【SIDE】桜木の悩み ②
桜木が出会ったのは半田、月桃、森川の三人だ。
半田や森川の手にはサッカーの基礎技術や戦術を説明した本、月桃の手にはノートと筆記用具が握られている。
「さっきぶりだね、皆。サッカーの勉強していたの?」
桜木が手を振りながらほほ笑むと、先頭にいた月桃が微笑み返す。
「はい。今は控えですけど、皆さんに負けないために私たちで勉強しようってことになったんです」
「レギュラーの座、もしかしたら危ういかもですよぉ~~うりうりぃ」
本を両脇に挟んだ森川が八重歯を見せながら両手の人差し指を出しつんつんと上下に動かしている。半田と月桃はそれなりに仲がよさそうだと思っていたが、森川がここまで社交性に富んだ人物だとは桜木も見抜けなかった。
凄い子だなと桜木が感じていると、半田が問いかける。
「それで、桜木さん。今日は一体何の目的で図書館に来たんですか?」
「えっと……それは……」
「好きな人から嫌われない行動について、学びたいようですよ」
「なっ……ユニ! 出しゃばらないで!!」
桜木が大声を出すと同時に司書さんや次週スペースで勉強していた大学生から怪訝な視線を向けられた。桜木がぺこぺこ辺りに申し訳なさげに頭を下げていると、ユニが視界中央に入る。
そして、ぴとりとユニの指が桜木の口元前で止まる。
「お嬢様、図書館ではお静かに」
右人差し指を近づけながら、「お口チャックです」と口にしウィンクする。執事服をまとった女性が行う行動に男性たちの視線が一瞬集まる中、桜木は――
「ぷしゅう……」
恥ずかしさのあまり、頭から湯気を発していた。
少しよろけ、壁に頭をぶつけそうになる桜木を、ユニは軽く受け止める。
「お嬢様が少し疲れてしまわれたようなので、皆様とご同行させていただいてもよろしいでしょうか?」
「わ、わかりました」
桜木はユニに肩を貸してもらいながら図書館の椅子に座る。
周りの人たちから大丈夫かと言いたげな視線が向くが、ユニの対応によってそれはなくなった。
「ユニぃ……勝手なことしないでってあれほどぉ……」
「申し訳ございません、お嬢様。ただ、私一人で行うよりも皆様に協力していただいたほうが良いと思ったんです」
それを聞いた月桃と半田が口をひらく。
「協力って、つまり……」
「恋愛のハウトゥー本を探す、ってことですよね?」
「えぇ、そうです」
「面白そうですね、やろうよ、みんな!」
間髪入れずに、森川が声を頑張って調整しながら反応する。にらむ人がいないことにほっとしつつ、彼女は半田と月桃を見る。
「まぁ、キャプテンにはいつもお世話になっていますしね」
「そうだね、半田さん。よし、私も協力しますよ」
「ありがとうございます、皆さん」
こうして、即興的に恋愛ハウトゥー本調査同盟が完成した。
※
桜木は、少しの間夢を見ていた。
かつて放課後の教室にて経験した、一つの思い出だ。
「桜木さんって、まじめだよね」
「そうそう、誇っていいよ!!」
木製椅子に座るボブカットの少女を三人の陽キャ少女が囲んでいる。
彼女たちの握る点数はそこまで高くはないが、万年平均以下を取っていた彼女たちからすれば躍進と言えた。
「ありがとう、三人とも。復習になったからちょうどよかったよ」
「よかったぁ~~桜木さんの時間を邪魔したらどうしようって思ってたんだ!」
「美人でスポーツ万能で、勉強もできる……いやぁ、天は二物も三物も、だね!」
「あっ、そろそろ時間! それじゃ、またね! 桜木さん!」
「待たね、三人とも」
三人の少女たちが教室を後にし、静けさが訪れる。
六月の陽気は蒸し暑く、桜木の身体を熱してきた。
(セミの鳴き声を聞きながら、ちょっとひと眠りしよう)
桜木がそんなことを思いながら教室の扉が開いた。
誰かが忘れ物でもしたのだろうかと思っていると、見慣れた人物が顔を見せる。
「相馬。にこやかに微笑んでどうしたの?」
「ふっふっふっ……聞いてよ、桜木! 僕、今回赤点全回避したよ!」
相馬はむふーとした表情で点数を見せる。
赤点ぎりぎりの三十点、四十点台と悲惨すぎる点数が並んでいる。
「……アンタ、内申は大丈夫なの?」
「留年はしないと思うよ、って先生からは言われてるよ!」
「……それ、おべっかだよ」
「おべっかって、どういうこと?」
相馬は椅子に座りながら首をかしげる。
どうやら本当に分かっていないようだ。
このトリ頭、と言いたくなったが彼女はそれを飲み込んで違うことを言う。
「調べなよ」
「わかった!」
桜木はぐでんとした様子で机に頬をつける。
相馬は彼女の隣机に座りながら、同じように机に顔をつけていた。
「ひんやりして気持ちいいね、桜木」
「……そう思う?」
「うん。授業中眠るのに最適だなって思うよ」
「授業はまじめに聞きなさい」
「は~~い。分かったよ、桜木」
全く意味のない、地味なやり取りを交わしながら数分過ごす。
セミの鳴き声がけたたましくなる中、扉が再度開く。
「あれっ、二人とも。こんなところにいたんだ」
彼女たちは聞きなれた声を耳にすると同時にゆっくりと顔を上げる。
ぼやける目をこすり鮮明にすると、見慣れた人物が映った。
その女性は黒色のヘアゴムで結んだ後ろ髪を賑やかに動かしながら近づいてくる。
「ふったりともっ! 何してるの?」
「ひより先輩……こんにちは。ちょっと、黄昏ていました」
「うんうん、試験疲れたからねぇ~~」
ひよりと呼ばれた人物は両腕を組みながら相槌を打つ。
「桜木ちゃん、相馬ちゃん。成績は上がった?」
「私はいつも通り学内順位一桁ですね。先輩に教えてもらった物理の範囲が少しとれるようになったなって思います」
「僕は赤点回避を全科目でできました! マジでありがたいです!」
「おぉ~~!! それは良かった!! 二人とも、よ~しよ~し!」
ひよりは桜木と相馬の頭頂部を優しい手つきで撫でた。
桜木が恥ずかしそうにしている中、相馬は温泉に浸かったような顔をしている。
「気持ちいいですぅ~~」
「おっ、いいねぇ~~痒いところはありますかぁ~~?」
「後頭部ですねぇ~~」
「お客さん、それじゃちょっと首を下げてね……じゃ、いくよ! うおりゃりゃりゃっ!」
ひよりが美容院で髪を洗うときの要領で頭をわしゃわしゃと掻くと、相馬はリラックスしたような声を出す。表情からは気持ちよさそうな感情が漏れ出していた。
「桜木ちゃんは、どこかやってほしいところある?」
「わ、私ですか……!? えっと……そのぉ……」
「分かっているよ。いつものでいいんだよね?」
「………………はい」
桜木が恥ずかしそうにうなずくと、ひよりが頭を優しく撫でる。
激しさが一切ないソフトタッチを頭に受けていると、ひよりが彼女が褒める言葉をゆっくりと口にしていく。
先輩の言葉を聞くたびに、桜木の疲労感はゆっくりと溶けていった。
「も、もう、いいです……恥ずかしいですから……」
「えぇ~~後三十二個は褒めるところあるのに……」
「そんなに言われたら、恥ずかしさで死んじゃいますよ」
「むぅ~~分かったよぉ」
ひよりはちょっとだけ頬をぷくっと膨らませながら褒めを止める。
「よいしょっと……さて。ちょっと本題に入ろっかな」
「本題……?」
「いったい、何かあるんですか?」
「うん。実はね。二人にキャプテンを任せようって、思ったんだ」
ひよりの言葉を聞いた二人はほとんど同時に驚きを声に出した。彼女たちは、自分たちがキャプテンになるとは一度も知らされていなかったのだ。
「私の考えとしてはね。キャプテンを桜木ちゃん、副キャプテンを相馬ちゃんに据えたいと思っているんだ。桜木ちゃんは真面目だし、勉強も出来るからかなり適任だと思う。けれど……時折、自分一人で走っちゃう癖がある。実際、試合とかでも自らで状況打開しようとしすぎちゃうこと、あるよね?」
「うぐっ……た、確かに……」
桜木は以前の練習試合を思い出し反省する。
「相馬ちゃんは、プレーが堅実でボランチとしてのパス供給力はすごいと思うんだ。自主練習とか、一日六時間以上こなしているってのも知ってる。相馬ちゃんの行動はチームを引っ張るための基盤として使えると思うんだ」
「僕の場合は、練習が大好きですから。もっと詰めてもいいですよ!」
むふーといいたげな顔で相馬は自らの絶壁に手を当てる。
「うん、いい心がけだね。ただ……相馬ちゃん」
「はいっ、なんでしょうか!」
「成績、それでよいと思ってるの?」
「ぐふっ!?」
相馬は自らの弱点を指摘され机にがんと頭をぶつけた。
二人が心配そうにしている中、相馬はゆっくりと顔を起こす。
「は、鼻血出てるよ!」
「ティ、ティッシュかんでっ!」
「ず、ずびばぜん……」
相馬はちょびっと涙を浮かべながらひよりに渡されたティッシュを鼻に入れる。
「……相馬ちゃん。勉強もだけど、うっかりで怪我しないように気を付けようか」
「ぶふっ……ふっ……すみません、気を付けます」
鼻血を抑えるために相馬はティッシュを多く使っている。
だが、収まりそうになかった。
「相馬。とりあえず、保健室行った方がいいかも。付き添おうか?」
「大丈夫……自分ひとりで行けるよっ……」
「そう……分かった。無理はしないでね」
「うん……」
相馬が鼻血を抑えながらその場を後にする。
教室に残された二人に少し沈黙が走った後、
「……やっぱり、心配なんで相馬を見てきてもいいですか?」
「うん。いいよ。私もついていくよ。時間があるからね」
「ありがとうございます、ひより先輩」
結局、心配が勝利し相馬を走って追うことにした。
相馬は鼻血の影響か、結構ふらついているようだった。
「相馬、肩を貸すよ!」
「相馬ちゃん、私も肩を貸すからね!」
「ありがとう、ございます……ひより先輩……桜木……」
相馬はお礼を述べながら、二人の力を借りて保健室に入っていった。
ふーと桜木が一息つく中、ひよりが口を開く。
「桜木ちゃん。相馬ちゃんを副キャプテンにした理由って、わかる?」
「……わかりません。選手としてみれば上手いですけど、チームをまとめ上げられるかって面で見るとあまりに力不足に感じます」
「辛辣だねぇ……まっ、そう思うのもわかるよ。相馬ちゃん、桜木ちゃんに勉強を教えてもらってなんとかしのいでいる節があるからね。でも……彼女は副キャプテンとして必ず桜木ちゃんを助けてくれる。そういう日が来るよ」
「……来ますかね?」
「うん、くるよ」
ひよりの真っすぐな言葉を聞いた桜木は、そういうものかと思うのだった。
『今となっては頼りになるからなぁ……先輩は正しかったんだなぁ……』
夢の中で想いにふける。
『もし、先輩に会えるなら……また、楽しく笑いあいたいなぁ……』
それを果たすには、まだ実績が足りないことを理解していた。
先輩が安心して戻れるようにするには、女子サッカー界で名を轟かせる斉京学園の女子サッカー部に勝てるほどの力をつけなければならないだろう。
それを果たすには、前線を張る自分が一人で打開する力を高めなければならない。
FWである自分が役目を果たせなければ――
先輩が安心して戻ることなんて、出来ないはずだ。
『もっと、もっと、もっと、もっと……師匠から、学ばないと……』
それが、先輩を救いだせなかった自分のできる、贖罪なのだから。
『もっと、もっと、もっと、もっと……師匠を……独占、しなきゃ……』
桜木は、夢の中でふつふつと焦りをにじませているのだった。
※
「うぅ……んぅ……」
桜木は図書館の机に突っ伏しながら眠りについていた。
隣ではユニが心配そうな顔で背中を優しく擦っている。
「その……ユニさんは、執事さん、なんでしたっけ?」
前の席に座っている月桃が本から顔をそらし、ユニの顔を見る。
「そうですね。お嬢様のことは、幼いころからの付き合いです」
「へぇ、そうなんですか桜木さんは学校とかだと生真面目って感じだから、あんなふうに素を見せているのは中々みませんでしたよ」
「お嬢様は学校のことをあまりお話になりませんから、知りませんでしたね」
ユニが軽く相槌を打ちながら話していると、森川がうずうずと体を動かしている。それに気が付いた月桃が問いかける。
「森川さん、桜木さんについて何か知っているんですか?」
「うぅ~~ん……知ってはいるんですけど……本人のメンツのために、口にしてもよいかどうかがわからなくて……」
森川は顔を青ざめながら唇を震わせる。
彼女は前に行われた桜木による豆芝暴行を目にした当事者だった。
もし自分にあんな矛先が向けられたらと思うと、怖くて怖くてたまらなかったのだ。
「……もし、お嬢様のことで何かわかることがあるんだったら、お願いします」
「…………わかり、ました。執事さんにそう言われちゃ、話すしかないですね」
森川は苦い顔を浮かべながら話し始めた。
それを聞いた半田と月桃は――
「……森川さん、それ作り話だったら相当ひどいよ?」
「そこまで暴力的には見えないけどなぁ……優しくて、まじめだし」
「えぇっ……!? 何この、信頼の差は!?」
「いや……私は、信じますよ」
「えっ……ユニさん!?」
ユニは額から汗を一筋たらしながら、森川の顔を見る。
「お嬢様はあなた方が思っている以上に自分自身で解決しようって思う方なんです。誰よりも、自分の家のために努力し続けてきた人ですから。それゆえに――この方は今回も……誰よりも、強くなろうとしていたんです。だからこそ、暴力というあまり良くない手に走ってしまったんだと思います」
「……」
それを聞いた三人の顔に、暗雲がよぎる。
自分たちがチーム内でお荷物レベルの実力しかないこと。
それがゆえに桜木が非行に走るような状態に追い込ませていたこと。
それを解決するために、一人で努力し続けていたこと。
様々な心中を察するだけで、彼女が抱えてきた重みを理解した。
その間にユニは自分の携帯を用いて車を呼ぶ胸のメールを打つ。
「森川さん、お話しいただきありがとうございます。お二方も、お時間をいただきありがとうございます。もしよければ、今度お礼いたしますよ」
それと同時に、ユニは桜木をお姫様抱っこして消えていった。
彼女たちがいなくなり、静けさが訪れた図書館にて。
「……私たち、もっと強くなりましょう」
「そうだね、月桃ちゃん」
「より強くなって、桜木さんの役に立てるよう、頑張ろう!」
三人は、そんな決意を固めるのだった。
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