第9話 炎の巫女と空の王 其のニ
「炎の巫女と空の王 其のニ」
カタリナと別ルートを進むロシェは、薄暗い地下道をひたすらに歩いていた。辺りには血の匂いが充満しており、壁や床にはその遺恨がはっきりと残されている。ここがかつての死体を運ぶための地下道であることは明白だった。それはカタリナの読みが正しかったことの証明であり、自ずと彼女の身を案じてしまうのだが、今は何も考えずに、ただ目の前にいるであろう敵を見据えることに集中した。やがて扉が現れて、ロシェは立ち止まった。
(嫌な気配だ。)
ロシェが感じているのは、古代兵器から発せられる息苦しいほどの殺気とはまた違う、言うなれば独特な嫌悪感のようなものだった。ロシェは一度目を閉じめ、深呼吸をする。
(カタリナは大丈夫だろうか。)
心の中でそう思ったが、ロシェは自ら首を横に振る。
(彼女の覚悟を信じよう。)
ロシェは自分にそう言い聞かせて、ゆっくりと扉を開いた。目の前にはだだっ広い土床が広がっている。ここが実際に闘士たちが死闘を繰り広げていた場所なのだろう。視線を辺りに移してみると、七階層ほどに展開された客席らしきものもある。ここが闘技場内部と見て間違いない。
(随分立派な闘技場だ。)
ロシェはそう思いながら、辺りに染みついた血痕を見た。使われなくなってから何十年も経つというのに生々しいまでにそれらは残っている。ロシェは辺りに警戒を強めながら闘技場中央へと向かった。
「ようやく来たか。」
ロシェが中央部に達した時、語りかけてくる男の声があった。
「誰だ?」
ロシェはゆっくりと声の方へ顔を向けながら聞いた。客席の最前列にその男は座っている。
「俺の話をする前に、まずは空の民の昔話に付き合え。空の王であるおまえにも関係のない話ではないだろ。」
ロシェは黙って聞くことにした。この男が、黒幕を名乗る男の弟であることは間違いないだろう。黙っているロシェを見て、男は話を始めた。
「空の王ロシェ=カエルム。古の機械と唯一互角に渡り合えた存在。空を操る能力を有している。しかし力の拮抗は戦の長期化に直結するものだ。だからまとめて封印した。自分たちのいない未来の世界で決着をつけさせようとな。全く賢い人間とは、わがままなものだな。」
「何が言いたい?」
「兄貴からだいたいの話は聞いたのだろ?」
「あぁ。」
ロシェはそうとだけ答えた。それを聞いて男は話を続ける。
「古の機械と空の王。絶大なる力の二つを封印した後、空の国はいったい誰が統治したのかという話だ。その正体が、バミルトン=スカーデッド。空の民の科学者だ。古の機械を作り出した張本人。」
ロシェは少し驚いた様子だった。その名前の中に、この国の名前が入っていたからだ。男はそんなロシェを見て、さらに話を続ける。
「バミルトンが最初にしたこと。それは国を地上に下ろすことだ。空には得体しれない敵が多すぎるからな。空の王を封印した以上、より安全な場所に国を移動させたいと考えたわけだ。そしてその科学力を武器に、空の国を地上へと下ろすことに成功する。それがここスカーデッド王国の始まりだ。」
「おまえはいったい何者なんだ?」
ロシェはそう聞いた。額を流れる一粒の汗から、その答えはすでに想像できているようだった。
「俺か?俺はカム=スカーデッド。バミルトンの子孫であり、この国の現王だ。」
「やはり。」
ロシェの想像は正しかったようだ。この国の民たちは王の実態をいっさい知らない。存在しないとすら言われていた。その歪な構成が、強固な支配力となってこの国は成り立っていたのだ。しかし今ロシェの目の前にそれはいる。
「ところで。ここはいい所だと思わないか?俺の別荘なんだ。血塗られた闘技場と外で殺し合う欲に囚われた人間。これほど世界の構図を絵に描いたような空間は他にないだろ。俺はここが好きなんだ。」
王はそう言うと、後方の巨大なモニターに目を向けた。外の様子が写されており、右手のない死体が惨たらしく残されている。
「右手を奪い合わせているのもおまえなのか?」
ロシェは嫌悪感を顕にして聞いた。
「その通り。俺だ。その代わりに望むものを与えてやってる。」
「悪趣味な。」
「そう嫌うな。空の王であるおまえとは友好な関係を築きたいと思っている。」
「ふざけるな。」
ロシェの憤りに、目の前の王は高笑いをあげた。
「まぁいい。おまえに記憶の種を返す前に、二、三聞きたいことがある。」
「なんだ?」
ロシェが聞くと、カムは鋭い目つきでロシェを睨みつけた。
「ここに【炎の巫女】も共に来ていたな。」
「それがなんだ?」
「俺は兄貴に【炎の巫女】の殺害を依頼したのだ。ここにいると言うことは、兄貴は失敗して死んだということでいいのか?」
「あぁ。死んだよ。僕がこの手で殺したからな。」
「そうか。」
カムはそれ以上は何も言わなかった。
「それだけか?」
「それだけとは?」
「実の兄貴が殺されて、他に言うことはないのかと聞いている。」
ロシェの質問に、カムは不思議そうな表情をしていた。
「何もない。失敗は死に値する。それだけのことだ。」
「なんだと。おまえに人の心はないのか?」
ロシェは怒りを交えてそう叫んだ。
「心など昔に捨ておいた。でなければ古の機械、それに準ずる古代兵器など蘇らせたりしないだろう。」
「やはりおまえが。いったい何が目的なんだ?」
ロシェは拳を握りしめてそう聞いた。
「強いて言うなら支配欲かな。あれらを支配できれば絶大な力を手に入れられる。」
「その代償が震災という形でたくさんの命を奪った。」
「それは少し違うな。副作用で震災が起きることは理解していた。代償とは言えない。むしろ対価と考えようじゃないか。」
ロシェが、これほどまでに人を憎いと思ったのは初めてのことだった。
「おまえは王などではない。」
「そう言うな。現実問題、この国の王は俺なのだ。それに先ほども言ったが、俺はおまえと敵対したいわけではない。取引がしたいのだ。」
「取引だと?」
「あぁ。そうだ。おまえは古の機械を消し去りたいのだろ?そのためには記憶の種が必須だろう。その記憶の種は今、俺が持っている。それを返してやる。」
「何が望みだ?」
ロシェが聞くと、カムは被りを振って答えた。
「望みはない。古の機械を葬ってくれればそれでいい。俺としても手に負えなくて困っているのだ。」
「そういうことか。断る。」
「何故だ?お互いに利のある話だろ。」
「この場でおまえを殺して、記憶の種は奪う。そして古の機械も僕が倒す。」
ロシェはそう言いながら右手を上空に掲げた。
「雷雲。」
闘技場の天井付近に雷雲が形成され、カムに向かって雷を落とす。
「無駄だ。」
カムは両手を広げて、向かってくる雷を避けようともしなかった。雷は直撃の瞬間に突然動きを止めて、まるで逆再生でも見ているかのように上空へと戻っていく。
「なんだと。」
驚くロシェに向かってカムはもう一度同じ言葉を被せた。
「無駄なのだ。」
「ならば。雷剣。」
ロシェは雷の剣を握りしめて、カムに向かって飛び上がる。
「何度も言わせるな。無駄なのだよ。」
カムは再び避けようともせずに悠然と立っていた。ロシェは構わず剣を振り下ろす。しかし先ほどの雷と同じように、寸前で金縛りにあったかのように体の動きが止まり、元の位置に逆再生されていく。
「いったいどういうことなんだ。」
ロシェには理解できなかった。自分自身に起きた現象がいったい何なのか。これが王の能力なのだろうか。いろんな想定が頭を駆け巡っている。
「マフィティスアのアラン。知っているだろ?」
カムのその言葉にロシェはハッとした。心当たりがあった。
「アランの能力。死の奥義。完全呪縛。自らの命を奪ったものを対象にたった一つだけ絶対に解くことのできない呪いをかけることができる。俺はあいつにこう命令したんだ。空の王ロシェ=カエルムに殺さろ。そして王であるこの俺に一切攻撃できないように呪いをかけろとな。」
ロシェはアランと戦った後、確かな違和感に襲われていた。まさかそれがこれのことだとは思ってもいなかったので、驚きのあまり事態の飲み込みに時間を有した。
「ありえない。」
ロシェは再び飛び上がり斬りかかる。しかし所詮は同じことの繰り返しで元の位置に戻されてしまう。
「くそぉぉぉぉ。」
ロシェは叫んだ。そのどうしようもない現実に嘆くことしかできなかった。それを見てカムは記憶の種を投げ渡す。
「俺のために。古の機械を倒してくれ。」
当てつけのように頭にその言葉を付け加えたのは、ロシェよりも立場が上であることの証明のつもりなのだろう。
「なぜ。なぜおまえは自分で戦わない?科学者として秀でた力を持つおまえなら対抗する術もあるのではないのか?」
ロシェの問いかけにカムは被りを振った。
「現代の科学力を持ってしても、古の機械はどうすることもできない。それに王は戦わない。人々が王のために戦うのだ。国というものはそうやって形取られている。」
「そんな独りよがりな自己満足がいつまでも続くと思うな。王は国を守るために戦わなければならない存在だ。」
「だからおまえは国を乗っ取られたんだ。」
カムのその言葉がロシェの両肩に重くのしかかる。
「古の機械のこと任せたぞ。」
カムはそう言うと、ロシェに背中を向けた。
「あぁ。古の機械は僕が倒す。」
ロシェは背中に向かってそう言った。そしてもう一つ大切な言葉を背中にぶつける。
「おまえのことはカタリナが必ず裁く。」
それを聞いたカムは大きく笑って見せた。
「面白い。俺はこの国の王だ。全てが俺を守る駒なのだ。サウンズロッドにて逃げも隠れもせず待っている。来れるものなら来てみるがいい。」
王はそれだけ言って立ち去っていった。闘技場の中に妙な静けさが漂い、ロシェの行き場のない怒りとやるせなさを刺激する。その負の感情は、拳を伝って二度地面に鈍い音を轟かせる。そんなことをしても現状は変わらずロシェの両肩にのしかかったままなのに。
しばらくして、ロシェは記憶の種に右手を添えた。種は光となってロシェの頭へと入っていく。記憶は完全に蘇った。自分が空の王であること。【炎の巫女】と共に古の機械たちと激闘を繰り広げていたこと。妹のフレイに必ず帰ると約束したこと。そして未来に備えて封印されたこと。何より空を操る能力の全てを思い出したことが大きい。それでも、そんな記憶のどれよりも大切なことを強く認識する。
(カタリナと共に世界を変える。)
ロシェはそう固く決意を決めて、天井へと飛び上がった。そして右手を上空に掲げる。
「竜巻。」
ロシェの周囲を巨大な竜巻が包み込む。それは徐々に大きさを増していき、闘技場と同じほどにまで発達した。その勢いで闘技場は崩れ去る。ロシェにとっての意思表示のようなものだ。この日の沈まない暗闇の世界を必ず壊してみせるという。
ロシェが約束の場所へ行くと、カタリナもちょうど扉から出てきたところだった。
「闘技場。壊したのね。」
カタリナがそう聞くと、ロシェは頷いた。
「無事で良かった。」
ロシェがそう言うと、今度はカタリナが頷いた。
「ロシェ。私は強くなった。この戦いでそう確信できた。だからこれからもロシェのために戦いたいの。」
「当たり前だ。僕にはカタリナの助けがなければ何もできない。これからも僕の側にいてくれ。」
「それは私が【炎の巫女】だから?」
カタリナがそう聞くと、ロシェは被りを振った。
「カタリナだからだ。」
「そう。嬉しい言葉ね。」
二人はその場に座り込んだ。
「記憶は全て戻った。残念ながら王を撃つことはできなかったが。」
ロシェはアランの呪いについては話さなかった。カタリナの目的を手助けできないことを打ち明けた時に、カタリナが離れてしまうのではないかと恐れたからだ。
「良かった。これで準備は整ったわけね。」
「そうだな。アクアストールへ戻ろう。」
「なんだか長いような短いような。不思議な時間だったわね。」
カタリナがそう言うと、ロシェも深く頷く。
「いろいろあったからな。それで相談だけど。アクアストールに行く前に寄りたい場所があるんだ。」
「どこかしら?」
「グレートニールにもう一度行きたい。」
「気に入ったみたいで良かったわ。」
カタリナは嬉しそうに笑っていた。
「約束を果たしておきたいんだ。」
「約束?」
「行けば分かる。」
「そう。では行きましょ。」
二人は立ち上がった。
「もう一度密林地帯を抜けてもいいか?妹にも挨拶しておきたいんだ。」
「もちろん。」
こうして二人はグレートニールへの道、亡霊と呼ばれた存在が眠っている密林地帯へと再び入っていった。長い道のりを進んで、フレイの眠る場所に辿り着いた。二人は石碑に向かって両手を合わせる。
「フレイ。あの日必ず帰ると約束したのに守れなくてごめん。僕はこれから、カタリナと共にこの世界を救う。天国から見守っていてくれ。」
ロシェはそう言葉を送った。カタリナはその横で目を閉じていた。心の中で誓いを立てながら。ロシェのことを必ず守ると。
フレイへの挨拶を終えた後、二人は再び長い道のりをかけて、ようやくグレートニールへと到着した。変わらない活気の良い街並みが二人を包み込んでくれる。ロシェはカタリナの手を引いて、スノーボールの店へと向かった。あの若い女の店員は変わらずに元気に接客をしている。
「あれ。お兄さん。また来てくれたんだね。嬉しい。」
相変わらずの元気の良さと、可愛らしい笑顔だった。
「約束したからな。カタリナも連れてくるって。」
「てことは。そっちの美人さんがカタリナさんね。会えて嬉しいよ。」
「こちらこそ。」
カタリナは照れ臭そうにそう答えた。
「うふふ。お二人。お似合いさんだね。」
女は悪戯っぽくそう言った。
「そう見えるか?」
ロシェが真面目な表情でそう聞くのを、カタリナが静止する。
「そんなことより。前にロシェに貰って食べたんだけど。このスノーボールってお菓子、すごく美味しかったわ。」
カタリナが恥ずかしさを紛らわすために早口でそう言うと、女は嬉しそうに答えた。
「ありがとう。一番人気だからね。」
「また二ついただけるかしら?」
「あいよ。ちょっと待ってね。」
女はそう言うと手際良くスノーボールを袋に詰めていく。その隙にカタリナはロシェに耳打ちする。
「恥ずかしいから、余計なことは言わないで。」
「分かった。」
二人の小声の会話を、女の威勢の良い声が遮った。
「はーい。お待たせしました。こっそり三つ入れてるから、一つは半分ずつにしてね。」
「ありがとう。」
カタリナは頭を下げて礼を言う。
「また二人できてね。」
女にそう言われて、二人は照れ臭そうに頷いた。
「またのご来店お待ちしてまーす。」
離れていく二人の耳に、女の声がこだましていた。
「カタリナにあの笑顔を見せたかったんだ。」
「確かに。あれは元気が出るわね。」
「そうだろ。」
二人はそのまましばらく歩いた。
「カタリナ。聞いてほしい。」
「どうしたの?急に。」
ロシェの改まりように、カタリナは驚いた様子だった。
「アクアストールで全てが終わる。古の機械も、王もそこにいる。僕たちは二人で力を合わせて目的を果たすんだ。」
「えぇ。そうね。」
カタリナは静かに答えた。
「その後のことは考えているか?」
「そうね。王のいない平等の国を築けるといいとは思っているわ。」
カタリナがそう答えると、ロシェは少し照れ臭そうに言葉を絞り出した。
「その後も僕と歩んでほしいんだ。」
「私はそのつもりよ。革命を手伝ってもらう約束だったから、その後の世界のことも一緒にって思っていたけれど。」
「そうじゃなくて。」
ロシェがそう言うと、カタリナは困惑していた。
「どういうこと?」
「僕と結婚してほしいんだ。」
「え?結婚?」
「ゆっくりでいい。考えていてくれ。」
ロシェがそう言うと、カタリナは被りを振った。
「今、答えさせてもらうわ。結婚しよう。」
「え?」
今度はロシェが戸惑っていた。それを見てカタリナが言う。
「ロシェが言い出したことでしょ。」
「あっさりだったから。ちょっと驚いた。」
「私はロシェの魅力を十分に知っている。だから考えるほどのことでもないわよ。」
「カタリナ。ありがとう。」
ロシェはそう言うと、さっき買ったスノーボールを口へと運んだ。
「こちらこそ。これからもよろしくね。」
カタリナもそう答えてから、スノーボールを食べた。
その日はグレートニールの宿へ泊まった。あの時は二人別々の部屋だったけれど、今回は一部屋しか借りなかった。どんな夜を過ごしたのかは本人たちにしか分からないが、次の日の二人は勇気が湧いているかのように強く感じられた。その強さを胸に秘めて、アクアストールへと向かって歩き出す。繋がれた手が証明するのは、確かな愛と、強固な絆。
カタリナは幼い頃からずっと一人だった。あの日サウンズロッドに侵入しようとした時も一人だった。でも今はロシェがいる。一人ではないことがこれほど頼もしいとは思いもしなかった。もう一人にはなりたくない。ロシェのことは何があっても守る。そのために力を磨いてきたのだ。そして古代兵器を一人で倒せるほどの強さを手に入れたのだ。守るべきものを知った人間ほど、強く、折れないものはないと思う。もちろんそれはロシェにとっても同じと言えるだろう。
空の民の言い伝えにこんな一節がある。
【舞いし炎。飛ぶは空。】
それはかつて、炎を自在に操り舞い踊る女と、空を駆け回り天候を操る男が互いに支え合っている姿を詠んだとされている。まさに今の二人を表しているかのようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます