【SIDE】桜木の悩み ③
「あれ……あれ!? 私、図書館にいたはずじゃ……!?」
夜、桜木は自室のベッドで目を覚ました。
「お目覚めですね、お嬢様」
「何があったの、ユニ?」
桜木は思い出せないと言いたげな様子だった。
「疲労がたまっていて、眠ってしまわれたんです。お疲れかと思ったので、家に送り返したんですよ」
「な、なるほど……私、変な行動とかしていなかった?」
「大丈夫ですよ。お嬢様が好きな人から嫌われたくない本を探してもらっただけです」
「なっ……なっ、なっ! なにしてるのよ!」
桜木は両腰に手を当てながら頬をぷっくりと膨れさせる。
ボブカットが揺れるほどぷりぷりと怒るが、暴力には決して移そうとはしない。
「……殴ったりとかは、しないんですね」
「当り前じゃない! かなり尽くしてくれているのに、殴る必要ないでしょ!」
「……ありがたいお言葉です。本日の夜は、どの様にお過ごしする予定ですか?」
「……まぁ、疲れているから。早く寝る予定よ」
「かしこまりました。それでしたら、早めにお風呂に入れるのが良いと思います」
「そうね。そうするわ」
桜木はお風呂に向かうための準備を済ませ、部屋を出る。
普段だったら一人で向かうはずだったが、この日は違っていた。
夜用の執事服と下着をユニも用意していたのだ。
「……なんであなたも服を用意しているのよ」
「決まっているじゃないですか。お嬢様のお背中をお流しするんですよ」
「……どういう風の吹き回しなの?」
「頑張っているお嬢様の疲労を取りたいだけですよ。ただ本当に、それだけです」
「…………わかったわ。一緒に行きましょう」
※
「やっぱり広いですねぇ、ここの湯舟」
「お父さんがお風呂好きだからね。私には、あんまりわからないな」
「大人になったら、見栄えに気を使いたくなるもんですよ」
「そういうもんなのかなぁ……」
「そういうもんですよ」
桜木とユニはたわいのない会話を湯船で交わしていた。
他の人物が誰もいない風呂場に、彼女たちの言葉だけが響く。
「お嬢様。将来はお父さんのお仕事を継ぐんですか?」
「お父さんの仕事……あぁ、会社の社長ってことね」
桜木は口元に手を当てながら考えるそぶりを見せる。
ユニは桜木が悩んでいると察したうえで、自らの考えを伝える。
「お嬢様。私としては、正直どちらでもよいのです。お嬢様が、どの様な選択をしたとしても……私は、お嬢様のゆく道についていくだけです」
「それは、私がたとえお嬢様じゃなくなっても?」
「はい」
「…………フフッ。気遣ってくれて、ありがとうね」
桜木は朗らかに微笑みながら、ぽつりと言葉を呟く。
そして、微笑みながら言葉の続きを述べ始める。
「でもね、ユニ。あなただって人なのよ。私たち桜木家の奴隷じゃなくて、一個人の人なの。そんなあなたを繋ぐのは、お金という関係よ。それが切れてしまえば……私とあなたは赤の他人でしかない。もし私が没落したりしたら……あなたは私を捨てて幸せになったほうがいいわ」
桜木は少し寂しそうな顔をしながら、言葉を言う。
言葉は強がっていても、感情は表情に漏れ出ている。
「……お嬢様」
「さてと。私はそろそろ――」
「あなたは――馬鹿ですか?」
湯舟を出ようとした桜木は、ユニから放たれた言葉に目を丸くする。
「それ……どういうこと?」
「自分の中にある悩みを伝えないバカだって言ってるんですよ」
「それは、今日相談したじゃない」
「違います。そういう表面のことじゃなくて……もっと、深いことです」
桜木ははっとした表情を見せる。
「お嬢様に言いたくはなかったんですけど、伝えさせていただきます。ご学友のかたから、お嬢様がコーチの男性に暴力を働いたとお聞きしたんです。最初はコーチから何かひどいことをされて行動に移したのかと思っていたのですが、話を聞いている限りだとチームを強くするためにご学友の方を招待したからという理由だと聞きましたよ。普通じゃないですよ、そんなの」
「……………………」
桜木は腕をプルプルと振るわせながら顔を赤くしている。
それは、風呂でのぼせたのではなく、自らの行動を明かされた怒りだった。
「……失礼しました。感情が高ぶってしまい、いらないことを口にしました」
「……いいわよ。あなたがそういう人物だって、理解しているから。だけど、この後の続きは場所を変えましょうか」
ユニの言葉を聞いた桜木は一瞬だけ自分の顔に右手を当ててから、表情をすっと変え、真顔になる。一人の高校生から、凛々しいお嬢様の姿に変化した。
「お嬢様……」
「安心して。あなたには、私の悩みを打ち明けるから」
「……わかり、ました」
桜木の言葉を聞いたユニは一緒に風呂場を後にした。
ドライヤーを使って髪を乾かした後、互いに服を着て自室に戻る。
「……ユニ。これからいうことは、あなたを信じてのことよ。もし他に漏らしたら……私は、絶対に許さないからね」
「お嬢様……わかりました」
桜木はユニの目を見て小さくうなずいてから、話し始めた。
※
……私ね。
一人の先輩を尊敬していたの。その人はサッカー部の先輩で、気さくで優しくて、まっすぐとした心を持った人だった。
その人に、私は憧れていたの。その後、卒業したあの人の後をついで、キャプテンとして必死にまとめてきた。
けれど、あの人みたいに私は上手く行動することが出来なかった。
だからこそ、私はずっと、あの人みたいになろうとして必死に努力し続けた。
つまらない真面目さを隠すために笑顔を作る練習をした。
チームをまとめるために本を読んで、何をしたらよいか考えて行動した。
そしたらだんだんと、みんなが付いてくるようになっていった。
先輩みたいになることが、私の正解なんだ。生きる道なんだ。
それを理解した私は、先輩に近づけるように努力し続けた。
いつか、高校サッカー部で活躍する先輩にお礼を伝えられるように。
私は立派な一人の人間としてお礼を伝えられるように。
私はただただ、まっすぐと道を歩み続けていた。そのはずだった。
なのに、先輩は――
部活に、姿を見せなくなった。
あんなまじめで、優しくて、良い人が挫折するなんて。
ありえないと思ったし、信じたくないと思った。
もちろん、家にだって向かった。
けれど、親御さんから追われた。
今は、誰にも会いたくないって。
それを聞いたらもう、先輩に会うことはできないと思った。
そう思ってたら、あっという間に高校生になった。
先輩が所属していたサッカー部は、最早部員が誰もいない状態だった。
そんな廃部寸前の部活だって聞いたから、まずいと思ったんだ。
だから、私は入学式の前に必死に新入部員を歓迎した。
がむしゃらに相馬と走って、サッカー部に勧誘した。
その結果、それなりに人数を集めることが出来たよ。
勿論、先輩にも報告しに行ったさ。そしたら、偶然先輩と会えたんだ。
先輩は、以前とは人が変わったように疲れている様子だった。
先輩は私の報告を聞いて嬉しそうに笑ってくれたけど――
決して、サッカー部に戻ってくれようとはしなかった。
今の自分が戻ってきたところで、チームに迷惑をかけてしまう。
それに、私がキャプテンに戻ることになったら私が成長できなくなる可能性があるって教えてくれた。
先輩の言うことは正しいと思った。
私は常に、先輩に頼ろうって思ってしまうのが悪い癖だったから。
だから、私は決めたの。
先輩が戻ってこれるように強くなる必要があるって。
そんな矢先だった。
私は、コーチとなる男性に出会ったの。
その人は、サッカーがずば抜けて上手かった。
選手としても、指導者としても、その人は高水準を持っていた。
その人と出会って、私は思ったの。
この人にサッカーを教えてもらえたら……先輩が安心して戻れるほどの力を、私が身に着けられるかもしれない。
それを果たすには、技術をすべて吸収して強くなる必要があると思ったの。
だから私は……必死にその人を独占しようと思った。
サッカーは、結局のところ得点を奪わなければ勝てないから。
それを果たすには、シューターとして独り立ちしないといけないって思ったから。
けれど、その人は私の狙いとは異なる行動をとり続けた。
相馬や森川さんといった、他の選手にも指導を始めたの。
チーム全体を底上げするのは確かに必要だって、わかっている。
けれど、流ちょうなことをやっていたら先輩が戻ってくるのはどんどん遅くなる。
実績を出すには、私がもっと強く、強くならなきゃいけないの。
だから私は……暴力に走った。
悪いことだってわかっているのに、私は感情的にそれを行った。
人間として最低だと、私自身理解している。
けれど、止められないんだよ。
不安で、不安で、不安で、不安で、たまらないから。
※
「……お嬢様。お話しいただきまして、ありがとうございます」
ユニは机に突っ伏している桜木を見ながら深々と頭を下げた。
「……ユニ。私の話を聞いて、どう思った? 軽蔑でもした?」
桜木が涙声で問いかける。
それに対し、ユニは口元を笑いながら
「まさか。寧ろ、安心したぐらいですよ」といった。
「……安心?」
「えぇ、そうです。共有してくれたおかげで、お嬢様と一緒に問題を解決していけるんですから。だからまずは……一人で、何とかするって考えを捨てましょう」
「何を言ってるのよ、ユニ! サッカーはFWが得点を取らなきゃ勝てないのよ! 点を取って取って取りまくらなきゃ、勝てるわけないじゃない!」
「お嬢様の言っていることも一理あります。ですが、それで今日の試合は勝てたんですか?」
桜木はユニからの質問に口をつぐんだ。
実際、前半だけで0-3と大差をつけられただけでなく、冨士和FCの守備陣に攻撃をつぶされ続けていたのだ。
「……じゃあ、どうすれば」
「コーチさんの指導を、他選手にもうけさせる必要があります」
「何を言ってるの! それをやったら、私が強くなれなくなるじゃない!」
「……お嬢様、自分一人で何とかできないんですよね。それならもう、周りを強くして勝てるようにするしかないですよ。それをコーチはしたいんじゃないですか?」
「………………でも」
「でもじゃありませんっ!」
頑なに行動を変えない桜木に対し、ユニが怒声をあげる。初めて聞いたユニの言葉に桜木がおびえた声を出すと、はっと我を取り戻したユニは
「ご、ごめんなさい。お嬢様。つい、言葉が出てしまいました……」
「いや……私こそ、ちょっと意地を張っちゃってたかもしれないわ」
桜木は目をつぶり感情を落ち着かせる。
ふーと息を吐いてから、
「分かったわ、ユニ。これからは……独占するって気持ちを、抑えるようにする」
「……完全に独占をやめるってのは、やめたくないんですね」
「……やっぱり、一人で学べた方が強くなりやすいと思うからね」
それを聞いたユニははぁ、とため息を軽くついた。
そのうえで、彼女はお願いを口にする。
「それと、コーチを殴ることはもうやめてくださいね」
ユニからのお願いに対し桜木は悩ましそうな顔を見せながら、
「……我慢できるように、頑張る」
と口にするのだった。
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