第1話(3) 初めての恋人

 斉京グループは現日本サッカー界に多大な貢献を果たしている。

 その功績は星の数に匹敵するのではと言われるくらいだ。


 そんな彼らの最も大きな功績は斉京学園の設立である。


 世界有数のサッカー設備を備えた、超名門サッカー高校として名高く、スタメンを取れれば名門大学への推薦入学・プロ入りが確約されるらしい。


 だが、斉京学園には大きな問題があった。

 馬鹿みたいに高い学費だ。


「助成金ありの推薦で百二十万、一般で二百万……はっ、庶民は死ねってか」


 俺の家は前述したように貧乏だ。

 俺とおやじ、二人でバイトしても自由に使えるお金は本当にない。


「くそっ、くそっ、くそぉっ!」


 俺はバーに当てたボールをダイレクトで再度当てながら怒りを爆発させる。

 俺がどれだけ斉京に貢献しても、入学できる金が用意できない。


 経済的な理由だけで、名門からの道を閉ざされる。


 何ともまぁ、理不尽じゃないだろうか。


「お前だけだよ、俺の話を聞いてくれるのは……」


 ゴールに入ったボールを手にしながらぽつりと言葉をこぼす。

 ズキンと右足が痛むが、問題はない。


 痛みは練習強度があるという証拠であり、成長できている意味だ。

 現に、俺の練習量は誰もマネしていない。

 俺みたいに努力せず金を使って遊んでいる奴らばっかだ。


 もっと、もっと、誰よりも――努力しなければ、終わるだけだ。

 俺は右足を大きく振りかぶりシュートを放とうとしていた。


「そんな無茶な練習していたら、怪我するよ」


 刹那、俺の動きがぴたりと止まる。


「すごいね。あそこから動きを止められるんだ」


 拍手と賞賛が後ろから聞こえてくる。

 美しいカナリアのような声をもつ、少女の名は、斉京琴音さいきょうことねだ。


 現在のグループトップが溺愛する一人娘である。


「斉京グループトップの一人娘がこんな俺に何の用だ?」

「前時代的な練習してるからよ」

「でも、俺は不動のレギュラーだぞ?」

「レギュラー取れたって、怪我するような馬鹿を誰が取ろうとするのよ」


 琴音の正論に俺は苛立つ。

 俺にない学力も、友人も、お金も、全て手にしている癖に指図するな。

 そんな、アホみたいな勘定に心が支配される。


「……ほっとけよ。俺が怪我したほうが、お前も得だろ? レギュラーになれるだろうし、推薦だって引く手あまただ。美人のサッカー選手っていや、メディア映えは確実だろうしな。ハハッ」


 我ながら最低な言葉を口にしたと言葉を言い終わって理解する。


「……えぇ、そうね。あなたから見た私は、そうなのかもね……」


 琴音が苦々しい顔を背ける。

 少し丸くなった背筋が彼女の傷を示している。


「とにかく、てめぇは帰れ。邪魔なんだよ」


 ダサい発言をしながらボールに向かった。

 壊れようが、壊れまいが、練習しなければ死ぬだけだ。


 そう思いながら距離を取っていた直後――右手にひんやりした感覚がはしる。


「つめたっ……! おい、何を――」


 顔を向けた先には怒っている顔を見せる琴音の姿があった。


「……いいから、足見せろ」


 琴音の行動は理解できなかった。

 一軍の奴が怪我したところで別にそこまで反応しない彼女が、なぜか俺には過剰に行動してくるのだ。それがどういうことなのか、理解できなかった。


「離せよ」

「離さないわ。あなたが怪我したら、後悔するもの」

「………………わかったよ。ただし、見たら離れろよ」


 彼女のまっすぐな目に折れた俺はグラウンドのベンチへ向かう。

 ぎしっときしませながらソックスを下げるが、炎症は起きていない。

 ほらな、と言いたげな顔で見つめてやると、奴が不機嫌な表情に変わる。


「……ソックス全て脱いで。原因は足首だと思うから」


 俺は琴音に文句を言わずに脱いだ。直後、赤色に染まった足が露わになる。

 家に帰宅した頃には普通だったのに、明らかに異常な色を示している。


「本当に、炎症していやがった……」


 もし彼女の言うことを無視していたら、故障していただろう。

 そうなれば、プロになる道なんて不可能だ。


「琴音、なんで俺の足が炎症しているってわかった?」


 俺が問いかけると、琴音は返事を返す。


「……こう見えて、サッカーライセンスとるための勉強しているの。サッカー選手として飯を食えるほどの技術を身に着けても、将来を見据えなきゃ困るから」

「そうなのか……」


 空を眺めながら自らの浅はかさを呪った。

 琴音は、俺よりも先の未来を見ていたのだ。


 そんな彼女を馬鹿にしていたのだ。

 あぁなんと情けないバカなんだろう。


「ありがとう、琴音。俺を止めてくれて」俺はお礼を伝える。

「別にいいよ、お礼なんて。氷持ってくるから少し待ってて」


 彼女はクラブから氷袋を持ってきて俺の足を冷やす。

 痛みに苦悶の表情を浮かべていると、琴音がふふっと笑った。


「豆芝も、痛みには弱いんだね」

「うるせぇやい」

 

 意地悪に笑う琴音を見つめながら、少し胸が熱くなる。

 彼女が可愛らしいと思ったからだ。 

 不器用な俺がそっぽを向いていると、琴音が問いかけてくる。


「豆芝って、何の目的でサッカーやってるの?」

「楽しいから、って理由だとだめか?」

「いい理由だね。好きって原動力は、上手くなるのに大切だからね」


 実際、本心ではあった。昔の俺は楽しくてサッカーをやっていた。

 今の俺なんかとは違って、ただただ純粋に楽しんでいた。


 今の俺は――楽しめているのだろうか?


 ふと疑問を抱いていると、五時を示す音が響く。

 そろそろ夜も近いようだ。


「なぁ、琴音。そろそろ帰っていいぞ」


 俺は優しさから彼女にそう伝える。


「ダメ。帰らない。何かがあったら困るから」


 予想外の反応が返ってきた。

 頬を少し赤らめるどこか恥ずかしそうに指をいじいじしている。


「何か何かって……お前は俺の恋人か何かかよ?」

「……そう、なれたらよいけれどさ」


(―――――は? こいつ今なんて言った?)


 瞬きしながらさっき聞いた言葉を思い出そうとしていると、彼女が冷たい手で俺の火照った手を握る。


「私、あなたが好きなの」


 突然の告白だった。


「俺を……好き?」

「えぇ、そうよ」


 彼女はそう言いながら掴んだ右手を自身の胸に押し付ける。柔らかく脈打つ鼓動が、ほのかに耳を鳴らしていた。いや、違う。少し速いようだ。


「あなたみたいな人間なら、大人になったときにこの身をささげても構わない。そう思えるほどにあなたは魅力に溢れた人間よ」

「……本当に俺なんかでいいのか? 貧乏だし、顔も冴えてないのに」

「うん」


 彼女は俺の顔をまっすぐ見つめながら、嬉しそうに相槌する。

 俺は、不器用な男だ。

 アホでバカなのに、他人とも接しようとしない。

 社会不適合者に近い人間だ。


 そんな俺を――無性に、愛してくれる少女がいる。

 それが何よりも、何よりも――嬉しかった。


「ありがとう、琴音……こんな不器用な俺でいいなら……よろしくな」


 俺は、彼女の目を見ながらまっすぐと返事を返す。

 琥珀色の瞳が夕焼けを浴びて、宝石のように輝いている。


 そんな彼女が、とても美しいなと思うのだった。


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