第67話 やさしさによって
女子寮では風呂を終えた選手たちが食堂に集まっていた。合宿中に宿題を消化してしまおうという竜馬の提案により勉強会をすることになったのだ。
まぁ、結果は言わずもがな。補修組が全く宿題に歯が立たず、絶望した表情で仲間からの講義を聞くという状況が生まれていた。
「……すげぇな副キャプテン。それぐらいの頭脳でよくとおったな……」
「パッションで頑張ったんだよ」
「パッションで通しきるってすげぇよ……いやマジで、尊敬するよ……」
竜馬はむむむと言いたそうに問題文を眺める相馬にそんな言葉をかけつつ、周りを見る。
「ほげぇ……全く分からねぇぜ」
「なるほど……なるほどぉ……? うぅん、頭がショートしてきた」
「路上ライブ、演奏、そして――プロミュージシャンへ……」
他の補修組である南沢はぽかんと口をあけ、菅原は赤べこに首を振り、栗林はエア弦楽器演奏を行いながらぶつぶつと狂言をはきはじめている。
補修組の知能は絶望的であると、勉強会主催者の竜馬は感じているような顔つきを見せる。時計に視線を移すと、既に夜九時半を回り始めている。そろそろ切り上げ時と感じた彼女は、勉強会を終えることにした。
「やっと終わったぁ~~!!!」
「やったね、南沢ちゃん! 地獄を凌いだよ!!」
「……まだまだ、宿題残っていますけどね」
喜ぶ補修組を見ながら聞こえないほどの声で月桃が言葉をこぼす。
が、補修組は全く気が付く素振りがなかった。彼女たちは欲求に対して非常に芯が通っているのだ。仕方がないというやつである。
「それじゃ、副キャプテン。お先に失礼します」
「あぁうん。お疲れ~~」
相馬は笑みを表に出しながら竜馬を見送った。しんと食堂が静まり返る中、彼女は「夜風でも浴びるかぁ~~」と普段の生活では言わないことを口にする。
思うがままに扉を開けて外に出る。ぴゅうっと風が頬を一撫でする中、グラウンドへ足を進めていく。アスファルトの固い音が夜街へ緩やかに響く。
そうして数分歩を進めていると――彼女は二人の人物が視界に入る。
驚いた彼女は木の陰に入り、ちらりと顔を出しながらそれを見ていた。
そして――彼女の視線がとらえたのは。
桜木と須王だった。
※
「ふんふふん、ふふぅ~~ん♪」
豆芝と別れた須王は楽しげに鼻歌を歌い女子寮へ戻る道をスキップしていた。
月明かりは朗らかに彼女の身体を照らしている。ふと、顔を上げる。
満天の星空がキラキラと輝いていた。
「豆芝くんとの二人っきりのデート……楽しみだなぁ……」
「……………………デート?」
それは、誰も聞かれていないはずだった。今の時間帯に女子寮の外にいる人間などグラウンド帰りの人間しかいないという須王の主観的な考えからくるものだった。
だが、彼女の予想は外れることになる。
なぜなら、彼女の視界に入っている人物は――豆芝を師匠と口にし厄介粘着をしている桜木本人だったからだ。
「……そのぉ~~聞かなかったことには……」
「無理。聞かなかったことになんてできない」
桜木は人差し指を合わせながら視線を逸らす須王に対し般若の顔で詰め寄る。
須王は瞬時に逃げなければとやられると考えた。
一瞬にして体の向きを百八十度回転させ、逃げようとする。
だが――脳で考えるよりも先に、桜木は行動していた。
いうなれば、野獣の勘というものである。
「ヒエッ」
須王からそんな言葉が漏れたのは、数秒後のことだった。
桜木は俊敏に動き須王の前へ先回りした後、右足をグラウンドのネットへ突き刺したのだ。殺意を込めた蹴りを見た須王の防衛反応が働いた結果、生じた言葉だった。
「師匠とのデートを約束したの? 私を通してくれないとだめでしょ」
「な、なんであなたを通す必要があるんですか!?」
「決まっているじゃない。高校女子サッカーで優勝するには、豆芝さんの力が絶対に必要だからよ。そして――実現するにはまだまだ力が足りなさすぎる。今日の試合も私が力不足だったから倒れてしまった。だから――もっと強くなる必要があるの」
暴論だと須王は言いたくなったが、すんでのところで言葉を止める。彼女が言葉を止めた理由、それは豆芝国生がサッカーのために生きてきた男だったからだ。
「……でも、だからって」
「嫌だってことかしら? でもあいにく様、私だって師匠を貴方にあげるのは嫌よ。だって師匠は――常に私たちのために尽力してくれる、とてもとてもすっごい頑張り屋さんなんだから。だから――あなたにはあげたくないの」
芯の通る声に須王の心が一瞬、揺らぐ。
「……それを言うなら私だって嫌ですよ。本当なら――憧れのあの人の下で一緒にサッカーをしたいですよ。でも、無理じゃないですか。高校の転入は余程の事情がないと出来ないですし、何より――山岳高校の先輩方を裏切りたくないんですよ。貴方もその気持ちはわかるんじゃないですか?」
須王の問いかけを聞いた桜木の眉がピクリと動く。
「お願いします。一日だけでいいんです。それだけ時間を貰えば当分の間は豆芝くんにサッカーへ専念してもらえるようにしますから」
そうして、落ち着きを取り戻した彼女は足を下げてから――須王を見る。
「分かった。分かったよ。一日だけね」
「えっ……いいの!?」
「冷静に考えたら一日ぐらい師匠もリラックスできた方がいいと思ったしね。それにあなたの方が、私よりも師匠のことを分かっているだろうし」
桜木は目の前の少女に対して冷静を装いながらそう言った。
「……わかりました。せっかくのデート、楽しませていただきます」
「うん。師匠といるときはまじめさを取っ払ってもう少しおちゃらけてね。私といる時よりも、きっとあなたといるほうが楽しいだろうから」
「――わかりましたっ! 頑張りますッ★」
須王は舌をペロっと出しながらウィンクをバチンと決め、自室へと帰って行った。寮の外に出ているのは、桜木たった一人だけだ。
「……………………はぁ。胸が、苦しいなぁ」
桜木は、星が弱弱しくと輝く空を眺めながら、掠れ声を吐く。
そして、地面に尻を付けないようにかがみながら長くて細い息を吐いた。
「……大丈夫? 桜木?」
後ろから、声がかかる。桜木が声の聞こえるほうへ首を向ける。そこには心配そうに見つめる相馬の姿があった。
桜木はもしや聞かれたのかと思いながら確認のために問う。
「もしかして――聞いた?」
「そんな怖い顔しないでよ。大丈夫、聞いてないから」
「そう……なら、いいけど。いや、やっぱりだめ。かえって」
桜木は自らの弱さを見せんとばかりに相馬へ帰るように指示を出した。
「なんで?」
「言わなくても、わかるでしょ?」
「わかるからこそ、いるんだよ」
「……バカ。なんでアンタはいつも、そうやって突っ込むのよ」
「だって、それが僕だから」
「……ハハッ。あんたらしいわね」
桜木は目元を袖で拭ってから、相馬の手をかりて立ち上がる。
「……ありがとね、相馬。アンタがいると、かなり楽よ」
「それほどでもぉ~~」
「……まぁ、だからと言って。宿題は手伝わないからね」
「えぇ~~いつも手伝ってくれるのにぃ~~」
「そんなうるうるとした目で見つめてくるな。手伝いたくなるから」
桜木はぷいっと顔をそっぽへ向けながら、帰路を並んで歩く。
「それで――いったい何を話していたの?」
「……ちょっと待って? 少しは間を開けようとは思わないの?」
「だって僕、気になるから」
「気になるからって……あまりにもノリというか……」
「えぇ~~気になる気になるぅ~~」
相馬は厄介な粘着物質の様に桜木へつっかかる。馬鹿みたいに明るい彼女を見てた桜木はだんだん一人で抱えているのが馬鹿らしいと感じるようになっていった。
「……相馬。誰にも言わないって約束してくれる?」
「あぁうん。いいよいいよ」
「本当に言わないよね。言ったら何するかわからないよ?」
桜木は左手の指を無作為に動かしながら相馬を睨む。
下手な行動をしたらやばいことになるだろうと相馬は直感で理解した。
「ごめんごめん。冗談だからさ。話、教えてよ」
「……わかったわよ。そのね。豆芝さんが、須王さんとデートするんだって」
「……え? えぇぇぇ!? あのサッカー馬鹿で僕よりも勉強できない豆芝さんが、お、女の子とデートぉ!?」
「シ――っ! 声がデカいわよっ!」
桜木は相馬の口元に力を込め、うの口に無理やり変えさせる。
「ひゃ、ひゃかったうぁらっ、やめてぇっ。はぁっ、はぁっ……」
「……次やったら、腹部パンチだからね」
「暴力系ヒロインじゃん。デートしたいならさ。もっと優しくなりなよ」
「バッ……馬鹿ッ! 別にデートしたいとか、そんなわけじゃないんだからっ!」
「へぇ~~桜木、豆芝さんとデートしたいんだぁ~~へぇ~~~~~~」
相馬はニヤニヤと笑みを浮かべながらぷぷぷと笑う。
そんな彼女の左耳を一陣の風が通り過ぎた。それは、桜木の右拳だ。
「次言ったら、鼻に当てるわよ」
「ヒエッ。マジじゃん」
相馬は下手に怪我するのは避けたいと思いながら、口をつぐんだ。
「でもさ。本当に暴力で解決しようとする癖やめたほうがいいよ? 下手に暴力沙汰とか起こして出場停止になったらシャレにならないよ?」
「………………善処するわ」
桜木はざくりと図星をつかれ、苦しそうにそう言葉をこぼした。
相馬はごほっ、ごほっと数回せき込んでから、口を開く。
「いや~~でも驚いたなぁ。豆芝さん、あの人がいるのに大丈夫かなぁ?」
「あの人って?」
「あぁ、うん。え――っと、そう、エスガバレー埼玉のオーナーさん」
「オーナーさん? あの人は豆芝さんの恋愛にとやかく言わないでしょ。恋愛関係にあったら下手したら犯罪にもなりかねないしね」
「確かに……じゃあ、大丈夫か!」
「元気ねほんと……まぁ、でも。本当にありがとうね」
桜木は中学からの親友に再度お礼を伝えてから、部屋に戻っていった。
相馬は部屋に戻る桜木を見送ってから食堂に置いていた教科書を取りに行く。
そうして、一人っきりになった後。彼女は心配そうに携帯を取り出した。
そこには、たった一人。彼女だけが知っている人物の電話情報が入っている。
相馬はきょろきょろと周りを見渡してから――電話をするのだった。
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