第4話 ロギレンスの丘とフレアリング
「ロギレンスの丘とフレアリング。」
ロギレンスの丘。工業地帯コレムナール。アクアストールから、ここに来るまでに四十日ほどかかったが、逆にそのおかげもあってカタリナの傷は癒えていた。訓練によって驚異的な回復力を身につけていたカタリナには骨の回復など数十日あれば可能なことだ。
二人は大きな外壁の所々に備えられていた門の一つに手をかける。しかし予想通り固く閉ざされており開くことができない。
「破るしかないわね。」
カタリナはそう言うとフレアリングに祈りを込めた。
「ロシェ。下がってて。」
ロシェはカタリナの指示通りに、少し距離をあける。それを見たカタリナはゆっくりと舞い始めた。すると徐々にカタリナの周りに炎が渦巻きだした。
「フレア。炎龍の咆哮。」
カタリナはそう言いながら右手を扉の方に向けて広げた。すると渦巻いていた炎が龍の姿に形成され大きな口を開ける。そしてその大きな口から吐き出された炎は瞬く間に扉を溶かしていった。
「さぁ。これで中に入れるわね。」
「ありがとう。行こう。」
二人は中に足を踏み入れて衝撃の光景を目にした。
「こ、これは。まるでアクアストールのようだ。」
そう言ったロシェの目に映っていた光景は、まさにアクアストール同様、崩壊した都市と、聳え立つ一つの塔だった。サウンズロッドほど大きくはないが、明らかにこの工業地帯の司令塔と捉えられる場所に位置している。
「ロシェ。私は一つ確信したことがある。」
カタリナは淡々とした口調でそう言った。
「何を?」
「これは仕組まれた地震よ。」
「つまりどういうことだ?」
ロシェがそう聞くと、カタリナは冷静に辺りを見渡してからゆっくりと答えた。
「アクアストールでは国の中枢を担っているサウンズロッドだけが無事。ここでは、おそらくあの塔がロギレンスの丘を仕切っていた。その国の行政機関が組み込まれた部分だけが無事ということは、この地震は国が起こしたと考えることができると思う。」
カタリナの意見にロシェは被りを振った。
「でも。カタリナの話では、ロギレンスの丘は国の最重要拠点の一つなんだろ?アクアストールもそうだ。破壊されて困るのは国の方ではないだろうか?」
「確かにロシェの言う通りよ。だから国もここまでの被害を予期できなかったのじゃないかしら?」
「僕には分からない。でもカタリナがそう言うならそうなのかもしれない。でも意図が読めない。」
「例えば触れてはいけない何かに触れてしまったとか?」
カタリナのその言葉にロシェは一瞬強張った表情を見せた。
「古の機械。」
「そう。アクアストールでも感じていたのだけれど、ここにもかなり強力な禍々しさが立ち込めているわ。」
ロシェもそれは感じていた。
「だとすれば僕がなんとかしなければならない。カタリナ。あの塔へ行こう。」
「そうね。きっとあの塔の地下に何かがあると思うわ。国が隠し通してきた何かが。」
二人は塔に近づくにつれて、得体の知れない恐怖感に襲われていく。それは息苦しさすら覚えさせるほどで、大きな汗を流しながら進んだ。
「もしもここにいるのが古の機械だとすれば、今の僕たちでは生きて帰られるか分からない。カタリナはここで待っていた方がいい。」
ロシェがそう言うと、カタリナは被りを振った。
「すでに一度拾ってもらった命よ。それにただで殺されるつもりはないわ。」
ロシェは少し黙ってから小さな声で答えた。
「くれぐれも気をつけよう。」
その言葉に呼応するかのように二人の足取りは重かった。崩れ落ちた工業地帯を進み、所々に倒れている人型機械を憐れみながら歩いた。崩壊していたためなのか、何かに襲われるようなことは一切なく、不気味なほどに静かに進むことができた。もちろんロギレンスの丘へ足を踏み入れることは初めてなので、今歩いてる場所が元々どういう形をしていたのかなどさっぱり分からない。つまりこの場で頼りになるのは、目的地である塔と、己の勘だけである。そしてようやく塔の前へと立った。その塔から五メートルほど離れた場所でロシェが口を開いた。
「【はじまりの花】はここに咲いていた。と思う。正確な位置までは分からないけど。」
歩きながら、遠い記憶で地図を作っていたのだろう。
「だとするとこの辺りに地下神殿がある可能性が高いわね。」
「そうだと思う。」
「でも入り口がないわね。やはり塔の中かしら?」
カタリナがそう言うと、ロシェは少し考えてから答えた。
「とりあえず中に入ってみようか?」
二人は塔に近づいて、辺りをよく観察する。並外れではない異様な空気感が伝わってくるのだが、塔自体には何者かの気配は感じられない。むしろその下。地下空間にそれはいると思われる。ロシェが入り口の扉に手をかけるとセキュリティが掛けられていた。
「やはり扉を破るしかないか。」
「私に任せて。」
カタリナは再びフレアリングに祈りを込める。
「フレア。炎弓の舞。」
カタリナは炎でできた大きな弓を手に持ち、扉に向かって構える。
「爆炎の矢。」
放たれた矢は扉に当たる瞬間に大きな爆発音を響かせた。煙が上がり状況がよく見えない。
「その炎。本当に何にでもなるんだね。」
ロシェがそう言うと、カタリナは頷いた。次第に煙は晴れていき、扉には大きな穴が空いていた。
「さぁ。いきましょう。」
「うん。」
二人は塔へと足を踏み入れた。まるで迷路のように入り組んだ構造になっており、上を目指すのは骨の折れる作業だろう。しかし今回の目的は地下である。地下への扉さえ見つけてしまえばそれでいいのだから、まだ比較的難易度は低い。二人は人の気配がしない塔の中を隈なく調べた。しばらく経った頃、ロシェがそれを見つけた。
「カタリナ。ここだ。扉を見つけたよ。」
カタリナはロシェのいる方へと向かい、そこから流れ出てくる禍々しさを感じた。ロシェは罠がないかを入念に調べてから口を開いた。
「入ろうか。」
「ちょっと待って。」
カタリナはロシェを止めた。ここから流れてくる気配にロシェが気づいていないわけがない。しかし今一度確認をしておきたかった。
「この殺気は相当のものよ。」
「そうだね。」
ロシェはそう言いながら地下への扉を見た。沈黙が二人を包み込む。
「これと戦う術はあるの?」
先に口を開いたカタリナはそう尋ねた。
「正直分からない。だからカタリナにはここで待っていてほしい。」
ロシェがそう言うと、カタリナは被りを振った。
「私は覚悟ができているわ。」
カタリナの声には決意が込められていた。それは不思議とロシェの不安を拭っていく。
「行こう。」
ロシェは扉に手をかける。古代文字のようなものが刻まれていたが、古すぎて朽ち果てていた。ここには鍵はないようで扉は開いた。現れたのは長い階段。二人はその階段を下っていく。その先には真っ直ぐと伸びる長い一本道。
「カタリナ。注意して進もう。」
「そうね。」
二人の声が地下世界へと反響した。数々の苦難を乗り越えてきたカタリナにとっても、これ程息苦しさを覚える殺気は初めてだった。並の人間なら容易に押し潰されてしまうほどの緊張感が二人を襲う。それは道を進めば進むほどに大きく強くなっていく。
「この気配。古の機械に似ている。」
ロシェがそう呟くと、カタリナはようやくロシェが敵にしている物の強大さを理解した。人型機械とはまるで似て非なる物。
「まさか古の機械ともう出会ってしまうなんて。運が良いのだか悪いのだか。困ったものね。」
カタリナがそう言うと、ロシェは被りを振った。
「いや。よく似ているが少し違う。」
「見てからのお楽しみってことね。」
この先にいるのがロシェの倒すべき敵である古の機械かどうかは関係ない。少なくとも今ここで待ち受けているものは、とてつもなく強くそして残忍だ。殺気からだけでもそれが伝わってくる。
「そういうことだ。」
「とにかく進みましょう。」
カタリナはその言葉に恐怖を閉じ込めて前を向いた。
「カタリナ。一つ約束してほしい。」
「どうしたの?」
「お互いに自分を守ることを優先しよう。」
ロシェのその言葉に、カタリナは黙って頷いた。この先に待つ戦闘において、お互いに身を守りあう余裕はないとロシェは判断したのだろう。だからこそ自分の身は己でしか守ることができない。その言葉には命の重みがのしかかっていた。沈黙がそれを深く身に染みさせる。暗く長い道に二人の足音だけがこだましていく。しばらく進むと、青白い光に照らされた大きな扉が見えた。いや、それよりもその奥からひしひしと伝わってくる強烈な殺気の方が、二人の心を震わせている。
「ついに来てしまったわね。」
カタリナは小さく呟いた。
「近づいてわかったことがある。」
「なに?」
「これもまた古の機械だ。僕が知っているのとは違う。また別のものだけど。」
二人は扉の前で立ち止まった。額を流れ出る冷や汗を拭い呼吸を整えた。
「ロシェ。」
「うん。行こう。」
ロシェは扉を開いた。そこに広がっていたのは、広い部屋だった。四隅には扉を照らしていたのと同じ青白い光があり、正面には祭壇のようなものが建っている。敵の姿はない。薄明かりに目を凝らしながら祭壇の方をよく見てみると、一輪の花が飾られていた。
「ロシェ。あれってもしかして。」
カタリナは花を指差しながら言った。
「あれが【はじまりの花】だ。」
「本当にあったのね。」
陽光の届かない地下深くでも、それは凛とした姿を保っていた。しかし本当の目的はここからだ。ロシェの記憶の種の正体を探さなければならない。それにこの強烈な殺気の主ともまだ対峙していない。近くにいるのは分かるのだが、姿が見えない分不気味である。呑気に花を眺めている時間など二人にはなかった。
「コツコツ」
足音のようなものが二人の耳に届いた。
「カタリナ。気をつけろ。」
ロシェはそう言いながら辺りを見渡す。カタリナも耳を研ぎ澄まし、足音の方角を感じ取る。それは徐々に大きくなり確実にこちらに向かってきていた。
「ロシェ。祭壇の左右に奥への通路がある。」
カタリナに言われて、ロシェはそれを目視した。
「まだ奥があるのか。」
カタリナは集中力を研ぎ澄ました。
「右よ。右の通路からくるわ。」
二人は同時に右の通路を見た。確かに何かが立っているのが分かる。
「この花に何か用でも?」
不気味な声が地下神殿に反響する。さっきまで右の通路に立っていたそれは一瞬で中央の祭壇の前に立っていた。見た目は女だ。しかし人ではない。紛れもなく機械の類だが、現在の人型機械とは似て非なる存在だとカタリナは瞬時に理解した。
「この花不思議でしょう?枯れないのよ。それに潰そうとしても何やら結界に守られていてね。困ったものだわ。」
殺気の元凶の機械女は淡々とした口調で語っていた。口ぶりからこの花を潰したいのだろう。
「ロシェ。こいつは相当やばそうね。」
カタリナは額を滴る汗を拭った。
「あぁ。僕はこいつを知っている。思い出せないけど。確かに知っているんだ。」
ロシェの表情は確かに困惑していた。カタリナは自分がやるしかないと決意を決めてフレアリングを掲げる。
「それはフレアリングね。ということはあなたが【炎の巫女】の生まれ変わりなのね。」
その機械女は確かにフレアリングを指差して言った。これで古の機械であることが、カタリナの中ではほとんど確信へと変わった。しかしだから何かが変わるわけではない。戦うと決めたからには逃げるわけにもいかないし逃げれる保証もないのだから。
「カタリナ。そいつはやはり古の機械の一つだ。フレアリングの特性は熟知している。気をつけるんだ。」
「安心して。こいつが知っているのは過去の巫女よ。今の巫女は私だから。それにもう、やるしかないじゃない。」
カタリナのその言葉に、ロシェは少し安堵の表情を浮かべた。そして再び機械女へと目を向けた。
「そうだね。行こう。」
ロシェは飛び上がり、カタリナは地を這うように加速した。出方の分からない得体の知れない相手には二人がかりで間髪入れずに攻撃を繰り広げて、隙を作るしか方法がない。二人の共通認識から阿吽の呼吸は生まれた。しかし機械女の次の言葉でロシェの動きは止まってしまう。
「ロシェ=カエルムよ。記憶は戻らぬか。できることなら本気のおまえと殺し合いたかったものだ。」
この機械女はロシェのことを知っている。それも、とても大事なことを。
「僕のことを知っているのか?」
ロシェは明らかに動揺していた。
「やはり記憶はなくしたままか。となるとやはりこの花。消さねばならぬな。」
「【はじまりの花】がなんだというんだ?」
ロシェが感情を表に出すのは珍しい。カタリナの脳裏には嫌な描写が思い浮かんでいた。
「ロシェ。落ち着いて。あいつはあなたの心を揺さぶっているだけよ。」
「記憶をなくしたままでは、私の相手にはならない。ただの足手まといになるだけだ。そちらの巫女さん一人の方がよほど楽なんじゃない。」
この機械女は相当に頭が良い。記憶をなくしたロシェの、想像もできない恐怖感に漬け込んできている。
「黙れ。」
その先にあるのはロシェの怒りだった。そして怒りは、時として実力を半減させてしまうことになる。
「ロシェ。落ち着いて。思う壺よ。とりあえず頭を冷やして。」
カタリナはそう言いながら、炎の剣を形成する。
「神炎の舞。」
カタリナは舞うような動きで、機械女に斬りかかる。しかし機械女には当たらない。
「神炎の舞はここからよ。」
避けられた反動を使い、さらに素早くなっていく。避けられるたびに舞う速さが増していく。しかし機械女の動きはそれを遥かに上回っていた。超速で舞うカタリナの腹部に機械女の右足が突き刺さった。
「うぅ。」
カタリナはうめき声を上げながら、遙か後方に吹き飛ばされ、壁に激突し地面に倒れ込んだ。
「巫女さん。君には少しおとなしくしといてもらおうか。」
遙か後方で倒れ込んでいるカタリナの目の前に機械女はすでに立っていた。そして右拳をカタリナに向ける。
「ブラッドメテオ。」
機械女の右肘から炎が吹き出した。ロシェが飛んでカタリナの方に向かっているが、おそらくは間に合わないだろう。機械女はその火力の反動を使い、強烈な右拳でカタリナを地面にめり込ませた。死んではいない。が指一つも動かせない。カタリナはそのまま意識を失った。
「カタリナ。カタリナ。」
ロシェの声が地下神殿を反響している。が返事は返ってこない。
「安心しろ。殺してはいない。まずはおまえからだ。巫女にはその邪魔をさせないようにしただけだ。」
「おまえは僕が倒す。」
ロシェの表情は、さっきまでの怒りに囚われたそれではなかった。強い意志を感じるいつもの表情だ。カタリナのおかげでなんとか正気を取り戻せたというところだろう。
「ロシェ=カエルム。記憶のない君では私に勝てないんだよ。」
「試してみればいい。」
ロシェはそう言いながら右手を天に向かって突き上げる。
「憤慨する雷よ。天より降りて、我の力となりたまえ。」
ロシェの声に呼応するかのように掲げた右手に雷が落ちてきた。
「雷剣。」
落ちてきた雷は剣の姿へと形成され、ロシェはそれを強く掴み取る。
「この剣は落雷そのものだ。避けられる速さではない。」
ロシェは飛び上がり、凄まじい速さで機械女へと襲いかかる。
「巫女を見てなかったのかしら?速さだけではどうすることもできない。」
機械女は脇に持っていた。二本の剣を両手に掴み、ロシェの剣撃をいなしていく。その表情は余裕そのものだった。この攻防、仕掛けたのはロシェの方だが、推されているのは明らかに自身の方だ。
「ロシェ。私はかつての戦いで、ついに勝利することが叶わなかった。そしていつかこの日が来た時に、必ず勝利するとあの方に誓ってこの場所で眠りについたのだ。」
「あの方?それは古の機械のことか?」
ロシェが聞くと機械女は薄ら笑みを浮かべながら言った。
「今のおまえには関係のないこと。あれから約七百年が経って、私は再び戦えることを嬉しく思っているんだ。」
「何が言いたい?」
ロシェの問いかけに対して、少しの間があいた。
「弱すぎる。あの時のおまえは正直どうしようもないくらいに強かった。でも記憶がないだけでこれほどまでに弱いとは拍子抜けだ。」
機械女の剣技はますます速度を増していき、完全に攻防は逆転していた。
「ロシェ=カエルム。おまえは使命を果たすことなく、ここで死ぬことになる。もちろんそこで倒れている巫女も同様だ。」
機械女の二本の剣が、徐々にロシェの体を刻んでいく。間一髪で急所だけは守ってはいるが、吹き出す血の量が戦いの熾烈さを物語っている。ロシェはたまらず天井に向かって飛び上がった。そして血を流しながら、右手を空へと掲げる。
「荒ぶる神の雷よ。地上の悪へと降り注ぎたまえ。雷雲。」
雷雲がロシェの周りを取り囲み、機械女に向かって、無数の雷が降り注ぐ。
「空を飛べるのはおまえだけではない。古の機械も浮遊力を有していることを忘れたのか?と言っても記憶がないのだから仕方がないか。」
機械女は飛び上がり、襲いくる雷を避けながらロシェへと剣を突き立てた。
「おまえでは勝てないのがよくわかっただろう?」
余裕の表情で機械女は容赦なく、ロシェの体を貫こうとした。客観的に見て状況は最悪だ。雷よりも速く動ける上に、ロシェの独壇場である上空域にまで侵入できるのだから。しかしロシェの表情からは、そうは思っていないように感じられる。まだ戦えるという意思が伝わってくる。
「暴風。」
機械女の剣があと数センチのところまで来た時に、ロシェは小さな声でそう言った。その名の通り暴風が機械女に向かって吹いた。その風圧は凄まじく、機械女を地面へと叩きつける。記憶はなくとも潜在している戦闘技術が窮地を救ったと言えるだろう。しかも女が叩きつけられた地面には、さっき降り注いだ雷が集合しており高圧電流の床となっていた。機械女の体は衝突と同時にショートして大爆発を引き起こした。それを見たロシェはゆっくりと地面へと足をつける。血の流れる量から傷の深さは想像がつく。まさに紙一重と言ったところだろう。カタリナのことも気になるが、まずは【はじまりの花】を回収することにする。機械女の口ぶりから察すれば、この花に記憶に関する何かがあると考えられる。
とにかく一刻も早く花を回収して、カタリナを医者に見せなければならない。ロシェは勝利の余韻に浸ることなく、祭壇へと歩いていく。しかし次の瞬間に、絶望は襲ってきた。ロシェの目の前に機械女は立っていた。
「ロシェ=カエルム。おまえは昔から雷が好きだったな。」
機械女はさっきまでと変わらない口調でそう言った。左足が外れかけているが、それ以外に目立った外傷はない。
「あれだけの電圧だ。無事なはずがない。」
ロシェは驚きのあまり心の声を漏らしてしまった。
「おまえは記憶をなくして退化した。私は過去の敗戦から学び備えた。だから何度も言っているのだ。おまえでは私に勝てないと。」
ロシェは機械女の体を見て理解した。
「まさか。絶縁素材か。」
「その通り。私は雷に負けた。だからそれに備えたってわけだ。」
機械女はかつての戦いの経験から、自身に改良を加えて、体を絶縁素材の金属に作り替えていた。ロシェは膝から崩れ落ちた。
「それにしても大した破壊力だった。」
機械女はそう言いながら外れかけていた左足を瞬時に修復した。そして崩れ落ちたロシェに向かってその左足で蹴りを入れた。力なく吹き飛ばされ、壁に激突する。機械女はゆっくりとロシェの方へ歩いていた。その手には二本の剣が携えられている。今度こそ本当に命を奪うつもりだろう。ロシェは心が折れていた。それにもう立ち上がるだけの血が体内に残っていない。
「長き因縁もこれで終わりだ。」
機械女はロシェの心臓へ剣を向けた。その時だった。
「フレア。炎剣の舞。」
気を失っていたカタリナが炎の剣を握りしめて、機械女の胸に突き立てた。
「ようやく目覚めたか。見ての通り、こいつは終わりだ。」
「ロシェ。諦めてはいけない。まだやれることがあるはずよ。」
カタリナの問いかけにロシェは答えることができなかった。体内の血が流れ過ぎてしまったのだろう。
「巫女よ。もう無駄だ。こいつもおまえもここで死ぬ運命なのだ。」
機械女の言葉がカタリナの脳内に響き渡る。ロシェはすでに瀕死の状態だ。それに自分もダメージはかなり残っている。でもやらなくてはならない。カタリナは決意を固めた。
「運命は炎が導いてくれるわ。」
「そのセリフ。かつての巫女も同じことを言っていた。」
「そう。」
「なぜ私がおまえを先に殺さなかったか分かるか?」
「そんなこと。知るわけない。」
カタリナがそう答えると、機械女の表情に憎しみのようなものが垣間見えた。
「あの時。【炎の巫女】さえいなければ、私は空の民を滅ぼせたのだ。」
過去に因縁があるのだろう。詳しくは分からないが、それは読み取れる。そしてカタリナを後に残したのは、その積年の恨みを存分に晴らすためなのだと思われる。しかしそんなことはカタリナには関係のないことだ。
「過去のことは知らないわ。それより大切なのは今よ。私はあなたを越えるわ。」
「それもそうだ。」
機械女はそう答えると二本の剣をカタリナに向けて構えた。
「ロシェ。もうちょっとだけ待っててね。」
カタリナは小さく呟いた。強い信念は心を奮い立たせる。根底にあるのは、二人で生きてここを出ること。その強い意志がフレアリングをさらに熱くさせる。
「過去に囚われた哀れな機械。あなたを葬りさってみせる。」
過去に何があったのかなどカタリナには興味がない話だ。そんなことよりも大切なのは目の前の強敵を打ち倒すことのみ。それだけに集中力を注ぎ込んでいる。
「現代の【炎の巫女】よ。この古代兵器カルトゥナが相手になる。」
初めて機械女の名を聞いた。古代兵器カルトゥナ。それは今までに出会った何よりも強く高い壁だ。あれほど強力な術を操るロシェですら今は壁際で血を流しながら倒れている。カタリナの中に恐怖心がないわけではない。逃げ出せるのなら逃げ出したい気持ちもあるのが事実だ。それでも一歩進む勇気を持たなければ、国を変えることなどできるはずもない。強くなるために越えなければならないのなら越えるしかないと。カタリナの目は前を見据えた。フレアリングに祈りを込める。
「爆炎の銃口。」
フレアリングから放たれた炎はカタリナの周りに幾つもの銃を形成した。そして炎の銃弾はカルトゥナに放たれる。一度で約十発ほどの炎弾が飛ぶのだが、カルトゥナの体に傷をつけることができない。避けることもせず悠然とした態度で体で受け止めていく。おそらくは、効かないことを見せつけているのだろう。
「その程度の火では、私に傷をつけることも叶わない。」
カルトゥナは二本の剣を、カタリナにの方へと向けた。
「かつての【炎の巫女】は、全てを燃やす力を有していた。」
そのセリフにカタリナは思考を巡らせた。ずっと疑問に感じていたことがある。スカーデッド王国が作り出した人型機械は、太陽光を動力としているとロシェが言っていた。ならば今目の前にいる古代兵器は、いったい何をどう力にしているのだろか。なんらかの方法で電力を蓄えているとしたら、この暗闇の地下空間でいつまでもエネルギーが持つはずはない。長期戦になれば勝てるかもしれない。そう考えていた。しかしそう簡単に時間を稼げるほど、甘い相手ではないことは重々に理解している。
「フレア。炎剣の舞。鳳凰。」
カタリナは炎の剣を握りしめて、カルトゥナへ斬りかかる。その残像を炎を纏った巨鳥が追撃する。カルトゥナはそれを二本の剣で受け流していく。あまりにも軽々しく。
「弱いのだよ。」
カルトゥナの左足から繰り出された強烈な蹴りがカタリナを壁へと叩きつけた。
「うぅ。」
カタリナの苦しみの残響が辺りを響き渡る。こちらの速さを、遥かに上回る圧倒的な速度に加えて、先頭頭脳が高すぎる。
「脆弱すぎる。」
カルトゥナの言葉が、倒れているカタリナの耳を反芻する。そんなことは言われなくてもわかっていた。でもカタリナの心は折れてはいない。ゆっくりと立ち上がってカルトゥナを睨みつける。
「ちょっと黙っててくれるかしら。もうちょっとで掴めそうなの。」
カタリナはそう言うと、心の中で仮説を組み立てていく。
(最初の銃のとき、一箇所だけは確実にガードしていた部分があった。もしもそこが動力の要だとすればそこを叩けば勝てる。でもそのためにはあの素早い動きと、二本の剣を封じる必要がある。それにそんな大事な部分が、簡単に壊せるような作りだとも思わないほうがいい。とにかく今やるべきことは動きを止めること。)
「よし。やろう。」
カタリナは炎の剣を握りしめながら、そう言った。
「表情が少し変わったな。少しは期待させてもらうとしよう。」
カルトゥナは後方に火を噴き出して、その反動を利用し、カタリナの横を一瞬で通り過ぎた。一瞬の出来事だった。カタリナは脇腹から血を噴き出して、地面に膝をついた。
「ほう。寸前のところで最小限になるように避けたか。大したものじゃないか。」
カルトゥナは余裕の表情でそう言った。そう。カタリナは突撃してくるカルトゥナの剣を寸前で体一つ分避けていたのだ。
「なんとか対応できる。」
カタリナは再び立ち上がり炎の剣を構えた。
「これならどうだ。」
カルトゥナは飛び上がり、再び火力を使ってロケットのように突撃をした。
(避けるのは不可能。ならば受け止めるしかない。あれを使う。)
「フレアリング。燃えさかる炎の騎士を。召喚術。噴炎の舞。」
カタリナの舞に反応するように、フレアリングから放たれた炎は、燃えさかる騎士を形成した。そしてその騎士は、カルトゥナの二本の剣を受け止める。しかし、やはりカルトゥナが一枚上手だった。カルトゥナは体を反転しながら右足でカタリナを吹き飛ばす。再び壁へと叩きつけられた。なんとかすぐに立ち上がりはしたが、左腕が折れてしまったようで使い物にならない。
「もう十分だろう。やはり今の巫女は弱いのだよ。」
「そうね。正直もう痛いし、やめたいわ。でもねようやく分かってきたのよ。あなたの倒し方が。」
カタリナはそう言うと、フレアリングに祈りを込めた。
「何をしても無駄だ。」
「やってみないとわからないし、やるしかない。フレア。大炎の呪縛。」
炎は縄状に展開されカルトゥナを包み込む。
「大炎の鳥籠。」
縄状の炎がそれぞれに炎を噴き出して、大きな鳥籠のようにカルトゥナを閉じ込めた。
「この程度で私を止められると?」
「思ってないわ。フレア。炎剣の弓型。」
無数の炎の剣がカタリナの周りをアーチ状に取り囲んだ。
「体の隅々まで焼き斬ってあげる。」
カタリナはそう言うと、その無数の炎の剣を鳥籠の中のカルトゥナにむけて解き放った。
「おまえの火力では私に傷をつけられないと言っただろう?」
カルトゥナは悠然とそれを体で受けてもていく。ただ一箇所だけは確実に守っている場所があったことをカタリナは見逃さなかった。
「そうね。でも勝つための算段は整った。」
「気でも触れたのか。」
カルトゥナはそう言いながら、両手で強引に鳥籠をこじ開けた。
「あとは私次第よ。」
「そろそろ死ぬといい。」
カルトゥナは瞬く間に、カタリナの前方へと進み、二本の剣で斬りかかった。
「フレア。鎧の舞。」
カタリナの体を炎の鎧が包み込む。カルトゥナの剣は、その鎧に弾かれた。
「ほう。ならばこれならどうだ。」
カルトゥナは二本の剣を投げ捨て、強烈な右拳を鎧にぶつける。相当な衝撃がカタリナを襲ったが、なんとか踏ん張る。
「ならばもう一発。」
今度は左拳を鎧にぶつける。カタリナは口が血を吐き出した。
「これで終わりだ。」
もう一発の右拳には踏ん張り切ることができず、後方に吹き飛ばされた。鎧は消え去り、生身の肉体が地面へと倒れ込む。
「やっぱり強いわね。」
カタリナはついにその言葉を口に出した。カタリナのポリシーなのだろうか。戦いにおいて、この言葉だけは意識して声に出さないようにしていたのだが、砕かれた左腕と切り裂かれた脇腹がその言葉を出させたのだろう。
「最初から実力差ははっきりとしていた。」
「えぇ。そうね。覚悟を決めないと。」
「そうだ。死ぬ覚悟を決めろ。」
「死ぬ覚悟?違うわ。あなたを葬るための最大の技を使う覚悟よ。」
カタリナはフレアリングに祈りを込めた。そして小さな声で呟いた。
「ロシェ。もう少しだけ待ってて。」
「何をしても私には効かない事が、まだわからないのか。哀れな巫女だ。」
カルトゥナはさっき投げ捨てた剣を拾い上げようとした。その瞬間をカタリナは狙った。
「炎弓の舞。奥義。完全溶解。」
瞬時に放たれた矢は、数秒の時間もかからずカルトゥナの体に直撃する。そう、さっきまでカルトゥナが剣でガードし続けてきたその一点だけを狙い澄まして。今までと違うのは、カルトゥナが剣を持っていなかったことと、この奥義は、対象物がなんであろうと、その一点だけは確実に溶かしてしまうということ。
「まさか。ハルメテアリシン鉱石を狙い撃っただと。気づいていたのか?」
カルトゥナは驚いた表情でそう聞いた。
「そんな鉱石は知らないわ。でも私の攻撃に対して、そこだけは大事そうに守っていたから。もしかしたらと思っただけよ。」
「この鉱石がなければ我々古代兵器は数分と持たない。」
「そう。それなら私の勝ちね。」
「そうはいかない。この数分でせめておまえの命だけは貰うとしよう。」
カルトゥナは剣を拾いあげて、勢いよくカタリナに向かっていった。
「相手するしかないわね。」
カタリナは炎の剣を握り、向かってくるカルトゥナへと立ち向かった。やはりカルトゥナの方が何枚も上手であり、カタリナは防戦一方となる。しかし時間が経つにつれてカルトゥナの動きは鈍くなっていった。
「終炎の舞。」
カタリナが後方に回転しながら舞い踊ると、鈍くなったカルトゥナの体を爆発が襲った。カルトゥナは地面に膝をついて言った。
「現代の【炎の巫女】よ。どんな時でも冷静な判断ができるのはおまえの強みだ。私はおまえと戦えたことを光栄に思う。あの方に殺される日まで精々生きながらえてみせろ。」
「ありがとう。私もあなたと戦えて感謝してる。また一つ強くなれたと思うから。」
それに対するカルトゥナの答えはなかった。時間切れだろう。カタリナはゆっくりとフレアリングに祈りを込める。
「地中深くへと連れて行ってあげて。」
カルトゥナの体を炎の玉が包み込む。そしてそれは地面へと向かっていき、遥か地中の溶岩域に連れて行った。不思議なことに炎が通った後に、穴は自然と塞がれていき、何もなかったかのような静けさが辺りを包み込む。
「さようなら。」
カタリナはそう呟いて、ロシェのもとへ向かった。
「ロシェ。」
カタリナがそう呼びかけると、ロシェはゆっくりと目を開いた。
「全てをカタリナに背負わせてしまった。ごめん。」
「そんなことはいい。それより早くここを出よう。」
「【はじまりの花】。」
ロシェがそう言うと、カタリナは思い出したように祭壇を見た。戦いに夢中になっていたせいか、忘れてしまっていた。
「あれをどうすればいいのかしら。」
「僕はここに入った時から、ずっと気づいていた事があるんだ。あの花は、僕の記憶の種じゃない。」
「どういうこと?」
カタリナが不思議そうに聞くと、ロシェは痛みに顔を歪めながら答えた。
「カタリナは、あの化け物をどうやって倒した?」
「それは。」
カタリナは少し考えた。
「フレアリングは私の意志にリンクしているの。だから窮地の私の潜在意識が勝つための策を見つけて、リングがそれに答えてくれたんだと思う。」
ロシェは傷だらけのカタリナの体を見て、激戦の具合を改めて感じた。
「その時、花に変化はなかったか?」
「そこまでは見ていないわ。戦うことに必死だったから。」
「僕の直感が正しければ、ここにある【はじまりの花】は【炎の巫女】にまつわる何かなんだと思う。」
「私はどうすればいいの?」
ロシェは少し考えてから答えた。
「前に話したこと覚えている?昔の言い伝えでの【炎の巫女】のこと。」
「たしか、炎を操り敵を葬り、水を操り人を癒す。だったかしら?」
「そうだ。とりあえずあの花にフレアリングをかざしてみよう。」
ロシェの言葉にカタリナは頷いた。そして【はじまりの花】の元へ向かい、フレアリングをかざした。すると花は、眩い光を輝かせる。
「これは。」
カタリナは目の前の光景に驚いていた。次第に光は弱まっていき、完全に消えた時には、花も姿を消していた。
「え?どういうこと?」
カタリナはそう言いながら、ロシェの方を見る。
「左手を見てごらん。」
ロシェにそう言われて、カタリナは折れた腕の痛みを堪えながら、左手を見た。するとそこには青いリングがはめられていた。
「まさか。これが。」
カタリナは再びロシェの方へ顔を向ける。ロシェは小さく頷きながら答えた。
「それがかつて【炎の巫女】が操ったとされるもう一つのリングなんだ。」
「これが癒しのリングなのね。」
「あの古代兵器は、カタリナにそのリングを渡したくなかったから、ここにいたのだと思う。」
「このリングがあれば人を癒せるって話だものね。敵からしたら厄介だと思うわ。」
カタリナはそう言いながら、癒しのリングに祈りを込めてみた。すると青いリングから二つの水玉が放たれて、ロシェとカタリナの体に浸透していく。同時にカルトゥナにつけられた傷は跡形もなく消え去り、無傷の状態に戻っていた。
「すごい。」
カタリナはそれ以上言葉が出なかった。折れたはずの左腕も自由に動かせる。本当に癒しのリングだ。
「フレアリングの同じで、持ち主の精神力に比例して効力が上がるんだと思う。初めてでこれだけの治癒力を発揮するんだから、カタリナは本当にすごいよ。」
ロシェがそう言うと、カタリナは少し照れ臭そうにした。
「水のリングだから。アクアリングね。」
カタリナがそう言うと、ロシェは深く頷きながら言った。
「とてもいいと思う。」
「でもここにロシェの記憶はなかったね。」
カタリナの言葉にロシェは少し俯いた。
「うん。そうだね。」
力のない言葉だった。今回の戦いでロシェは記憶の大切さを痛感させられた。今の自分では何もできないことを理解した。だからこそ早く記憶を取り戻したいと思っているに違いない。
「他に心当たりはある?」
カタリナがそう聞くと、ロシェは少し考えてから答えた。
「闘技場の地下神殿。それだけしか分からない。」
「となると行き先はグレリレンズ闘技場ね。王国の裏の顔。死者街と言われているわ。」
カタリナはそう言うと歩き出した。ロシェの記憶を頼りにするしか方法はないので、今深く聞く必要は何もない。
「古代兵器の話から察すると、その地下神殿にも敵がいると考えた方がいい。」
ロシェはそう言いながらカタリナの後を追っている。
「そうね。その前にどこで少し休まない?」
カタリナはそう言った。焦りの見えるロシェを不安に思ってのことだろう。そんな優しさはロシェにも伝わっている。
「そうだな。どこか街へ向かおう。」
短期間でいろんなことが目まぐるしく起こりすぎた。アクアリングの力で体の傷は癒せても、心の疲労ばかりは休息を取る他に癒す術はない。
「とりあえず。グレートニールに向かいましょう。」
カタリナは笑顔でそう言った。
「どんな街なんだ?」
「賑やからな街よ。美味しいものもいっぱいあるし。この国で一番華やかな場所かも。」
カタリナが嬉しそうに話しているので、ロシェも少し気が晴れたようだ。
「それは楽しみだ。」
「甘いものが食べたいわね。ロシェも甘いものは好き?」
「好きだよ。」
「良かった。それならきっと気にいると思う。」
そんなカタリナを見てロシェは嬉しく思ったことだろう。壮絶な戦いを終えた二人の後ろ姿とは思えないほど、足取りは軽く楽しげな雰囲気が漂っていた。
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