第5話:狩人の心得
海風を浴びて、ロバの荷車から足を下ろす。
「ここから、明らかに地形が変わっているね」
既存の地図には存在しない、大きな峡湾が足を伸ばしている。湖に映る雲が、私の目を奪う。
「キレイだね…」そうボヤいていると。
ロバが突然、首を上に捻った。何かに威嚇しているようだ。私の目に、水滴が落ちてきた。
人食いマガン、ジングガンの群れだ。
私を睨みつけて、その場で羽をバタバタと動かしている。
…何とかしないと!
懐には武器は一つも無く、そもそも得物なんて持ってきていない。国を出る時からずっと平和ボケしていた。
…食われちゃうんだ、こんなとこで。
あれだけラッキーに大口を叩いた上、ヒナちゃんにも自慢したのに、結局地図は殆ど埋めれず、食われるのかぁ。
「はぁ」
死を覚悟して、膝を下ろす。あっけなく終わったなぁ、と体から力を抜いて泣いた。
「そもそもこんな難しいこと、私には無理だし、こんなことしても得する人あんまり居ないし、
雁の餌食になるくらいならラッキーのお膝で一生寝てれば良かったあぁぁ…」
あれ?
ジングガンは、こちらを睨んだまま、動こうとしなかった。湖から、水浴びをしてきたであろう他の仲間も集まってきたが、どの個体も私を襲おうとはしなかった。
沈黙を破るように、炎の矢が飛んできた。水を被っていないジングガンは、その火に焼かれて黒い灰となって落下してきた。
群れは散り散りになり、逃げ去るようにその場から消えた。
「大丈夫ですか」
顔を横にズラすと、弓矢を抱えた青年が歩いてきた。
「何だハイロだったのか、助けなくてよかった」
「どういう意味です?」
久しぶりに頭に血が上る。心に閉まっておくならまだしも、こうも口に出されると腹が立つ。
私だって色々と苦労してきたんだよ、精神的に!
狩人には分かんないだろうね、と吐き捨てる。
「こんな言い伝えがあります。ジングガンは世界一高い所を飛ぶ鳥として有名です。
その際に、天上界にいる天使から人の肉を与えられ、人の味を知ったのだとか。
なので天使の使いである貴女には寄り付かなかったのでしょう」
「あ、そっ……ちですか」
はぁ〜っと腹に溜めたストレスを吐き出す。
青年が不思議そうに首を傾げたので、「こっちの話です」と誤魔化した。
「立てますか?」手を差し伸べてくれた。
「私は近くの村で狩人をしている者です。良ければ村に来ませんか?皆さん、ハイロが来てくれたと大騒ぎしてくれるはずです」
「…そうですか」
「僕の名前はエレックス、貴女は?」
「トキです」
この話し方的に、天使の信仰者では無い。けれど、他の信仰ならばこんな待遇はしない。となれば無宗教者だ。
やった!心の中でガッツポーズをする。
「是非、顔を出させてください、その村!」
「は、はい…」
急に元気になったな、とでも思われたのか。
少し顔を引きずらせて彼は返事をした。
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「ほぇー、地図を描いてるのかい嬢ちゃん」
「あらあら、偉いわねぇ」
村の人達が、エレックスの家に集まってきた。ここでは入り江で捕れる魚が主食。ごく稀に現れるハトの群れや、熊なども食料だそうだ。
「何で、そんな事をしているのです?」
エレックスは弓矢用の糸を口で引っ張りながらそう言った。
「…暇だから、ですかね」
彼は目を丸くして「へぇ」とだけ答えた。
「どうしたエレックス、お客か?」
家のドアを開けて、髭を生やしたおじさんが顔を出した。雰囲気は母国のドワーフと似ている。
「ええ、ハイロのトキさんです」
「ハイロねぇ、まあゆっくりしていきな」
「はい…うぇっ!?」
そのおじさんは、右腕が血まみれだった。
「帰りな」
一言おじさんが吐き捨てると、家に押し寄せていた村人は瞬く間にいなくなった。
エレックスはおじさんとは違い、笑顔で村人に手を振った。
「親父、今日は何を?」
「…ハトの群れを待ち伏せしていたら、フェンリルに襲われた」
「そうかい、早く血、止めなね」
「言われなくてもそうする…よっ!」
「ひいっ」
噛み傷の入った右腕を、少し汚れた布で、力一杯巻いた。布から血が垂れるほどの出血だ。
「大丈夫、なんですか?」恐る恐る私は声をかけると、彼はこう答えた。
「命を奪う仕事をしている以上、こんな傷でヒーヒー言っては狩人として失格だ。それに、俺が死んでも腕の立つ息子がいる」
エレックスの顔が少し緩んだ。
「それでトキさんや、どうしてこの村に?」
「私は、地図の改訂を行っています」
「ほう…」
血を、水と共に流しながら彼は話を続けた。
「何のためにだ」
「お父さん、それは話したくないんだって」
エレックスは口から糸を取り、私は口を開く前にそう返した。
「ハイロにも色々事情があるのだな、聞いて悪かった」
「いえ…その…」
「親父、今あそこの入り江で熊が出ているらしい。魚をとる人達が来る前に助けに行ってくれるかい?」
血相を変えて、彼は槍を手に取った。
「お前は、こんな所で何をしている」
「親父が帰ってくると聞いたから、それに今足を怪我して戦えそうもないんだ」
「…なるほどな。行ってくる」
「あい」エレックスは目を細めて軽く返事をした。
「トキさん」
「はいっ」
エレックスは私の目を見てこう言った。
「本当は、何のために描いているのです?地図を」
彼の声色が少し変わった。
何か、何か悪いことを言ったか…?
「えっと……本当に暇だからです」
「そうですか。ならば今すぐに母国に帰った方がいい」
「はい?」
エレックスは私を睨みつける。
「敵は自分の人生をかけて我々を襲ってくる。ならば、我々も人生をかけて立ち向かわねばなりません」
「敵、ですか?」
「敵とは、己の事も指します。狩人ならば恐怖心。貴女のような旅人ならば孤独。それに打ち勝つ覚悟が必要です」
「ここから隣の街までは危険区域です。暇つぶし程度の意思で、ここを歩くのは危険過ぎます」
…言葉が出ない。何も言い返せない。
でも、この地図を埋めることで何か、心の中のモヤモヤが無くなるような、そんな気がする。
でなければ、親友のいる母国を捨てることは無かっただろう。
「これが、私の父親の意見です。彼はこれを”狩人の心得”として心の真ん中に置いている。私は違います」
「違うんですか?」
「ええ」彼は苦笑しながら話した。
「熊であろうと、先程のジングガンであろうと、私は怖くて上手く弓を引けない。
恐怖心には勝てていません。ですが、それでいいんです。私はジングガンの生態を研究して、火に弱いという情報を得て、安心して矢を放ちました」
彼は黒曜石を削りながら、机に弓矢を並べてゆく。
「トキさんは、ハイロだったことから差別を受けたことが?」
「………はい。何で分かったのです?」
「はじめの反応を見れば、誰でも気付きますよ」
「……………」
「心が弱いトキさんに一つ、アドバイスをします」
意気揚々と、彼は人差し指を立てる。
ドア越しに、鈍い足音が聞こえてきた。私たちは口を閉じて、視線を外す。
無言で入ってきたエレックスの父親は、熊の毛皮を持って帰ってきた。返り血が服に染み付いている。
ギョロッとした目からは、狩人の心得を感じさせた。
「アドバイスはまた今度。今夜はあちらの宿屋で眠って下さい」
耳元でエレックスはそう呟くと、爽やかな笑顔を見せて流し元に向かい、熊肉に刃を入れた。
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翌日、朝日が登る前に宿を出た。湖を眺めながら、製図台を立てる。湖に朝日が映るまでに、私はこの峡湾を地図に描き、小さく村の名前も記した。
「ふぅ」ため息を零すと、弓を背負ったエレックスが肩をポンポンと叩いてきた。
「凄い、精密ですね」
「でしょ?アドバイス、聞かせてよ」
「人生、大切なのは終わり方です。私の父がもし、熊との戦いで死んでいたら、村人を守るために命を落とした勇敢な戦士。
私もそう考えて、毎日恐怖心と戦ってます。このような考えを、心に置いてみて下さい。」
彼はそう言って山に向かった。
彼の父が、”狩人の心得”を持っていたように彼もまた、彼なりの心得を持っているようだ。
日が暮れるまで、私は海岸線を歩き、村の周辺を地図に記していった。
村に戻ると、村人が私が来た時と同じように、エレックスの家に集まっている。
え———
首元からザックリ、切り傷が入っている。
エレックスの目は、閉じ切っていた。
「弓を引く前に、足を震わせていたらやられたよ。巨大なグリフォンだった」
彼は目を開けず、淡々とそう言葉を吐いた。
「喋るな、医者を呼ぶ」
「要らないよ父さん、もう分かるんだ」
父親は、泣きそうになるのを必死にこらえて、外に出た。その様子を察した村人は静かに、エレックスを見守っていた。
「エレックス」
私は小声で、彼の耳元に向けて言った。
「僕は、僕は…なんて情けない終わり方なんだろうね……」
「違うよエレックス。君は、村人に愛されてきた勇敢な戦士だよ。目を開いてごらん」
彼は充血した目を開くと、駆けつけてくれた沢山の村人を見て、涙を流した。
「そう……だね」
その夜、彼は息を引き取った。
翌日、直ぐに村を出た。
地図を埋める海岸線と、自分なりの心得を探すために。
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