幽我灯

幽我灯1

 私の帰り道に「あかず」の踏切がある。

 所謂「開かずの踏切」というものの例に漏れず、その踏切は葉巻線のほぼ終着駅枯葉駅から徒歩数分もない位置にある。枯葉駅の近くには車庫もあり、そこからの出入りの電車も踏切を通過するため、酷い時では一時間以上も遮断機が降りたままなのである。本来であれば、高架橋であったり地下道を通すべきなのだが、交差する道路自体が狭いことや「開かず」の時期が夜遅いこともあり今現在も放置されたままだ。

 その踏切が通常の「開かず」ではなく、「あかず」と呼ばれるのには理由があった。「明かず」という異名を持つためである。というのも自殺する人が後を絶たないからであった。深夜帯に「開かず」なこともあり、飲み会帰りで気が大きくなった人や疲れから遮断機をくぐり電車に轢かれる人も多い。基本的に人身事故は深夜帯に起こるため、夜を明かすことが出来なかった人への気持ちを込めてか「明かず」と呼ばれている(少なくとも私はそう聞いた)。無論、監視カメラなどの対策も講じられてはいるのだが、いつの間にか線路内に入っていることや、わざわざ遮断機が上がっている間に線路内を歩く人も少なくなく、大した効果は上がっていない。また、深夜帯に起こる人身事故のせいか、その後の対応が長引き次の始発に影響していることも「夜が明けていない」ことの表現に寄与しているかもしれない。

 自殺を止める掲示物や、事故に注意の看板が所狭しと設置されており、ただでさえ暗い踏切を照らす青いLEDを遮っていた。電車や車が通れば明るくなるのだが、それらの動く光源によって看板の影が動くので、まるで人影が看板から出てきたような錯覚を覚える。しかも自殺防止のための青いLEDが暗く、踏切向こうもあまり見えない。そんな中で赤い踏切のライトが点滅するのだから、夜間はかなり気味が悪い。

 献花や供養のお菓子や飲み物も常に誰かが置いていて、かなりの頻度で自殺・事故が起こるせいで、もはや誰のためのお供えものかはわからないという有様である。もはや踏切の両側の角は献花台のようになってしまっている。まるでそこで死んだ人間を一緒くたにして弔っているように───いつからか学生のみならず町中の人の間で、死んだ人間の怨念が融合した幽霊が出るという噂が広まっていたらしい。踏切では死んだ人間の蓄積した怨念が、生きている人間を引っ張っているのだ、と。(らしい、というのは、おしゃべりな大家から引っ越し1週間後にこの話を聞いたからである。)

 この噂自体は眉唾もの以外の何物でもないのだが、幽霊を実際に見たという人はいないらしい。私は全くこういった話を信じていないが、その1点でこの踏切には何かあるのではないか、と思うようになった。こういう話には、「どこの誰とは言わないが、幽霊を見たらしい」というのが付きものではないか。実際、何かに引っぱられたとしか思えない例もあったのは事実であった。赤子や5歳の子供を含む家族4人全員が突然電車に飛び込んできた、朝まで線路で気を付けの姿勢で横になって始発に轢かれた会社員、いつ飛び込んだかわからない主婦───後に確認されたカメラには、飛び込んだ時に待っていた人が複数人確認された───、二度轢かれたらしい学生。

 そんな踏切が帰路にある。

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