第58話 緑丘高校戦 ③

 桜木は苛立ちを抑え込んだ笑みを浮かべながらチームに喝を入れる。それと同時に彼女は笑みを消し、グラウンド中央へ早歩きで向かっていった。

 その際に、チラリとベンチの方を見る。申し訳なさげに自分のことを見つめている豆芝の姿があった。


 他の選手には嫌なことを言わないのに、彼は自分のプレーだけ批判してくる彼に、少しだけ苛立ちが増す。実力が彼から乖離していることは理解していた。それでも、自分なりに前半戦は努力していたのだ。


「なんでよ……師匠……」


 自分だけ言われた辛い言葉に苦言をこぼしていると、後半が開始した。


 後半から両チームの戦術は明確に判明していた。


 緑丘高校はプレスをかいくぐる巧みなボールキープ戦術。

 二子石高校は人数をかけたハイプレス戦術だった。


「いくよ、南沢!」

「了解じゃ、キャプテン!」


 桜木は南沢に指示を出し左側を切りながらチェイスに向かう。

 相手が奪われるのを嫌って北原へパスを出す。


 同時に、水木がプレスを仕掛けた。


 水木のプレスによって北原が横へパスを出すコースが潰される。

 中央には竜馬が入っており、上手く北原のパスコースを消していた。

 

 北原はGKに下げるという手段しか残されていない状況に追い込まれる。


「へぇ、上手いねぇ」

 

 北原は軽い調子でバックパスを選択する。


「やべっ、短いか」


 直後、北原が左足で出したバックパスが少し弱くなった。GKが走って向かう事であわや失点を防いだが、非常にまずい状況に変わりはない。


「すまんすまん、パスの長さを気をつけるわ。さぁさぁ、相手のスローインだ。冷静に対処を行っていくべ」


 そんな状況の中で、北原は自分のミスを謝罪した。声の調子は先ほどよりも緩く、焦りの様子を一切感じられなかった。


 ひょうきんな態度をとる北原は左SBにスローインで受ける相手選手へマークする指示を出しながら、中央に入る竜馬へ厳重なマークに当たる。


 攻撃手を一人潰された二子石の水木は、相手SBを背中に追いながら後ろから上がっている長島へ鋭いパスを出す。


「よしきた!」


 長島はトラップと同時に狙いすましたサイドチェンジを決行するそぶりを見せる。CDMに入った吉川がプレスへ向かう中、SBとCDMの隙間に入った水木を見つけ、ゴロパスを出した。


 人数増加に伴い攻撃の流動性が増加した状況の中、水木はターンで前を向く。相手の守備五枚に対し、桜木、南沢、竜馬の三人が上がっている。それぞれ攻撃力に定評のある選手が並ぶ中、彼女は桜木にパスを出した。


 それと同時に、自分はパスを要求しながら中央へ向かった。

 ポストプレーすることで相手中盤を引き出し、パスを出しやすくするという狙いがそこにはあった。


「させるかっ!」


 先ほどのプレーと同じ状況になると考えた北原がポストプレーを潰しに向かう。それと同時に、ラインが桜木の位置まで一気に引き上げられた。ポストプレーによる、味方を活用したプレーが潰されたことを理解した水木が眉間に皺を寄せる中――


 それは起きた。


「は――?」


 それは、誰もが予想していないプレーだった。

 ポストプレーして味方に落とすと思われていた桜木が、ボールの下側を蹴ることで宙に浮かせたのだ。ワンタッチターンによりペナルティエリアへ侵入した彼女は一瞬にしてGKとの一対一を生み出したのである。


 桜木はボールが地面につく前に、浮き球を右足で一閃する。ぐぉんと音が鳴る様なシュートは勢いよく地面にワンバウンドした後――ゴールネットへと吸い込まれた。


 後半三分にして、桜木の起点でワンゴールを奪って見せたのだ。

 これには、二子石高校の前線選手たちも驚きを隠すことが出来なかった。


「凄いのぅ! あれどうやったんじゃキャプテン!」


「凄いよ、桜木さん! まさかあんな技術があるなんて驚いたよ!」


 まるで逆転勝利したかのような光景に、周りの部員たちが喜びを爆発させる。


「………………まだ、試合は始まったばかりだよ」


 桜木はポツリと声をこぼしながら、グラウンド中央へ戻っていった。

 何か違和感を感じた選手たちは少し聞こうと考えてはいたが――今は試合中ということもあり言及することをやめた。


「…………」


 ぬぐい切れない違和感が生じていると試合が再開する。得点を奪われた緑丘高校選手陣が攻勢を仕掛ける中、桜木は冷静に自陣で守るように指示を出した。


 左CAMと右CAMに入った菅原と水木がそれぞれRM、LMとして守備に就くことでサイドからの崩しにも対応する。臨機応変に選手へ指示しつつポジショニングを変化させる桜木の手腕はまるで、豆芝の様だった。


 周りの選手たちが前半よりも手ごたえを感じている中――桜木は前半よりもさらに強い疲労感を感じていた。豆芝の様に周りを見ながら、全体へ指示を出すのは、予想以上に疲労を溜めさせる方法だったからだ。


 それでも彼女は、決して文句を口にしなかった。先ほど得点を奪った結果が試合中に結論を生み出したからである。


 自分は、豆芝の模倣をすることが一番の正解であると。


 普通の人間なら、無理だと投げ出すような考えだった。

 豆芝のプレーは脳と体をフル稼働させて実現できる、異常なプレーだからだ。

 普通、体と脳を常にフル稼働させ続けると、必ずどこかでほころびが出る。それ故にサッカー選手の大半は途中で思考を止めたりする。


 だが、豆芝の場合は違う。彼は常に状況を考え続けるのだ。相手陣地前でラインをはり続ける中、カウンターだけを考える局面でも第二、第三の選択肢を常に考える、発想力を持った選手なのである。


 それを、運が悪くも桜木は手にしてしまったのだ。それは、桜木がずっと豆芝から能力を吸収しようとし続けた故に身についた賜物だった。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……やれてるよ、私……」


 桜木は多量の汗を額から流しながら息を整えていた。

 スコアボードには前半十五分で相手側にゼロの文字が刻まれている。


 豆芝を模倣した彼女によって二子石高校は前半十五分まで失点なしという堅守性を発揮できていた。このまま続けば、試合はかなり良い状況に好転をしていくだろう。


 そのように、桜木が考えていたときだった。


 緑丘高校が最後にボールを触りラインを割ると同時に、試合が止まる。

 桜木が何事かと思いながらベンチを見たとき――彼女は目を丸くした。


 まさか、ビブスを脱いだ月桃と交代を告げられるとは思いもしていなかったから。


「よくやった、桜木。ゆっくり休んでくれ」


 豆芝から左肩をポンと触られてからねぎらいの言葉をかけられる桜木は糸がプツンと切れた操り人形のようにベンチへ腰かけた。うなだれた様子でベンチに座る彼女に対し、豆芝が彼女の水筒を手渡した。


「……ありがとう、ございます」


 桜木は小声でお礼を伝えてから水筒の口から水を喉へ流す。ひんやりした冷たさが体の熱を下げるとともに――彼女の身体へ強い疲労感をもたらした。


 動かしていたことで生じていた熱が途切れたことで非常に強い倦怠感が体を蝕む。それと同時に喉奥から発生する吐き気と気持ち悪さが体中に襲い掛かってきた。


 今まで感じたことのない気分の悪さを感じていると、段々体が言うことを聞かなくなっていった。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 桜木が息苦しさを感じながら芝生の上に倒れる。

 多量の汗を流す彼女は、浅くなる呼吸音を聞きながら――


 自分の意識を手放していった。

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