖怪某」(※※)氏からは、「われわれはこれだけ人間に対してその存在を主張しているというのに、それを妖怪に対する感受性のいささか低い一般の方々に周知しないのは、妖怪学の専門家たちの怠慢ではないか」との嘆きの投稿があった。そしてその投稿は

「世に妖怪の真の事象を知らしめるため、学会関係者にはさらなる奮起を期待する!」

 という発破の言葉で締めくくられていた。

 我々妖怪学徒としては、この投稿の言葉に対していくつか釈明の余地はある。そもそも妖怪の存在を示す事象は、恐竜の化石のように博物館に大々的に展示できるものが極めてすくないのである。

 『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』や『鬼滅の刃』、『呪術廻戦』といったマンガやアニメだけでなく、もののけや妖怪を扱い、それを退治したりともに暮らしたりする物語は数多い。現代は空前の物語妖怪ブームだと表現してもよいだろう。

 にもかかわらず、妖怪事象総合博物館の「お客様アンケート」の選択項目の分布は以下のような惨状を呈している。


『妖怪事象総合博物館 ご来場者アンケート』

 本日のご来館、ありがとうございました! 本館の展示をお楽しみいただけましたか? よろしければ下記のアンケートにお答えください。お答えいただいたなかから抽選で毎月五名様に、素敵なグッズをプレゼントします。

 あなたは妖怪事象総合博物館に

□ぜひまた来訪したい 1%

□機会があれば来訪したい 1%

□子供がどうしても行きたいと言えば仕方なく来訪したい 3%

□もう二度と来ない 95%


 なんということであろうか!

 鳥取県にある水木しげる記念館や、広島県の湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)の来場者アンケートは全くの真逆、「ぜひまた来訪したい 95%」なのである。

「鳥取や広島の例に倣い、たくさん来場者を見込めるはずの妖怪博物館を誘致し、地域振興、税収ガッポリを期待していたというのに、まったくの期待外れだ」と、山口県からは嫌みを言われまくっているのだが、もちろんそれについて、所属研究員は気にしていない。と、いうか気にするべきではない。博物館の価値は税収の過多のみにて決めるにあらず、その学術的価値によって判断されるべきものだからである。そして妖怪事象総合博物館の学術的価値は、疑い得ない。

 そもそも妖怪事象とは精妙かつほのかなものである。アニメや漫画に登場する妖怪のようにババーンと登場したりグワッと襲いかかったり、ドバーン・キシャアッと戦ったりはしないものなのだ。そういうババーンを期待して妖怪事象博物館に来訪されても、困ってしまう。

 しかしながら、一般の来場者を受け入れている博物館としては、妖怪事象に対する感受性もなく博物館にやってきた入館者たちの不明に憤るばかりではいけないだろう。

 真摯に反省し、改善する余地はたしかにある。


 この本は、その匿名妖怪某氏の投稿に発憤した私が、近年の妖怪研究の最先端を紹介すべく書いたものである。

 どうかこの本をお読みになり、妖怪事象にたいする感受性を養っていただき、妖怪事象総合博物館に入館した歳にはその展示をこころから楽しんでいただければと思っている。そして我々に続く妖怪学徒を目指して欲しいとも願っている。


 ※紛らわしいが、宮城県仙台市にある国立東北大学ではない。こちらの東北大学は河童の頭数が全県民数よりも多いという噂のある岩手県立である。


 ※※妖怪を装ってはいるが、実際には妖怪ではないと思われる。

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