妖怪 ストロー

 その発祥は比較的新しいと思われがちだが、さにあらず。古くは葦の茎に憑いていた妖怪であると言われている。

 現代人が葦を利用することがすくなくなったため、明治以降、徐々にいまのストローに憑くようになったらしい。

 このことを明らかにしたのは東京を拠点に活動していた妖怪事象研究家 犀川小石さいかわこいし(1940-1984)である。

 犀川小石さいかわこいしは民俗学の大家、柳田国男の遺した研究ノートから、「『妖怪 ストロー』の前身が『妖怪 葦』であった説」の着眼を得たという。

 このことは犀川が昭和五十八年に発表した論文『日本神話における葦の表象と妖怪との関連について』に詳しい。

 ただし、現在ではこの論文についていくつか重要な錯誤があるとの指摘がなされていることも付け加えておこう。(※)


 とはいえ、『妖怪 ストロー』が、かつて葦の茎に憑いていたことについては覆らない。犀川の論文発表後、重要な……というか、かなり致命的な錯誤があったにもかかわらず、犀川の論文の内容は他の研究者の地道な調査によって、「かなり信憑性が高い」と結論づけられているのだ。


 この妖怪が憑くと、管状のものに対して、その用途とは別の用途を創造して使わせようとする。人間は「ホモ・ルーデンス」である(※※)との考え方があるが、『妖怪 ストロー』はまさにその人間の側面を利用しているのだろう。

 喫茶店に行き、ストローの飲み口の方を押さえてスポイト代わりにしてみたり、ストローの入っていた紙の袋を十重二十重に折り曲げ、そこにストローで水を垂らしてみよ~んと水を含ませることで延ばしてみたり、「どうしてそんなくだらないことをするのか」と思われるような行動をついついやってしまったら、『妖怪 ストロー』の存在を疑ってみるべきであろう。


 そういう次第で、犀川論文は『致命的な錯誤があるのになぜか結果的にただしい』という不思議な論文なのだが、もちろん、そうはいっても錯誤のうえに積み上げられた理論であるから、現在では「その示唆によって妖怪事象学の発展には功績があったが、論文自体は誤っており、その内容は価値が低い」とされている。


犀川小石さいかわこいし少名毘古那神すくなびこなのかみが葦を撓ませて飛んでいった点に、初源の『遊び』を読み取った。しかしながらそもそもスクナビコナが使ったのは葦ではなく粟であるし、『遊び』というより彼岸への乗り物的な要素が強い。

 このあたりについて議論を戦わせようにも、犀川は論文発表の翌年、亡くなっている。


※※オランダの歴史学者ホイジンガの用語。遊戯が人間活動の本質であり,文化を生み出す根源だとする人間観。

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