第27話 師匠、浮気したんですか!?

 顔や体の節々に痛みが残る早朝。

 俺は朝ご飯を食べながら戦術を再確認していた。

 

 今日の試合は前回とは異なり勝っても負けてもいい試合だ。

 山岳戦と比較すると、そこまで緊張感もストレスもない。

 

 が、今回の試合に関して決して手を抜こうという考えはない。

 一試合一試合、チームとして経験を積み上げていかなければ、斉京学園に勝利するなんて夢のまた夢だからだ。


「夢を現実にするには、目先の物事を確実にこなす。これが重要だからな」


 自分に言い聞かせながら冷蔵庫から水を取り出し口にする。


 ――ピンポーン


 喉を潤していると、インターホンが音を鳴らした。

 時計は午前六時を指しており、桜木たちが訪れるよりも早い。


 勧誘系だったら居留守しようと思いながらモニターを視認する。

 女性らしい体のラインを黒のスポーツジャージに包んだ黒長髪の女性だった。俺は瞬時にその人物が誰かを理解し、扉の前に鍵を開けずに向かう。


「黒木先生。いったいどうやって俺の住所を知ったんですか?」

「桜木さんに教えてもらったの。昨日の練習に顔を出せなかったから、事前に状況を把握しようと思ってね」

「なるほど……」


 サッカー部顧問の黒田先生がやってくるとは予想外だ。

 桜木よ。師弟関係があるならせめて師匠に話を通せ。


「……わかりました。部屋の中で話しましょう」

「ありがとうございます。助かります」


 俺は黒田先生を中に入れる。

 百七十はありそうな先生に頭を軽く下げてから、リビングの席に座らせる。

 冷やしていた水をコップに入れて、机に置くと


「ありがとうございます」と落ち着いた声でお礼を伝えてくる。


 年が二十中盤ということもあってか、妙な親近感と魅力を感じた。

 俺の性癖に近い身体をお持ちになっているからかもしれないが、そんなことを言えば役満レベルのセクハラになるので、心の胸に秘めて、平静を保つ。

 

「それで、どの様なことを聞きたいんでしょうか?」

「まず、豆芝さんからみた選手の評価について教えてほしいです」

「選手評価……ですか。それはなんでですか?」

「もし豆芝さんがコーチとして活動できなくなる事態に陥ったとき、私が引き継ぎをこなせるようにするためです」


 黒田先生が口にした理由は俺を納得させるには十分だった。初心者の立場である先生が生徒を主観評価するより、最低限目が肥えた俺の方が正確に伝えられるだろう。


「わかりました。口頭で伝える形式でもいいですか?」

「はい、大丈夫です」


 先生は胸ポケットに入れたメモ帳を取り出した。胸部の膨らみに一瞬脳が持っていかれかけるが、すぐに理性を取り戻し、説明を淡々と始める。


「――という感じで、自分は選手について考えています」

「なるほど。大まかなことはわかりました。ポジションを組むときは豆芝さんが評価していた選手を主に使うようにしますね」

「あ、いや。固定化は避けてください。選手ってのは調子が結構反映されます。体調が悪いとか、ケガをしているとか、気持ちが集中しきっていないとか。そのような状況になっていそうだったら、違う選手を起用したほうがいいです」

「なるほど……確かに体調とかが悪いと力を出せないってありますもんね。ありがとうございます、豆芝さん」


 先生は納得した様子でメモを取っている。

 表情からはいらいらという感じや面倒くさいという気分が一切感じない。


「先生、真面目なんすね。顧問の仕事って、面倒くさいかなって思うんすけど……」

「……まぁ、本音を言うと、大変だね。部活動で頑張っても、給料が上がるわけでもない。結果が出るかもわからないし、時間を浪費するだけかもしれない。けれど……皆が諦めないで、努力しようっていう思いがあるならさ。大人として答えなきゃって思うんだよね」

「……大人なんですね、先生って」

「まぁ、年はそこまで変わらないけどね。私もそこまで経験が濃い訳じゃないから、それなりに間違える事だってあるし。でも、間違えることを恐れて進むのを止めたらそれこそダメだと思っているから、頑張り続けようとは思っているよ。って、こんなこと豆芝さんに語る話じゃないよね。ごめんね」

「いえいえ、貴重なお話をいただきありがとうございます」


 素直に礼を言うと、先生は自身の頬を軽く指でなぞりながら「それならよかった」と口にする。

 もし俺がプロになることが出来たら、先生の言葉を胸にしまおう。

 俺はひそかに決意を固めながら自分で用意した水を飲みほした。


 そうして六時三十分を時計の針がさしたころ、インターホンが鳴る。

 いつものメンバーがやってきたことに気が付いた俺は慣れた手つきで家に招く。


「おはようございます! 師匠、それと黒田先生!」

「おはようございます、豆芝さん、先生。今日はよろしくお願いします」


 先生は桜木と相馬の姿を視界にとらえると瞼を忙しなく動かしている。

 何事だろうかと俺が感じていると、先生が不思議そうに首をかしげた。


「いや、なんというかさ。三人とも、距離が近いなって思って。豆芝さんがコーチになってまだ一月ぐらいだから、もう少し距離が開いてるかなって思ってたけど……」


 先生が不思議そうに俺たちを眺める中、相馬が誇らしげに先陣を切る。


「決まっているじゃないですか。僕たちがコーチに手厚い個人レッスンを受けているからですよ」

「こ、個人レッスン……? それって、どういう……?」

「一対一で厳しくそれでいて愛情持って指導してもらってるんです。僕が苦しいって口にしても、厳しくビシバシと愛の鞭をくれる豆芝さんは最高ですよ」


 相馬が頬を高揚させながら嬉しそうに体をくねくねさせる。

 先生の表情が無茶苦茶険しくなっていることを察するに、何かいかがわしい関係になっているのではないかと思われているのだろう。


「黒田先生、安心してください。あくまでサッカー練習しかしていませんから。えぇ決して、それ以外の行動はしていませんよ。な、桜木」

「……本当に、そうなんですか?」

 

(――????????????????????)


 頭の中で”?”が雪崩みたいによぎる。意味が分からない。

 桜木は俺の方を見ながら顔に怒りの感情を抱いている。

 

「豆芝さん、携帯のSNSを見せてください」

「は……? な、なんで?」

「浮気していないか確認するためです」


 桜木はぷんぷんと擬音が生まれてきそうなほど頬を膨らませている。

 面倒くさいと思いながら「どぅどぅ」と両手を出して落ち着かせようとするが、あぁ、ダメそうだ。

 下手に黙ったままだと、ジャーマンスープレックスを決められてもおかしくない。


「豆芝さん。私がチーム内で一番、あなたを高ぶらせることが出来ますよね? 選手としても、チームへの貢献としても、いっっっちばん貢献できていますよね?」

「ま、まぁ、確かに……」

「そんな私という、一番弟子がいるにもかかわらず……隠し事なんてどういうことですか? こんなにもかわいくて、美人で、美少女なのに!」


 桜木は急に自画自賛し始める。

 先生の前で行うとか頭いかれたんかこいつと言ってやりたいが、まだ体の痛みが治まりきったわけではない。下手にダメージを食らうとぽっくりいきかねん。


 とりあえず証拠を見せるかと思っていると、先生が背後から声を出す。


「豆芝さん、あなたまさか……職権乱用して、生徒を手籠めにしてないですよね?」


 氷のような視線でさっきのこもる声がぶつけられる。

 顔の整った成人女性から冷徹な視線を向けられるのは、少し背徳感がある。

 だけど、そんなことを言えば懲戒免職されても文句が言えない状況になる。


「……わかりました。していない証拠を見せますよ」


 俺は自室に入り、カバンの中からスマホを取り出した。

 Mr.Jとの連絡情報が一切入っていない、完全個人用のものだ。


「ほら、見ろよ。桜木、相馬」


 俺は奴らが愛用しているSNSの画面を見せる。

 それを見た直後、二人の顔が曇った。


「豆芝さん……友達登録、ゼロ人なんですね……」

「企業ばっかりの情報しか入ってない……サッカー一筋と思っていたけど、ここまでだとは思っていなかったです……」


 二人の憐れむ声が胸を抉ってくる。

 仕方ないだろ。こちとら友達が全くいねぇボッチ少年なんだ。

 中学時代の俺はとがりまくっていたからダチなんてできねぇし、高校も通ってねぇからさらにできなくなるに決まってんだろ。


 俺は文句を心の中で口にしながらしまおうとする。

 直後、予想外の行動が俺の視界内で行われていた。

 桜木と相馬がお互いのスマホを取り出したのだ。


「おい、なんでスマホを取り出してんだ?」

「折角だから、SNSの連絡先交換しようと思ったんです」

「ダメですかね……?」


 二人は瞳をウルウルとさせながら俺に問いかけてくる。

 少女二人に声をかけられれば、童貞として断る理由がない。


「分かった……それじゃあ、二人の連絡先を交換するよ。だから、あれだ。俺を疑う真似はするんじゃねぇぞ? それと、連絡頻度も考えるんだぞ?」

「わっかりました、師匠!」

「そこはわかりましただろ、興奮しすぎだ」

「これで、毎日夜練習に励めますね」

「丁重に毎日練習はお断りさせていただきたい」


 二人が予想以上にハイテンションになっている。

 そこまでSNSの連絡先を貰えたことが嬉しかったのだろうか。

 

 そんな風に思っていると、先生が声をかけてくる。


「私とも連絡先を交換しておきましょう」

「えっ、先生と……ですか!?」


 正直驚いた。電話番号交換をした経験はあるが、SNSに関しては一切用いたことがなかったからだ。それが、たった一日で三件増えるなんて思いもしないだろう。


(男としては嬉しいんだけど……なんだろう、監視が強くなった気がする)


 俺は素直に喜べなかった。落ち着きのある清純派系高身長巨乳美女であれば、快く連絡先を交換しようとは思えるのだが……二人が肉食系過ぎる。


 桜木は油断するとすぐに暴力に走るし、相馬はドMだ。

 そんな彼女たちとのやり取りを考えると、嬉しさより恐怖が勝るのである。


「どうしたんですか、師匠?」


 諸悪の根源である桜木が声をかけてくる。

 くそっ、顔が整っているせいで文句を言いずれぇ。


「あぁ、いや。何でもねぇよ。それよりそろそろ時間じゃないか?」

「あっ、確かにちょうどよい時間ですね。朝練習しようかと思っていたけどこれだと先に集合場所へ向かったほうがよさそうです」

「一番最初に僕たちがついていたほうがみんな分かりやすいでしょうから。先に駅へ向かっておきますね」

「分かった。二人とも、外に出といてくれ。それと、先生も先に現地へ向かって部員たちの取りまとめなどお願いいたします」


 その言葉を聞いた三人はそれぞれ返事を返してから部屋を後にした。

 静まり返った部屋の中、俺はコップを流し台に置きはぁとため息をつくのだった。

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