第60話 初めて出会った、同じ道を向く仲間

 アブラゼミの鳴く声を聞きながら、俺はベッドの上で眠りにつく桜木を見ていた。医者いわく疲労による体調不良らしく、熱中症ではないらしい。


「それじゃ、私は昼食をとってくるから席を外すよ。君はどうするんだい?」

「……万が一のことを考えて、ここにいます。もし容態が変わる事態が発生したときに対応できる人がいないと大変ですから」

「それもそうだな。それじゃ、頼んだよ」


 クラブハウスにある病室で二人きりとなった中、俺はパイプ椅子に座りながら桜木の様子を見守っていた。改めてみると――彼女の顔は少し疲れているように見えた。


 山岳戦以前と比較すると、目元のくまが少し増えたような、そんな感じがした。


(もしかして……チームのためにずっと活動を続けてくれていたのか?)


 以前相馬から聞いた話を思い出す。彼女は、チームをより強くするために月桃や半田といった控え選手たちの指導に当たっていたと。もしかしたら、他の選手にも指導を行っていたのかもしれない。


 全ては、俺の負担を減らすために。


 ――あぁ、なんと情けないのだろうか。


 たった一人で強くしてみせると息巻いていたくせに、結局他人に重荷を背負わせて疲労をためさせているだけではないか。それにも気が付かずに、ただ単純に試合用の戦術を考えたりするなんて、言語道断にもほどがある。


 選手のコンディション管理が出来ていなくて、何が指導者だ。

 そんなことを考えていると、ドアをノックする音が響いてから病室の扉が開く。


 姿を見せたのは、白ワイシャツと黒長ズボンに身を包んだ初音さんだ。


「……初音さん。なんでここに?」

「さっき主治医とすれ違ったときに話を聞いたからね。倒れたって聞いたから、心配で確認しに来たってわけさ」

「そうですか……ありがとうございます」


 俺がそういいながら顔を戻そうとする。


「勘違いされたらいやだから事前に伝えておくよ。私が心配していたのは――君の方だよ。豆芝くん」

「……え? なんで俺ですか?」


 俺が首をかしげながらそう返事を返すと、少し首を振ってから後ろにあった黒野丸椅子に座る。姿勢がきれいだなと感じていると、俺の目をまっすぐと見つめながら、

「……少しだけ、話そうか」と言ってきた。


「豆芝くん。君はかつて、選手だった。それはMr.Jくんから聞いているが、間違いはないね?」

「はい。俺は元々、選手として活動していました」


 初音さんは小さく小刻みに頷いてから、こう切り出してきた。


「選手時代とコーチ時代、どっちのほうが楽しい?」

「それは……」

「単刀直入に答えてほしい。勿論、Mr.Jくんに伝えたりは決してしないよ」

「それなら……まぁ、選手時代のほうが楽しかったです。自分自身でピッチ上の状況を全て考えて、勝利に直結するプレーを果たしていく。自分の力でなすという経験がとても心地好くて、とても好きなんです。特に、得点を取れた時なんてもうほんと、感情が爆発しそうなぐらい嬉しくなりますよ」


 そんな言葉を聞いた初音さんは朗らかにほほ笑んだ。


「いいね。正にサッカー少年という奴だ」

「サッカー少年ですか。確かにそうかもしれないですね。生まれてこの方、サッカーだけは誰にも負けないって自負できるほど努力してきましたから。例えば体格が不利な相手に勝つ方法は最低でも五個瞬時に考えて正解を導き出すとかですね」


「確かに君は中学最後の大会で日本代表クラスの選手に勝利していたからね。実力的にできるのは当然というべきか」

「いやぁ、それほどでも……」


 俺は初音さんの言葉に少し照れた。

 

「じゃあ、なおさら聞きたい。なんで君は今からプロC契約を結びたいって一度も口にしないんだい? もし口にすれば、私はすぐさま契約書を用意するのに」


 それを聞いた俺は動揺した。

 この人は何にも知らないんだ。


 俺が斉京学園トップからサッカー界を追放されたことも。

 下手にたてついたら、命を奪われかねないいかれた集団ということも。


「でも……迷惑を――」


「迷惑なんて関係ない。そもそも、高校サッカー界でトップだからってサッカー人生を完全に潰しきるなんて無理だろう。何より、君みたいな逸材は実戦形式で学んだ方がより実力をつけられると思うしね」


 初音さんの言葉を聞いた俺は、少し間をあけてから聞く。


「……荒畑さんのような契約にしない保証はありますか?」


 それを聞いた初音さんははぁとつまらなそうなため息をつく。


「君、勘違いしているね。荒畑君をコーチとして専念させたのは、私が彼を干したいわけじゃないんだよ。彼には重大な欠陥があったんだ」

「重大な欠陥……?」


「得点する際に自分だけで取れるって思う事さ。FWのエゴイズムは重要だけれど、それだけじゃ上のチームじゃやっていけるわけがない。昔みたいにフィジカルや足元の技術だけで勝てるほど、サッカーは簡単ではなくなったからね。だからこそ、彼は指導者という所を通してチームがあってこそ、自分が活きるということを理解させるためにコーチとして働かせているのさ。最も、彼はこんな意味を知らないから、バカみたいな行動を繰り返しているけどね」


 ふふっと少し悪役っぽい笑いを見せる初音さんに少しだけ恐怖心を抱いていると、「でだ」と言葉を切り出す。


「君には、彼と異なり得点を取る際に味方をどうやって動かすかが身についている。高いアイコンタクト力、空間認知力、ボールを捌く技術、どれをとってもJ2上位、いやJ1中位にも匹敵する力があるだろう。今の君なら、いずれ築きたい荒畑君との2トップにも組み込めるだろうしね。ぜひ、欲しい逸材だと思っているよ」


 ……すごい評価してくれるな、このオーナー。


 俺はそんな風に感じた。

 サッカーのオーナーなんて基本的に金勘定で見てると思ったのに。


「君、今金勘定で見ているとか思わなかったかい?」

「なっ……!?」

「わかるよ。こう見えて修羅場は何度もくぐっているからね」


 さとりかよこの人と思いながら見つめていると、初音さんはカバンから契約書を出す。以前目にしたプロC契約だ。


「今の君なら、年齢的の若さからもすぐに460万円を出そう。勿論、Mr.J君の契約だって破棄できるように協力する。それぐらいの投資価値が、君にはあるんだ」

「…………」


 正直、無茶苦茶嬉しかった。

 プロの世界で戦えれば、いずれは海外にも挑戦できる機会が生まれるかもしれない。それに、この人の下でなら俺はさらに実力を高められるだろう。


 欲しい、今すぐにでも欲しい。


 そう思った矢先だった。


「いかないで……師匠……」


 ベッドで眠りについていた桜木が、寝言をつぶやいたのだ。


 そうだ、俺は。


 こいつらを、日本一に導くって決めたんだ。


「…………………ごめんなさい、初音さん。俺、まだこいつらから離れられません」

「……それは、なんでだい? 私の話を聞いていれば、こっちの方が合理的だと思うんだが、どうなんだい?」

「確かに、合理的だし、正解だとも思いました。だけど……俺は、こいつらを取りたいんです。だってこいつらは……俺に初めて出来た、共に同じ方向を向いた、初めての仲間ですから」


 それを聞いた初音さんは少し驚いた顔を見せた。


「驚いたね。まさか君から、仲間なんて言葉が出るとは……斉京ビルダーズFC時代からは、考えられられなかったよ」


 ふふっと、初音さんは笑った後。

 契約書をカバンの中にしまった。


「豆芝くん。私は君の選択を尊重する。君が望んだ結末を――しっかりと手にできるよう、精進し続けてくれ。それじゃ、私はこれで失礼するよ」


 初音さんはそう言ってから、病室を後にした。

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