第2話(3) 全てを奪われた男
「君、
「……え?」
お父さんが表情をしかめながら口にした言葉は、俺が想定していないことだった。
(俺がスカウトを蹴った!? あり得ないあり得るわけがない。というか――なんで昨日のスカウト情報がバレてるんだ!? どこからバレた!?!?)
「してませんよ! そんなデマ、どこから出てきた情報なんですか!?」
「……誠実な少年かと思っていたが、残念だな」
机から資料を取りだし俺に見せてきた。
まとめられた資料には、以下の内容が書かれている。
・俺の電話番号と、交換した人物の黒塗り名前
・俺と黒色の目線が入った男とやり取りしている状況
・豆芝のハンコが押された推薦書
「どうだい? 君はこれでも、斉京学園を蹴っていないというのかい?」
「……こんなの、偽装ですよ!! 蹴る意味がどこにあるんです!?」
「金銭的に困窮していたから、うちを蹴ったと聞いているが?」
「誰が!?」
「君が昨日会った、スカウトだよ」
……は? スカウトが、俺を売った?
あり得るわけがなかった。
彼らは選手を見つけ出すことで自分自身の評価を高めるのだから、誠実なはずだ。なんで俺の情報を、そいつは売ったんだ?
「とにかくっ! 俺は、俺はっ! ハンコを押してませんっ! 俺は――ッ!?」
過呼吸の症状を出しながら声を出す俺の左わき腹に何かが突き刺さる。受け身一つとれなかった俺は地面を転がりながらその主を見た。
俺が転倒した原因は――彼女である琴音の蹴りだった。
「私、悲しいよ。一緒の高校で切磋琢磨すると思ったのにさ……まさか、違う高校に進学しようとするなんて。相談もなしにするなんて……許せないよ」
琴音は声に怒りをにじませながら蹴りを入れてくる。右足で力強く飛んでくる蹴りは、両腕でガードしないと耐えられるものではない。
何で――何でこんなことにッ――
「本当に……ほんとうにっ……信頼、していたのになぁ……」
ぽたり、水が俺の顔におちる。
「好きだったのに……一緒に通えるって、嬉しかったのに……私に黙って、違う学校へ行こうとするなんてさ……ひどいよ……」
震える声と、ひたひた落ちる水。すすり泣きが――
俺の過ちを理解させた。
もし、昨日の時点で、斉京学園にお金がないという事情を伝えれば変わったかもしれない。
もし、スカウトを受けたことを昨日に伝えれば対策が出来たかもしれない。
けれど――すべて後の祭りだ。
(あぁ、あぁああ、ぁああああああああ!!!)
最愛の彼女を泣かせたという事実が、俺の心を砕いていく。血液が沸騰し、呼吸が浅く速くなる。頭が痛くなり、喉が渇き、目から水が漏れ始める。
あぁ、あぁ、俺よ、マメシバよ。
お前は――本当に彼女を愛していたのか?
彼女を愛していたなら――相談すべきじゃなかったのか?
そんなことしないのに愛してるなんて――ほざくんじゃねぇよ。
(ああああああああああああああああああああああ!!)
昨日までの自分が、黒塗りに染まっていく。
セピア色だった思い出たちは、黒色に濁る。
すべての記憶たちは――俺の罪に変貌した。
(俺が……俺が……っ……俺のせいでっ……)
蹴りをもろにくらいながら俺は自分を責め続けていた。
自分の贖罪につながると考えていたからだ。
自己を守るための逃避、汚らしい、汚物みたいな俺の行動は。
自分だけがかわいい、人間としての末路といえるかもしれない。
そんな風に心の中で自分語りしていると、お父さんが声を出す。
「……琴音、落ち着きなさい。豆芝君にはまだ話せなければならないことがある」
琴音は涙をぬぐいながら、黙って俺に手を貸してくれた。
顔を真っ赤にしている彼女の手を借りて、体を起こすと――
「豆芝君。娘と別れてくれないか――」
聞きたくもなかった最悪な言葉が耳を揺らす。
俺の罪をそれだけで許してくれるなんて、なんて優しいんだろう。
だって――まだプロサッカー選手としてやる道はあるんだから。
高校サッカー選手権に出場できれば、まだ道は――
「それと――高校サッカー選手権には、出場できないと思ってくれ」
「……………………は?」
ありえない。なんでそうなる?
「何でですか……? 別にどこで活動してもよいじゃないですか!?」
「これは、私の私怨だ。娘を泣かせる男を許したい親がどこにいる。むしろこう思うはずだ。四肢を八つ裂きにして、ズタボロにして、殺してやりたいと」
お父さんの目がギラリと光る。殺意のこもった眼だ。
本当に殺されるのではないかと、肝が冷える感覚を俺は覚える。
「……豆芝君。君には二つの選択肢がある。高校サッカー選手権出場をあきらめるか、それとも……ここで、一生のトラウマを負うかだ」
低い声とともに、SPが数人部屋に入ってくる。全員ガタイの良い奴らだ。
下手に蹴られたり殴られたら、死ぬ可能性もあるだろう。
もう、選択肢はひとつしかなかった。
「わかり……まじだっ……サッカーも、諦めますっ……だから……殺さないでくださいっ……」
「…………そうか。わかってくれてよかったよ」
お父さんはほっと一息ついてから椅子に腰かける。
俺は、罪人だ。
彼女を泣かせ、親を裏切った。
最低で最悪で、醜悪で、ゴミみたいな人間だ。
けれど――こんな風に自己分析できるようになったのは。
琴音がいたからだ。
俺は立ち上がる前に、お父さんの顔をしっかりと見据える。
「お父さん。本当にごめんなさい。そして――ありがとうございました。口下手ですけど……これだけは、伝えたかったんです……」
火に油を注ぐ可能性があったかもしれない、殺されるかもしれない。
そう思ったが、この言葉だけは言おうと思った。
彼女を育ててくれて、本当にありがとうって。それだけを言いたかったんだ。
「そうか。出て行ってくれ」
俺はお父さんの表情を確認できないまま、彼女の家を後にした。
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