第3話 人面瘡

「え……ぬ、脱げって……」


 綾瀬が困惑している。桐葉の奴、もうちょっと言い方ってものがだな。


「呪詛の痕跡の確認には、肌を見るのが一番ですから」


 天使のような微笑で桐葉は言う。


「で、でも……」


 綾瀬は俺を見る。そりゃそうだよな。同級生の男子の前で裸になんてなれないだろう。俺は気にしないけど。


「あ、じゃあ俺は出ていくから」


 俺は後ろ髪を引かれる思いで、部屋から出る。

 扉を締めようとした時――


「……うっ!」


 急に、綾瀬が口を押えて苦しみ始めた。


「うっ、うぇぇぇぇ……っ!」


 そして綾瀬はその場で嘔吐する。


「綾瀬!」


 俺が駆け寄ると、綾瀬はその場に倒れてしまった。


「大丈夫か!?」


 俺は綾瀬を抱き起こす。


「う……ん……うぅ……」


 綾瀬は意識はあるようだ。だが、顔色が真っ青だ。


「綾瀬、しっかりしろ!」

「……失礼」


 桐葉が言い、何の迷いも無く綾瀬の服をめくりあげる。

 俺が止める間もなく桐葉は綾瀬の腹を見る。


「これは……」


 綾瀬の腹部には、なんといえばいいのか……胎児のような形の、肉の盛り上がりがあった。浮腫、いやこれは……


「人面瘡……?」


 赤子の形の、人面瘡 だった。


「……っ、ひっ!」


 自分の腹で脈打つそれを目の当たりにして、綾瀬が悲鳴を上げる。


「先程のは……ね。厄介なモノを孕んだようですね」

「はら……っ」

「大丈夫。そのために私たちがいます、貴女は助かります、安心して」


 そして桐葉は俺を見る。


「十児。あなたの出番よ」

「いや、お前がやってもいいんじゃ……」

「そうね、でも「薄い」わ。これじゃ私は満足できない。ならあなたがやりなさい」

「……」


 まあ、いいけど。痛いんだよなあ。

 俺は綾瀬に近づき、そしてその脈打つ腹に手を近づける。


「失礼。嫌だったら後でぶん殴っていいから」


 そして俺は、綾瀬の腹に手を置いた。


 次の瞬間。


 ぉぎゃああああああッッ!


 声にならない声が響いた。そして、綾瀬の腹の人面瘡のあたりから、どす黒いもやが噴き出る。


「っ!」


 そのもや――呪詛は、そのままかざした俺の腕にまとわりつき、そして俺の中に侵入してくる。


「……っ、ぐ……っ!」


 痛い。めちゃくちゃ痛い! いつもながら、呪いが俺を蝕み侵入してくるこの悪寒と激痛――!

 慣れているとはいえ、痛いものは――痛い。

 べきべきごきごき、と軋む音がして――やがて綾瀬に憑いていた呪詛は全て俺の中へと入っていった。


「……っ、はあ……っ、つぅ~……」

「お疲れさま十児。綾瀬さん、調子はどうですか?」

「え……あ、あれ? なんだか……楽に……」


 俺から見ても、綾瀬はもう大丈夫そうだった。


「呪詛は祓いました。もう大丈夫です」


 桐葉は言う。うん、お前何もやってないよな。


「……私の……私に憑いてた……あれが……」


 綾瀬は俺の腕を見る。


「彼は呪われやすい体質なんです」


 桐葉が綾瀬に説明する。


「誰からも嫌われ憎まれ呪われる、呪われ体質――その体質を有効利用することで、人に憑いている呪いをそのまま移す。呪われ屋たる由縁ですね」

「で……でも、あんなのをそのまま移すなんて……」

「大丈夫。海にインクを一滴落とした程度で海が黒く染まる事は無いように、この程度の呪いで彼を冒す事は出来ません。安心してください」

「うん、めちゃくちゃ痛いんだけどね?」


 俺は言う。痛いものは痛いのだ。


「まあ、呪詛が移る時っていつも痛いからなあ」

「でも……来栖野……くん、ありがとう。本当に助かり……ました」


 綾瀬は俺に頭を下げる。

 俺なんかに頭なんて下げたくないだろうに、いい子だな。


「いいっていいって、これが俺の仕事なんだからさ」


 俺は言った。そしてふと気づく。


「……あれ?」

「どうしたんですか?」


 綾瀬が聞いてくる。


「……いや、なんでもない」


 俺は言った。そして思う。

 ……なんか今、変な感じがしたような――気のせいか? 

 何かが、かすかに聞こえたような。


 おぎゃあ、と。



*


 そして綾瀬は、俺たちに礼を言って帰っていった。


「……」


 綾瀬が帰った後、桐葉は何か考えているようだった。


「……なあ、どうかしたのか?」


 俺は聞く。


「いえ……ちょっと気になる事が」

「気になる事?」

「それより、あなたは調子はどうなの?」

「俺か? いや別段どうって事は無いけど」


 痛かっただけで。

 あとは今まで通りだ。


「そういえば、十児。何か話そうとしてたわね」

「え? そうだっけ……ああ、あれだ。学校で聞いたんだけど、迷惑配信者がえっぐい死に方して、呪い祟りじゃないかって話があったんだ」

「そう」


 桐葉は頷く。


「偶然ね。いえ、必然というべきかしら。私もその話は聞いたわ」


 そして桐葉はスマホを持ち出し、動画を俺に見せる。


『う、ぎ、ぎぎぎゃあああああああああああああああっっっ!!』


「うわ」


 その動画は、軽薄な顔をした大学生ぐらいの男三人が、急に腹を抑えて苦しみ出し、そして嘔吐し……腹を破裂させる動画だった。


「これは、呪いね」


 桐葉が言う。


「綾瀬さんと同じ。今日ここに来なかったら、彼女は間に合わずこうなってたかもしれないわね」

「そんなにひどい呪いだったのか……その割には」

「ええ、わね」


 桐葉の言葉には俺も同意だ。呪いを移した時、確かに痛かったけどそれだけだ。


「十児。わかっていると思うけど呪いには」

「ああ、いくつか種類がある」


 病魔のように他人に感染して増え続ける呪い。

 浮幽霊のように誰かに移り渡り憑りつく呪い。

 そして……原因体となる誰か、何かが在り続ける限り消えない呪い。


「綾瀬さんに憑いたアレを消しただけでは、話は終わらないんでしょうね。この呪いは原因、元凶があるわ」

「そうだな」


 俺は頷く。


「で、どうする? 桐葉」

「もちろん、原因を突き止めるわ。私はね、十児。お腹が減ってお腹が減ってしょうがないのよ」


 桐葉は薄く酷薄な、そして凄惨な笑みを浮かべて言った。

 異物の笑み。

 人の心の無い、捕食者の微笑みを。

 ああ。つまり、こういうことだ。


 ようするに、こいつは……綾瀬を助けたいのだろう。


「何を変な笑いしているの。いくわよ」

「へいへい」

 俺は桐葉についていくのだった。


 *


「で、その配信者が死んだのがここなのか?」


 俺と桐葉は、問題の配信者の家に来ていた。


「ええ、そうよ」


 警察はすでにいない。警察は死因を「動画の視聴率稼ぎのための事故」と「他殺」の両方から調べていると言う。


「視聴率を稼ぐために変なもの食べて腹を破裂させたのではないか、と考えているようね」

「メントスとコーラでも一気食いしたとでも考えてるのかね」


 まあ配信者ならありそうな死因だけど。


「呪いの残滓は……無いな」


 俺は言う。呪いがある場所で感じられる、いつもの感覚……俺に向かって来る悪意敵意害意……そういったものが感じられない。


 空っぽだ。


「ええ、そうね」


 桐葉が答える。

 そう、ここには呪いの残滓は残っていない。ということは、あの配信者達を殺したことで霧散霧消したのか、それとも……


「別の所に行ったか、か」


 もしそうなら、追わねばならない。しかしこうまで痕跡が無いとなると……。


「残る手掛かりは、彼女ね」

「綾瀬……か」


 同じであろう呪いに襲われた少女。彼女の呪いは俺に移ったが、この場合俺は呪いの痕跡を辿れないからな。


「彼女の所に行った方がいいでしょうね」

「そうだな。けど住所は……」

「把握してるわ」

「さすが」


 俺は桐葉と綾瀬の住所に向かう。


「間に合えば、いいのだけれどもね」


 桐葉が、ぽつりと言った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る