彼に似た人

 目の前に、あの人が居るわけない。

 だって、同棲もして、結婚話もした。皆に公認だったのを、全て捨てた。

 二人で過ごしたのは、約五年。仕事を終え、部屋に帰ると。

 大きな鞄を前に、二人で一緒に選んだソファーに座る彼が居た。

 戸惑う私に、一言。

「俺、お前より、大事な人が出来た。その人と、結婚したい。

 ごめん。」

 それだけ言って、鞄を手に出ていった。

 

 あれから一年。あの人に似た人が、私に話しかけてきた。

「久しぶり。元気そうだね。」

 この場所に、居る訳がない。

「あの、どちら様ですか?」

 普通に、この言葉が出てきた。

「いや、俺だよ。何、言ってるの? 冗談だろ?」

「本当に誰ですか?」

 あの人に似た人の目が、険しくなる。

 いきなり腕を掴まれて、体が強張る。

「俺の事、覚えてないなんて、嘘だろ? 俺、お前の事を迎えに来たんだ。

 また、二人で…」

「あの、妻に何の用ですか?」

 聞こえてきた声に安堵して、手を振り払う。

 声の主が、後ろに隠してくれた。

 夫なら、こんなことは絶対にしない。

「え? 妻?」

 あの人から、掠れた声が聞こえる。

「妻に、何をしようとしたんですか。」

「だって、待っているって。」

「何を、言ってるんですか? 行こう。」

 私の手を繋ぎ、歩きだす夫に頷く。

「待って。俺を待ってるって。 俺、直ぐ間違ったって思った。

 ねぇ、待ってよ。」

 私は、聞こえないふりをした。

 答えたのは、夫。

「何を勘違いしているのか知りませんけど、彼女を困らせる事はしないで下さい。

 彼女は、僕の妻です。」

「○○。怖い。」

 私は、夫の腕に縋りついた。

 あの人を、見ない。

 あの人視線が、怖い位に私を見ている。

 そうして、夫と二人で歩き出す。

 後ろから、私を呼ぶ声。

 振り向きもせず、歩いていられる。

 

 そう、あの夜、私は彼に言った。

「私、あなたを待ってる。愛してるから。 待ってる。」

 全て、嘘だった。

 他の人と、付き合っていると知っていた。

 だから、部屋の更新時期のタイミングを見逃さず、新たな一歩を踏み出すことにした。

 彼の荷物は、全てリサイクルショップへ。

 会社でも、何故か自然にできた。

 けれど、今の夫にはバレてしまった。

「あの、彼氏さんと何かありました?」

「え、ええと…。」

「僕、好きなんです。貴女が。だから、このタイミングを逃したくない。

 僕と、結婚してください。」

 その場で、頷いた。


「一緒に、幸せになろうな。」

 夫と顔を合わせ、満面の笑みで頷く。

 私は、今でも、彼が好きだ。本当に、愛してる。

 だからこそ、今の夫を選んだ。

「ありがとう、大好きよ。〇〇。」

 夫は、彼と、同じ名前の人だから。

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