第70話 二子石高校VS沢江蕨高校 ②
前半折り返し地点――二子石は、完全に守勢に立たされていた。
流れを引き戻す糸口は見えず、選手たちの表情にも焦りが滲む。
原因は二つ。
一つ目は、体力のない月桃が相手の縦横無尽な動きに翻弄され、守備時に無理を強いられていることだ。
パスセンスはチーム随一だが、相手が意図的に速さ勝負に持ち込むことで、体力の消耗は避けられない。
もう一つは、左サイドのビルドアップが完全に機能していない点だ。
島石がボールを受けるたび、相手の素早いプレスが襲いかかる。その結果、ボールは志満先輩や相馬のCB陣に戻されるが、中央には屈強な相手選手が待ち構えており、冷静なショートパスで打開する余地はほとんどない。
ロングパスを狙っても、その先には深く構えた相手守備陣が待ち構えている。ボールは容易に奪われ、左サイドからの速攻に繋がる。
まるで隙を与えない徹底したプレスと守備網に、こちら側は打つ手がなかった。
相手からの攻撃を凌ぐだけの時間に選手たちの疲労が浮き彫りになる。特にサイドへついている選手たちの疲労感が激しい。
それこそ、今のうちに交代カードを切るか、悩むほどである。
「……」
「そんなにちらちら見たとこで、出すか出さないかは俺が決めるからな」
「……でも、月桃さん疲れているように見えないですか?」
「先生。確かにあいつは疲れが見えます。でも、せっかくの練習試合ですし無理をさせてみるのもありではないですか? もし本人が無理といえば交代させますが……今の状況を見るに、まだ行けそうですしね」
俺は先生の言葉に対し、腕を組みながら答える。
月桃は走れる体力があるわけではないが、ボールを持った際に違いを生み出す力はチーム内でも高い。変えて水木を出すこともできるが……万が一のことを考えたら、失敗する可能性があっても出し続けるのがいいだろう。
それよりも問題なのは――左サイドの島石だ。
守備の軽さはないため完全フリーでクロスを上げさせているわけではない。
そこはいいとしよう。問題は次だ。
島石は、攻撃参加が皆無なのだ。
サイドバックとして味方選手を大外から追い越して攻撃するチャンスを作るようなプレーが、彼女からは一切感じられない。まるで左センターバックのような動きだ。
三か月前よりは守備の軽さが減ったとて、攻撃面で違いを作ろうとしないのは受けの姿勢すぎる。
「島石! もっと前に出て菅原を追い越すプレーを見せろ!」
俺はピッチへ向けて声を張り上げた。彼女の動きは依然として慎重で、どこか萎縮しているように見える。ボールを追いかける動きに迷いはないが、攻撃に転じる気配は全く感じられない。
「島石! 聞いてるか!?」
指示を出すが、島石は一瞬こちらを振り返るだけで、また元の位置に戻ってしまう。まるで自分の役割は守備だけだと言わんばかりの振る舞いに、苛立ちを覚えた。
「……くそっ、だめか」
答える余裕があれば少しの間だけ様子を見ようと考えていたが、これ以上出場継続させたところで違いを見せることはない。
「森川。後半戦出る可能性あるから準備しとけ」
「わかりましたっ!」
森川が楽しげにベンチから立ち上がるのを横目に、俺は口元へ自身の手をやる。
森川はスタミナに関しては申し分ない実力者だが、左サイドに配置すると守備面で軽さが生じる恐れがある。もしそうなった場合、少しでもフレッシュな選手を守備に配置するべきだろうか。
そう考えた場合、月桃の方がいいのではないだろうか。
彼女の疲労は目に見えているし、無理させて熱中症になられて体力減少……なんてことに繋がったら戦力ダウンがシャレにならない。
「……豆芝さん。どうします?」
先生が俺の横から小声で問いかけてくる。
「まだ考えてます。後半開始時点で森川投入の形もありですが、月桃を残すかどうか迷ってます」
そう答えつつ、時計を見る。前半戦も、残り十分だ。
十分たったら交代するかどうか、本人に確認しよう。
そう答えながら、ちらりと時計に目をやる。前半戦も、残り十分だ。
月桃の様子は相変わらず疲労が見えるものの、ボールが彼女の足元に渡れば、そこからチャンスを作り出せる力は健在だ。しかし、このまま出し続けて後半まで持つのかどうか。
それは、自分の目で判断するしかない。
「十分たったら、本人に確認します。それまで動きに大きな変化がなければ、交代を視野に入れます」
「わかりました」
そう返事しつつ、俺は腕を組みながら、チーム全体の流れを観察する。攻守の切り替えは徐々に遅くなっているが、まだ危険な状況には至っていない。しかし、これがいつ崩れるかわからないのが試合というものだ。
左サイドの島石は相変わらず消極的な動きで、相手にとってさほど脅威になっていない。もし森川を投入するなら、島石のポジションで攻撃的な動きをさせるのも一つの手だ。ただし、守備のバランスが崩れる可能性もある。
そんなことを考えていると、月桃が長島からのパスを受けた。
疲労の色は隠せないが、それでも前を向く姿勢は失っていない。相手ディフェンダーを一人かわし、もう一人を引きつけながら横パスを味方に通した。
パスに連動した志保が、ボールをスルーし、走りこんでいた竜馬へと渡す。
竜馬は相手のボランチを躱した志保へダイレクトパスを出し、そのまま上がる。
相手の守備陣がそのまま内側へ集約しようとするが――サイドをかける菅原と月桃の動きによって、中央へ完全に意識を割くことは困難となる。
その光景に、俺は思わず息を呑んだ。
月桃から始まった一連の連携が、完璧に機能している。竜馬のパスを受けた志保が流れるように前へと進み、彼女の動きに合わせるように桜木と南沢が中央にポジションを取る。
その動きが見事に相手の守備ラインを崩し、数的優位が確立されつつあった。志保が斜めに走り込むそのタイミングで、竜馬はわずかな隙間を見逃さず、ダイレクトで鋭いパスを送り出す。そのパスを受けた志保がさらに中央に持ち込む。
前線に残った桜木がディフェンダーの裏に走り込み、南沢もまた高さを生かす位置取りで準備ができている。シュートチャンスが生まれる瞬間だ。
志保がボールをコントロールしながら、視線を前方に送る。先には、桜木がフリーで待っている。志保はインサイドで浮き球のクロスを蹴る素振りを見せて相手守備陣を釘付けにしてから、ポケットと呼ばれる場所へアウトサイドパスを出す。
そのパスにいち早く反応した桜木が、オフサイドラインぎりぎりの位置からフリーで抜け出した。GKと一対一の状況で、彼女は躊躇なく右足を振りぬく。
桜木のシュートは、まさに完璧なタイミングで放たれ、ゴールキーパーが反応する暇すら与えなかった。ボールは鋭く、力強く、ゴール左下隅に突き刺さる。
審判の笛が、ゴールしたことを示すとほぼ同時。
彼女のもとへ、チームメイトが向かっていく。
「よっし! よーしっ!! ナイスゴールっ!!」
俺は思わず歓喜の言葉を出しながらガッツポーズを出す。理想的な攻撃の流れ。
月桃に求めていたパスからの得点と動き出し。正に欲しいものだ。
「いいぞ、桜木!!」
選手たちが桜木に駆け寄り、喜びを分かち合っている。その光景を見ていると、つい笑みがこぼれる。しかし、プレーの指示を雑にするわけにはいかない。
すぐに冷静さを取り戻す。
「このまま流れを引き寄せるぞ」
ベンチから選手たちを見守りつつ、次の戦術を考える。ゴールは素晴らしい結果だが、試合はまだ半分も終わっていない。これからが本当の戦いだ。
月桃のプレーは良かったと感じる一方で、島石の動きが気になる。守備は及第点だが、得点シーンでもラインに合わせる動きが目立つ。センターバックなら分かるが、サイドバックとしてはもう少し積極的に攻めに参加して欲しい。
「……いや、待て。考えを変えるのはどうだ?」
そんなことを口にした瞬間、練習していない戦術がふっと浮かぶ。
……それはあまりにも非現実的な戦術だと、俺自身思ったが。
試して成功したら面白そうだと、感じてしまった。
「……試してみるか」
俺は独り言のように呟きながら、前半終了の笛が鳴るまで思考の海へと身を投じるのだった。
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