フィールドワーク例 妖怪にとっての半年

 妖怪たちに時間の概念はあるのか。


 それは妖怪事象研究者にとって興味深い研究テーマであり、いまだ「どう実証すべきか」解決の糸口すら見いだせない謎である。

 そもそも妖怪のある特定の個体を発生から消失まで、連続して観測することが不可能なのだ。妖怪とは、本質的に「行き逢う」ものだからである。


 しかし、先頃、衝撃的な研究結果が発表された。

 妖怪事象総合博物館嘱託研究員 タッシェン・レヒナー(※)が『季刊 妖怪の四季 2023年夏号(通巻106号)』に発表した論文によると、妖怪の寿命は長くて半年であるという。

 レヒナーはドイツ式怪異生物研究の手法を援用し、日本の妖怪を連続して観測しようと試みた。それは一部成功したと氏はその論文の中で主張し、妖怪の特定個体(妖怪 喫茶店)が、発生し、消失する過程を観測したと述べている。

 その個体は2017年1月17日に発生し、2017年7月17日消失したという。

 これをもって妖怪の寿命は通常想定されている(※※)よりもよほど短く、半年程度ではないかと氏は論を展開している。


 『季刊 妖怪の四季 2023年夏号(通巻106号)』所収 タッシェン・レヒナー著「妖怪にとっての半年」


《これから私の記すことは『妖怪 喫茶店』の発生から消失、その過程である。


 私は2017年1月17日、風向町駅前の喫茶店『ちとせ』でモーニングタイム(10:30)の最終に滑り込み、遅い朝食を摂っていた。

 『ちとせ』の厚切りトーストの焼き具合は絶妙で、喫茶店のマスターこだわりの山口県、船方牧場産バターをたっぷり塗ったそれは絶品である。(テーブル備え付け「らかん高原百花蜂蜜」を塗ればさらに良い)

 本来なら至福の瞬間は、光陰矢のごとし、矢のように過ぎゆくのであるが、その日はなかなか過ぎゆかない。

 おかしい。

 私はこの時点で『妖怪 喫茶店』の存在を確信した。

 ここで私はドイツ式怪異生物研究の手法を使い、さらに注意して自分の体感する時間を分析すると、ある時点を境に、こんどは時間の経過が驚くほど早く感じられるようになったことに気がついた。

 私は途中でやってきて同席していたA氏に断りを入れてこの現象についてのメモを取った。

 A氏はいつも『ちとせ』に11時まえにやってくる若手研究員である。

(中略)


 この現象は約半年続いた。

 時間がとても遅くなり、ある一点を境に速くなる。

 これについても規則性があった。

 だいたい11時直前に遅・速が転換する。

 しかしながら2017年7月18日、昨日までたしかに感受された『妖怪 喫茶店』が観測されなくなったのだ。

 私は本来ならA氏が座っているはずの空いた席に向かって呆然とした。私のこの観測が正しければ『妖怪 喫茶店』の寿命は半年ほどなのだ!

(後略)》


 当然のことながらレヒナーの論文には発表後、さまざまな議論が巻き起こった。

 なかでも、レヒナーとA氏の関係については、注目の論点だ。

 一般的には憎からず思っている相手の到来を待っているときは時間が体感的にゆっくりと過ぎ去り、相手と一緒にいるときには、時間が早く過ぎていくように感じるものだからである。

 レヒナー自身は否定しているが、レヒナーの同僚研究者の参考意見の中には、レヒナーとA氏が、半年ほど特別な関係にあり、2017年7月17日、その関係がなんらかの理由によって終了したと考えられる、というものがある。

 これに対し、レヒナーは「論文の論旨とは無関係の、私個人のプライバシーである」と、回答を拒否している。


 妖怪事象のフィールドワークは、その個人のメンタルや、再現不可能な状況に依拠する要素が多く、科学的な再現性に乏しいことが問題だとされている。




※タッシェン・レヒナー(Taschen rechner)偶然だが電ドイツ語で「電卓」の綴りと一致している。


※※おおむね、不老長寿、もしくは人間の寿命と比較すればその消滅事象については無視できるほど長いと想定されている。

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