第43話 泥にまみれて華麗になれ

「すまねぇな。待たせちまって」

「別にいいよ」


 琴音は一定のリズムで繰り返されていたリフティングを切り上げセンターサークルにボールを置きに向かう。芝生を踏み鳴らす音だけが響く中、後ろから声がかかる。そこには、瞳に闘志を宿らせている相馬の姿があった。


「豆芝さん。一つ先に伝えておきます。今日の僕は、ボランチとしてではなく一個人の選手としてプレーします。だから、ポジション取りとかは全く考慮していませんし練習としては意味がなくなるかもしれません。でも、それでも勝ちたいんです」

「あぁ、わかっているよ。ちゃんとお前をサポートするように、後ろから声をかけ続ける。サインは……こんな感じだ」


 豆芝は相馬だけ聞こえるような声でサインを教えた。

 それを理解した後、相馬は離れようとする。


「それと、一つだけ聞いてくれ」

「何ですか?」

「お前はポジショニングを無視すると言っているが、はなから俺は、お前をボランチだけの選手にする気はない。だから……今回のもきちんとした練習だ。そういう意識を持って、プレーしろ。いいな」

「はいっ!!」


 空気が震えるほどの大声を出してから、相馬はグラウンド中央へと向かう。


「……豆芝じゃないんだ」

「申し訳ないですが、今回もまた私が対戦させていただきます」

「へぇ……さっきより、少しは目つきに真剣さが増しているね」

「何を言うんですか。僕はいつも真剣ですよ!!」

「……そう。まぁ、いいわ。どんな状況でも、私は勝つだけなんだから」


 琴音はそう言ってからドリブルを開始する。センターサークルスタートということもあるためか、彼女は急速に速度を上げて右サイドへ向かう。


 それに対し、相馬は以前須王が行っていた腕を用いた守備で応戦する。

 琴音は瞬時に右足のアウトサイドを用いてボールを扱うが、それとほぼ同時に相馬が右肩を琴音の左肩へぶつける。これにより琴音の重心が少しだけブレ、ボールから足がコンマ数秒離れた。


 だが、さすが斉京学園一軍というべきか。


 彼女は離れたボールと相手の間にちゃんと身体を入れた後、左足でボールを回収した。これにより、彼女はボールを奪われずに攻撃を組み立てなおす機会を得た。


 ここからもう一度組み立てなおそうと琴音が考えていた時だった。

 後ろから激しいプレスを相馬が仕掛けてきたのだ。これにより、安定した選択肢を取ることが難しくなった。琴音は相馬からボールを奪取されないように、遠い位置へボールを置きキープに回る。


 それに対し、相馬は相手が反転できないように腕を用いる。一対二の状況なので、無理してボールを奪いに行く必要がないからだ。消耗戦ともなれば、ボールキープをしていた琴音の方が不利になる状況だ。


「さぁ、このままキープし続けますか!?」


 相馬が勝ちを確信し、そう叫ぶ。刹那、彼女は急に力が抜ける感覚を覚えた。相馬が燃え尽きたわけではなく琴音が急に力を抜いたからだ。相手の体力が燃え尽きたと判断した相馬は、すぐに相手の方へ回り込みボールを奪取しようとする。


 その直後だった。


 疲労を顔に浮かべていた琴音が体を回し右足のインサイドでターンを行ったのだ。相手の疲労が溜まっていると自己解釈した結果、琴音が行ったマリーシアにはまり、抜かれたのである。


 これにより、状況は豆芝との一対一に変化した。


「こいっ、琴音!」


 豆芝は左腕を一瞬横に動かしてから、琴音の全身を捉える。

 同時に脳内で彼女の状況を理解し、ジャブ程度の右足を出す。それと同時に琴音は間髪入れず右足のインサイド、左足インサイドという流れのダブルタッチで躱そうとした。


「甘いぞ、琴音」


 それに対し豆芝は左足を軸に芝生を右回転、ボールを奪える位置へすぐ移行した。豆芝のプレーを見た琴音は少し驚くとともに、左足裏でボールを引き落ち着かせる。


「コーチとして活動しているって聞いてたから驚いたわね」

「馬鹿にすんな。こちとら神門にも勝ってるんだからよ」

「……そうなのね」

「偉い喋るな。気でも抜けてるんじゃないのか?」


 豆芝がそういうとほぼ同時だった。抜かれた個所から戻ってきた相馬が単独プレスを仕掛けに来たのだ。ポジションを守るサッカーという面からみれば、愚策のプレーに琴音は動揺する。


「何をさせてるのよ! こんなの、サッカーじゃ……」

「てめぇのサッカーがどうかは知らねぇよ。選手がこうしたいって言ったから、そうさせた。それで何が悪いってんだ?」


 俺の言葉を聞いた琴音は苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべた。

 縦は豆芝が、横は相馬がコースを切っている。サイドに流れる選択肢はあるが逆足精度が高いわけではない彼女からすればあまり取りたくない選択肢だった。


 それ故に、彼女は一か八かの技に出る。

 相手が走ってきたとき、そしてすぐさま反転することが難しい時に有効なドリブル技、シャペウだ。琴音は目にもとまらぬ速さでボールを利き足で引き宙に浮かせた。


 これにより、相馬は完全に剝がされる。後はそのまま抜き去り、中央へかけてからペナルティエリアに侵入・シュートを放つだけだ。


 そのように考えていた。


 だが――


「相馬! 右腕を出して琴音を止めろ!」


 豆芝の指示によって、それが潰された。シャペウの弱点、それはドリブルする選手がボールを回収できなければ意味がないということだ。


「こん……じょぉぉぉぉ!」


 相馬が必死に右腕を出してからさらにもう一歩、彼女の前に体を入れる。

 ノーファウルで行われる進路妨害により、彼女は死に玉となったボールを回収することが遅れてしまった。


 一度も警戒していない相手に負けたという事実は――


 琴音に、大きなショックをもたらすのだった。

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