コラム 妖怪の呼吸

 妖怪は呼吸しない。


 この説は妖怪行動学の第一人者、名水多米なすいためが提唱し、現在、おおむね支持されている。

 私も妖怪事象分析の見地から、この説を支持するにやぶさかではない。

 ただし、ただでさえ存在感の薄い妖怪が呼吸さえしないと人間に気づいてもらえない場合があるため、敢えて呼吸っぽいことをする場合がある。

 妖怪は、『実体』を持っているとしても人間が認識できるような『存在』であるかどうかはいまだに議論のあるところであるから、『呼吸』をすると言ってもあくまでもそれは『それらしい行動』に過ぎず、すくなくとも生存に不可欠な行動ではないと考えられている。

 専門家の間では、その呼吸状の行動について、以下のみっつに分類している。


『妖怪の呼吸 一の型』

 そよそよと吹く風のような呼吸である。

 妖怪が人間に対して、自分の存在を奥ゆかしく主張したいときに使用する。

 たとえば風が凪いだ七月の真昼、「風が欲しいな」と人間が思ったとき、タイミングよくそよそよと吹いてきたら、それは妖怪の仕業である可能性が高い。

 そこで人間が、「もうちょっと強く吹かないかな」と欲を出してはいけない。

 「お、いいぞ、もっと吹け」などと発破をかけるような言動は厳に慎むべきである。

 そよそよ程度の呼吸で自己主張してくる妖怪は、もともとそよそよ程度のちからしか出せないことが多いのだ。

 無理をさせるとすぐにばててしまう。

 こういう呼吸を感じた場合、「あ、良い風。気持ちいい」と、あくまで現状を肯定する言葉をかけてあげると、妖怪の能力の範囲内で頑張ってくれるという統計結果がある。

 この言葉も、妖怪の存在に気づいていないのを装い、自然と口をついて出てきた風を装わねばならない。

 この妖怪はみずからの存在を自己主張しつつ、気づかれたと分かると逃げ出してしまう、恥ずかしがり屋でもあると考えられている。


『妖怪の呼吸 二の型』

 香りが漂うタイプの呼吸である。

 妖怪が人間に対して、ある種の感情の起伏を引き起こしたいときに使用する。

 たとえば七月の夕べ、そこに飲食店が見当たらないのに焼き肉や、餃子の臭いが漂ってくるときがある。人間は「どこかの家で夕食の支度をしてるのかな」と思い、ぐう、とおなかが鳴って、そこはかとない飢餓感を感じることだろう。

 あるいはコンクリートジャングルの一角で、土の香りや草いきれを不意に嗅ぐとき、人間は余計暑苦しく感じたり、あるいは逆に清涼感を感じるなどし、どこかに花壇でもあるのかと探したりすることがある。

 そういう人間の「不意の反応」を楽しむタイプだといえる。


『妖怪の呼吸 三の型』

 音が聞こえてくるタイプの呼吸である。

 妖怪が人間を驚かせたいときに使う。

 たとえばトンネルのなかを車で走っているとき、突然、バン、とおおきな破裂音が響き渡る。人間は目を丸くし、ハンドルを握る手をこわばらせ、心臓が速くなり、あまつさえ「びっくりしたなあ、もう」と、ぐらいは言うだろう。

 もしかすると心配になっていったん車を留め、パンクしていないか確かめる者もいるかもしれない。

 このタイプの呼吸をする妖怪は、そういった人間の困惑や驚きを楽しんでいると思われる。

 また、このタイプの妖怪の呼吸は『ラップ音』として妖怪学の分野のひとつである怪奇学派が深く掘り下げて研究し、さまざまな分類がなされている。

 『ラップ音』について詳しいことが知りたい場合は、そちらの専門書を当たって欲しい。

 なお、このタイプの妖怪には初心者もいる。

 七月から八月の真夜中、墓場で「ヒュードロドロ」と音を出す呼吸をするやつである。

 「ヒュードロドロ」は落語で幽霊が出るときに使うテーマソングであり、実際の墓場でそんな音が聞こえてくるとたいていの人間は驚くよりは笑ってしまうだろう。

 彼らは人間について、寄席を見に行く程度には勉強熱心であるが、文化について理解し切れているとは言いがたい。

 ただ、ここで彼らを馬鹿にしてしまうと、彼らの心を折ってしまいかねないため、なにも聴かなかった振りをしてその場を離れるのが良いだろう。

 間違っても驚いた振りをするのはいけない。

 妖怪が調子に乗って「ヒュードロドロ」をやり続けてしまう。

 傍目にもイタい行動を、是正する機会を奪ってしまうのは、さすがにヨクナイ。


『妖怪の呼吸 四の型』

 耳元で、溜息が聞こえたような気がしたなら、無視すべきである。

 そう、このタイプの呼吸は無視しなければならない。

 さみしい妖怪が、あなたに気づいて欲しくてそうしてるのだ。

 オマエモサミシイノカ、そんなふうに呟いてはいけない。

 決して。

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