第4話:一年鹿の鳴き声

所々に睡蓮が咲いている。丘に挟まれた土道を歩く。

「疲れてきた?」ロバに話しかける。咄嗟に鼻息を荒くしたのは、私に不満があるのか、疲れていないと伝えたいのか。


「人はね、都合の良い解釈をするのが好きなんだ。私も最近、それができるようになったんだよ」

今度は無反応だ。

チェッ、と軽く舌打ちをして足を前に出す。


ドワーフから教わった。

この地図を完成させたのは、私のような長寿では無く人間だったのだ。曲がり角に杭を打ち、距離を測り、方位磁針で角度を決める。


私には不要だった。周りの空間が、まるで自分のもののように映っている。天使の仕業だ。自分が歩いた道なら、寸分の狂いも無く地図に写せる。


「何やかんや言って、天使から貰った力は優秀だな〜」

初めは海を目指す。外側から大陸の形を形成させ、後から内側を埋めてゆく。


「この地図には、海と山に挟まれた場所に国があるね。…はぁ」

話し相手が欲しい。ロバは目すら合わせてくれなくなってしまった。


下り坂になり、街が見えてきた。

「これは…」

真っ白な建物に、石レンガ道が交差している。

街の端には一際目立つ教会。


「ハイロ様」

「はい?」

後ろを振り向くと、二人の男が膝をついて私に手を向けている。

「ハイロ様、よくぞいらっしゃいました」

「ん、はい?」

「我らが天使の使い、恐れ入ります」


何だ何だ?


「か、顔を上げてください」

初めての対応をされて、困惑してしまった。

天使を崇める信教はよくある。

神や悪魔と違い、天使はこの地に降り立ったことがある、と噂されてからの話だ。

そして巡り巡って、私のように力を分け与えられた者もいる。


「入国される予定でしょうか?」

「はい、出来れば海沿いの道を歩きたいな、と」

「是非、楽しい時間をお過ごし下さい」

「はい…」


やりにくい。街ゆく人も、こんなテンションで話しかけてくるのだろうか?

噂が広まる前に、さっさと地図を完成させてしまおう、そうしよう。


私は跪く二人を背に、小走りで東門に向かった。

後ろには、ロバの足跡でも、人の足跡でも無い、勾玉が対になって二つ並んだような足跡が残っていた。



<>



ラテム王国には、心地の良い風が流れている。

街の中央広場に着いた。


「わー、天使のお姉さん、抱っこして〜」

「ぼくも、ぼくもー」


噴水には子供達が集っており、親御さんたちは口を手で覆って感激している。

「ごめんね、急いでるんだ」逃げる。ロバのリードを無理矢理引っ張る。

何を考えているか分からないので、子どもは嫌いだ。

「ハイロ様、是非握手を…」

目を輝かせた主婦たちが、逃げ道を塞ぐ。完璧なコンビネーションだ。

「はあ、分かりました」嫌々手を差し伸べて、何人もの主婦たちと握手を交わす。気付けば。



行列…になってる…?



待ち続けた人の気持ちを無碍むげには出来ず、結局一時間は広場で足止めを食らった。


「こんにちは」

その場を去ろうとすると、ある一人の少女が声をかけてきた。髪色は淡褐色。身だしなみも周りの子どもと比べるとしっかりしている。


「何の用かな?」しゃがみ込んで目を合わせる。

「優しいんですね、目線を合わせてくれるなんて」


不思議な子だな…。


「握手、したいの?」

「いえ、近くで見たかっただけです」

「そっか」

「国王が住む、あの塔まで案内します。ゆっくりしていって下さい」


何か…。何だか、違和感を感じる。


「貴女、誰なの?」

「私はこの国の王女です」

「ええっ!」

つい声を張ってしまい、周りの人々がこちらを見る。

「是非、楽しんでいって下さいね」

「は、はいっ!もちろんもちろん!」

少女の背中を追って、私は歩いた。


広場と海が繋がる、キレイな下り坂がある。灰色の石レンガと純白な家がコントラストになって、見ているだけで心が浄化されていく。

まるでこの王女も、この景色の一部のように、馴染んでいる。見惚れてしまう程美しい。



<>



「着きました、ここが私の愛する王邸です」

食卓に紅茶ポットがあり、広くは無いが見映えの良い、理想の王邸だ。


「私は、ダンスのお稽古の時間なので、この辺りで」

「案内ありがとね、えっと…」

「ヒナです」

「ヒナちゃん、ありがと!」

ニッコリと笑って彼女は扉を閉めた。

すると、直ぐにメイドがドタドタと階段を降りてきた。赤色のカーペットが歪む。


「誰ですか!?って、え、え、え?」

「お邪魔します、他国から来ました、トキと申します」

「は、は、ハイロ様…?」

目を回して、メイドはバタリとその場に倒れ込み、「ほ、ホンモノ〜!?」甲高い声を上げた。


「何事だ」

コツコツコツ、と音を立てて、階段から一人の老人が降りてきた。

「国王陛下、は、は…」

「何を言ってあるのだ…って、え〜!」

先程のメイドと全く同じように倒れ込んだ老人は、この国の長だった。


ヒナちゃんの方がしっかりしてるな…。


ため息を溢して倒れ込む二人を見る。

「良ければ、客席でお話を…」

「もちろんです」



<>



「なるほど、それでこの大陸の地図埋めを…流石は天使の使いハイロ様」

「そんなに大層なものでは…」

「良ければ、数日間このラテム王国で足を休めていって下さい」

「そうさせていただきます」

私はそう返事をして、早速海沿いの小道へ向かった。



<>



朝日が顔を出して、空がオレンジ色に変わり、辺りは真っ暗になった。


既存の地図と見比べる。

海岸線が、凹んでいるようだ。桟橋も無くなっている。何でだろ…?


「トキさん、何時間描いてるの?」

「わっ!」

ベンチに座り込み、一枚の紙に向かって万年筆を走らせていると、一晩が終わっていた。隣には暇そうなロバ。いつの間にか横に座っていたヒナちゃんがいた。

「突然ですけど、こんな噂、知ってますか」

「何かな」

「一年に一度だけ鳴く鹿の話です」


知らない。私はゆっくりと首を振る。


「その鹿は、一年に一度、幸運な事が起こる前日に鳴き声を上げるんです。その声はどんな人の声よりも美しいんです。その声は人を幸せにします」


「神様なのかな?」アハハ、と笑いながら言う。

ヒナちゃんは、急に悲しそうな顔を浮かべる。


「そう、かもしれません。その鹿が声を上げなかった年には、厄災が降り注ぐんです。私は七歳でしたが、六回しか鳴き声を聞けなかったんです」


私は何も言わずに、ヒナが話すのを待った。

一呼吸おいて、彼女はまた口を開く。


「その鹿は”一年鹿”と呼ばれて、人々を恐怖の渦に陥れました。ですが、貴女が来てくれたお陰で、もう心配することは無くなりました」


「何で?私は何もしてないよ?」


ヒナは深々と頭を下げて、その場から立ち去った。



<>



「いい国でした、また遊びに来ます」

「是非そうして下さい」

国王とメイドは、玄関で私をお見送りしてくれた。

「あ」

付け加えるように私は言った。

「ヒナちゃんにも、お礼を言っておいて下さい」



そう言うと、二人は顔を青くして私を見つめてきた。しかし、私は気にしなかった。

どうせ天使の能力のせいで、人の表情が変わって見えているのだろう、と決めつけて。



「ではこれで」扉を閉めた。



「何で、戦争で亡くなったヒナの事を…」

国王の頭には、敵国から砲台を撃たれ、陸地諸共吹っ飛ばされるヒナが映っていた。


西門から国を出ると、二日前の男二人がまた膝をついて待っていた。

「ハイロ様、我らがハイロ様。お楽しみ頂けましたか?」

「うん、二人ともありがとね」

男は顔色一つ変えず、私を見送った。


少し歩いて。

「楽しい国だったね」

そうロバに伝えると、首を上下にゆっくりと振って喜んでいた。不自然な程、良いタイミングで。









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