きみのこえ

海湖水

きみのこえ

 君は今、なにをしているのだろう。

 君の姿がどのようになっているかを想像するだけで、私の心は震えそうだった。

 声変わりがまだ来ていない時期に別れて、その後、私たちは二度と会うことはなかったからだ。


 ベッドの上、私は目を覚ました。

 昨日、退院したことを思い出した。数年ぶりの、家のベッドの上。懐かしさに浸りながら、私は掛け布団に包まった。

 今日は、数年ぶりに娘に会う日だ。

 といっても、娘側は、私のことをよく知っている。

 というのも、私は数年間、交通事故によって意識を無くしており、娘はその間、毎日お見舞いに来てくれていたらしい。

 しかし、意識を無くしていた後遺症からか、私の脳にはある問題が生じていた。


 「見えない」


 何も見えない。別に景色が見えないわけではないのだ。しかし、人のいるところだけ、何故かモザイクがかかったかのように見えなくなる。

 そして、私個人の要望で、娘には会わないようにしながら、リハビリをしていた。何年も会っていない娘を、何もモザイクのかかっていないような、綺麗な視界で見たいというのは表向きの理由。

 本当は、怖いだけだった。娘と会って、私が自分の娘だと認識できなかったら、娘に私を母だと認めてもらえなかったら。そんなことを考えると、娘と会う勇気が出なかった。

 しかし、いつかは娘に会わなくてはならない。その勇気を固めて、私は今日、娘に会うことに決めたのだった。


 「そろそろ、時間か……」


 暖かな春の陽気に包まれているはずが、気づけば身震いをしていた。やっぱり、今でも怖いのだろう。



 服を着替えて、サングラスとマスクを着けて、財布と帽子を取り、会う集合場所に向かった。

 数年前とは、まるで違う社会になっていたのは知っていたが、今でもまだ慣れていない。浦島太郎もこんな気持ちだったのだろうか。今はどうでもいいが。

 私は、集合場所に向かうために通る、一番の難所へと足を踏み入れた。

 駅である。今の人にモザイクがかかる状況では、どこに何があるかもよくわからない。さらに駅の内部は、近年に改装したのか、店の配置などがまるで変っている。

 私はゆっくりと息を吐きだした。

 今の娘に会うための試練だと思えば、何とかなるような気がしてくる。が、現実はそこまで甘くはなかった。


 「改札、どこ?」


 人ごみに飲み込まれれば最後、周りの状況が全く分からなくなる私にとっては、改札に行くことすらままならなかった。どうすればたどり着くことができるのだろう。

 私が途方に暮れて、近くに会ったベンチに座っていると、隣に一人の若い女性が座ってきた。

 この人に、改札への行き方を聞いてみるのはどうだろうか。そんなことを考えていると、隣の女性は私に話しかけてきた。


 「さっき、なんか右往左往してましたけど、大丈夫ですか?何か困りごとがあったりしますか?」


 私は名も知らぬ女性に話しかけられたことに驚いた。なにより、あの状況を見て、私が困っているとわかるなんて、他の人のことを気遣うのが上手だ。

 ずいぶんと優しい顔をしているのだろう。そんなことを考えながら、私は女性に頼みごとをしてみることにした。


 「すみません、改札へ行くことが、難しくて……。連れて行ってもらえないでしょうか?」


 女性は、モザイク越しでもわかるように大きく頷くと、私の手を取って、改札へと連れて行ってくれた。

 優しい人もいるものだ。彼女のような優しい人に、私の娘も成長してくれているだろうか。

 私は期待に胸を膨らませながら、最大の関所を突破したのだった。

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きみのこえ 海湖水 @Kaikosui

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