第3話 大空を駆ける人

 「大空を駆ける人。」

 

 依然として震災の影響は色濃く、国の中枢からは何の指示もでない。国民たちは疲弊しきり、不満を抱く者も多い。一部では王が何かの目的で人為的にこの大震災を引き起こしたのではないかという説も飛び出してきており、不信感は募る一方だった。突拍子もない説に思えるが、この国においては不可能な話ではない。年中太陽を有して、時に人為的に雨を降らせる人工気候装置なるものを作り上げたくらいなのだから、大地を操る何らかの機械を完成させていてもおかしくはない。とまあそんな仮説を頭に描いていても実際のところは調べようもなく、国民たちはただ心の中でのみ自分の思いをぶちまけていた。実際に声に出してしまえば殺されてしまうかもしれない。そんな恐怖感がこの国を支配していた。カタリナからすれば、黙って順応していくだけの者も等しく罪だと思っている。それは悪い国の典型だ。築く者がいて、従う者がいる。だから不恰好なままに歯車は回ってしまうのだと思う。

 スタレスを始末したカタリナは、アクアストール内北部地方へと一度退避していた。もともとここは人が多い住宅街だったが、跡形もなく消え去っていた。瓦礫の上を歩くたびに心の中に聞こえてくるのは、失われた多くの命の魂の叫び。カタリナがここへ来た理由は身を隠すためである。下っ端とはいえ、特殊警察の一人を葬ったのだから、すぐに国の中枢は動き出すだろう。まとめて相手をしても勝ち目がないことは理解できる。フレアリングはあくまでも一対一を有利進めるための武器であり、複数人を相手に戦えるのかは解らない。それにここなら、ヘカーソンの屋敷が残っているかもしれない。あの地下室は相当頑丈な作りだったから、身を隠すには丁度いいと考えていた。しかしカタリナの想像よりも早く、国の中枢は動いていたようで、追っ手はすでに背後にまで来ていた。

「待て。」

 その声でカタリナは、振り向かずともそれが機械であることを認識した。強いて言うなら人間独特の抑揚がないと言ったところだろうか。普通の人間には見分けるのは難しいだろうが、カタリナにはすぐにわかる。

「私に何か用?」

「少し話を聞かせろ。」

「何の話?」

 カタリナは静かな口調で答えながら、声の主の方へ振り返った。改めてこの国の技術の精巧さに感服する。見た目には全く人と遜色はない。それもそうだろう。人を材料にしているのだから。かつてへカーソンの家の地下室でその工程を目にしている。

「どこへ行くつもりだ?」

「どこって。とりあえずここに来たかっただけよ。」

 カタリナは警戒している。機械の全身を捉えて、気付いたのだ。こいつはスタレスとは比べ物にならないほどに強い。同じ人型機械でもスタレスのように明らかに右腕だけを機械化していれば、対応策は練りやすい。しかしこの機械の場合、外見はただの人間だ。全身を機械で構成されていると仮定すれば、行動パターンや能力値が未知数である。何処から何が飛び出してくるか解らない以上、全身を警戒しなければならないため、最も厄介なタイプといえるだろう。

「これ以上行っても何もないぞ?」

「そうみたいね。じゃあ帰るわ。」

 カタリナがそう言うと、その機械は薄ら笑みを浮かべた。

「まぁ待て。」

 どうやらカタリナを逃すつもりはないらしい。

「まだ何か?」

「俺が人ではないことに気付いてるいるようだが、おまえはいったい何者だ?」

 カタリナは少し驚いた。この機械は相手の心を読むような特殊能力があるのかもしれない。

「何のこと?」

 カタリナがとぼけるようにそう答える。

「今、嘘をついたな?」

 やはり何らかの方法で心を読んでいる。こうなるとカタリナも覚悟を決めるしかない。判断の難しい敵ではあるが、十年も修練に注ぎ込んだ自負がある。それにここで死ぬわけにも行かない。

「質問を変えよう。スタレスという男を知っているか?」

「知らないわ。」

 もちろん嘘だと気づかれることは分かった上でそう答えた。

「また嘘をついたな?」

「嘘じゃない。弱すぎて覚えてないだけのことよ。きっと今頃地獄の業火に身を焦がしてると思う。」

「やはりおまえが殺したのか。」

 機械は何やら嬉しそうだった。

「何が楽しいの?」

「楽しい?そうだな。楽しいのかもしれないな。スタレスを弱いと言うおまえがどれほどのものなのか。確かめたくて仕方がない。」

「どうせ私を殺すつもりなんでしょ?」

「そうだ。死刑は免れない。でもただでは殺さない。本当の機械の恐怖をじっくり味わって死ぬといい。」

「あのスタレスとかいう男みたいに、拍子抜けさせないでよね。」

「俺をあんな半端な機械と同じだと思わない方がいい。すぐに後悔することになるぞ。」

 そんな事は言われなくてもカタリナには理解できている。攻撃のパターンが読めない以上、カタリナは全てに対応する必要がある。そっとフレアリングに祈りを込めた。

「出力二倍。強度八十パーセント。」

 機械はそう言うと、クラウチングスタートで突っ込んできた。そのスピードはカタリナの想像よりも速く、すぐ眼前へと現れる。

「業炎の滝。」

 カタリナがそう呟くと、機械の真上から炎が滝のように流れてきた。しかし機械は圧倒的な反応速度でそれを後方に回避する。もっともカタリナもこれで終わるとは思っていない。あくまでも自分と機械との間に壁を作りたかっただけだ。

「出力三倍。強度九十パーセント。」

 機械は炎の壁に近づいて、右拳を振りかざした。その凄まじい風圧は壁に大きな穴を開けた。

「フレア。炎剣の舞。」

 カタリナは炎の剣を手に取って、相手の出方を伺う。機械が選んだのは真っ向勝負だった。凄まじいスピードで飛び込んで、カタリナに拳を振るう。カタリナは炎の剣を振り機械の左足を斬りながら、その拳を感覚で避けたのだが、強度九十パーセントから放たれた拳の風圧は、炎の壁に穴を開けるほどである。カタリナの体は後方へ大きく跳ね飛ばされ、瓦礫の山へ体を打ちつけた。機械は寸前で切り落とされた左足を拾い上げた。断面が熱で変形している。

「修復モード。」

 機械がそう言うと、切断面が徐々に元の状態へと戻っていき、それを接合させた。つまり機械の方は無傷である。そして瓦礫に打ち付けられたカタリナは体の痛みに耐えながら何とか立ち上がった。

「馬鹿力ね。」

「おまえはなかなかに速いな。あれを避けたのはおまえが初めてだ。それにその妙な武器。スタレスが負けたのも頷ける。ますます興味が湧いてきた。」

「お世辞はいい。続きをしましょう。」

「そうだな。」

 機械はそう答えると、その距離を保ったまま右の手のひらをカタリナに向ける。どうやら近接格闘だけではないようだ。

「シングルレーザー。」

 機械の手から一本の光線がカタリナ放たれた。カタリナはそれを右に跳ねながら避ける。後ろを見てみると、光線が当たった部分の瓦礫が溶けていた。

「ダブルレーザー。」

 今度は両手のひらを、カタリナに向けた。そして勢いよく解き放つ。当たればひとたまりもないそれを、カタリナは辛うじて避けた。

「ここからが本番だ。ダブルレーザー追従モード。」

 二本の光線が再びカタリナ目掛けて飛んでくる。カタリナはそれを避けるが、後方で光線は百八十度反転してカタリナを追従する。それを何度も繰り返す。

「そして追撃だ。」

 機械が、今度は空に向かって両手のひらを掲げた。

「鉛雨。」

 放たれたのは無数の鉛玉だった。それが光線を避け続けるカタリナの上空へ降ってくる。カタリナはフレアリングに祈りを込めた。

「炎天の龍。」

 炎の龍に乗って、鉛玉を溶かしつつ、光線を避ける。そして炎の剣を手に持って、機械に向かって突っ込んだ。

「今度は私の番よ。」

 カタリナは機械の胸に炎の剣を突き刺そうとした。しかし機械の右拳が先にカタリナの身体にクリーンヒットしてしまう。カタリナは気付けば遥か後方の瓦礫の上に倒れていた。速さ、破壊力、戦闘経験。どれをとってもカタリナより機械が上なのは明白だった。

「うぅ。骨までいっちゃったかな。」

 カタリナはそう言いながら起きあがろうとするが、立つことができない。機械はその姿を見て笑っていた。光線を消したということは、まだ殺すつもりはないということだろう。

「かなり不味いわね。」

 カタリナの頭の中に現状を打破する算段はなかった。

「こんなものか。まったくスタレスは情けないなぁ。この程度の小娘に消されるとは。」

 機械は距離を保ったままそう言った。カタリナからすればこの距離が最も分が悪い。近づいてくれれば奥の手もあるのだが、この機械は想像以上に戦闘知能指数が高いのだろう。迂闊に近づいたりはしてくれないようだ。

「このままだと一方的に殺される。それなら一か八か。一気に距離を詰めて速度勝負に出るしかないわね。」

 カタリナは折れた骨を庇いながら懸命に立ち上がった。ダメージは相当深刻なようで、足元がふらつく。滴った血が視界を悪くする。そんな状態のままフレアリングを掲げようとした時、一人の青年が機械とカタリナの間に割って入ってきた。

「もうやめるんだ。これ以上やれば死んでしまう。」

 その青年は、無情の機械に対してはっきりと言い放った。

「なんだお前は。死んでしまう?笑わせる。俺は処刑しにきているんだぞ。」

「理由は知らない。でも殺すことはない。」

 青年はカタリナを庇うように両手を大きく広げていた。

「邪魔をするなら、おまえから死ぬことになるが。いいのか?」

「僕は死なない。彼女も死なせない。そのために来たんだ。」

 この青年の凛々しい表情からは、死への恐怖など微塵も感じられない。カタリナはつい先ほどその恐怖を感じてしまっていた。しかし気持ちだけでどうにかなる相手ではないことは身に沁みて理解している。

「私のことはいい。逃げて。」

 カタリナが言えるのはその言葉だけだった。青年はゆっくりとカタリナの方へ目を向けて笑顔を見せながら答えた。

「僕は逃げない。君を守る。」

「だったら。私も戦う。でも。」

 カタリナには疑問があった。この青年はいったいどこから現れたのかということだ。これだけ感覚を研ぎ澄まして戦っていたのだから、何者かの接近に気づかないわけがない。しかしこの青年は、気づけばそこに立っていた。

「あなたどこから来たの?」

 カタリナは疑問をそのままぶつけてみた。すると青年は右手の人差し指をゆっくりと上空へ向けた。

「僕はロシェっていうんだ。空から来た。」

 カタリナにはその言葉の意味がいまいち理解できていなかったのだが、次の動きで全ての合点がいく。

「望み通り、おまえから殺してやろう。」

 機械は両手のひらをロシェに向けた。

「ダブルレーザー。追撃モード。」

 放たれた二本の光線はロシェを襲う。しかしロシェに当たることはなかった。ロシェは、機械も何も使わずに大空へと飛んでいた。右へ左へ自由に飛び回り、光線をよけていく。そう自分自身の意思と能力で空を駆け回っていた。

「空の王。なの。」

 カタリナは驚きのあまり、心の声を漏らしていた。

「君。手伝ってほしいんだ。」

 ロシェは追従してくる光線を余裕の表情で避けながら、カタリナに話しかけた。

「何をすればいいの?」

「ちょっとだけでいい。動きを止めてほしいんだ。さっきの炎でできないか?」

 カタリナは少し考えてから答えた。

「何か策はあるの?」

 ロシェは笑顔でそれに答える。

「永遠に続く電池はないと思うんだ。となるとこの沈まない太陽の光がキーワードかもしれない。そこを断ち切ってみたいんだ。」

「なるほど。わかったわ。足止めしてみるけど、そんなに長くはもたないと思うわよ。」

「大丈夫。少しだけでいいんだ。頼んだ。」

 ロシェはそう言うと、機械の上空を縦横無尽に飛び回っている。機械の視線と意識は完全に空へと向けられていた。それはカタリナにとって最大限のチャンスであり、機械にとっては唯一の隙と言える。

「まずは距離を詰める。静炎の伝歩。」

 カタリナがそう唱えると、静かに火が燃え進むように、静寂のまま機械との距離が縮まった。

「次は捉える。大炎の呪縛。」

 紐状になった炎が機械の体を絡め取った。

「おいおい。こんなもので止められると思っているのか?」

「いいえ。思わないわ。」

「なら小賢しい真似はやめな。先に死ぬことになるぞ?」

 機械の視線と意識は、今度はカタリナに向けられている。それによって光線は消えて、ロシェは上空で何やら集中し始めた。

「いいえ。それもごめんだわ。まだ死にたくないもの。」

「だったら大人しくしていろ。おまえの相手は後で存分にしてやるから。」

 機械はそう言いながら、縄状の炎を力づくで破ろうとする。その圧倒的な力で、炎に亀裂が走っていくのが分かり、カタリナの額に少しだけ汗が流れた。

「フレアリング。もっと強く。大炎の鳥籠。」

 カタリナの声に反応して、機械を縛っていた炎の縄から火の渦が飛び出していき、機械をすっぽりと覆う鳥籠を作り上げた。縄目に並んだ炎は、決して反発せずに衝撃に対して伸縮する。もちろん長い時間は保てないのは重々承知の上だが、わずかな時間の足止めとしては十分な秘策だった。

「一分が限界よ。」

 カタリナは上空のロシェに言った。

「十分だ。ありがとう。」

 ロシェはそう答えると天高く両手を掲げる。徐々にその手を中心に雨雲が渦巻いていくのがわかる。カタリナのフレアリングも大概だが、これもまた凄まじい規模と破壊力を持った術と言えるだろう。カタリナは驚きのあまり声が出なかった。まるで神様でも見ているかのような錯覚に陥っている。

「天空の神よ。災いをもたらす地上の悪に空の裁きを与えたまえ。」

 ロシェは作り上げた雨雲の玉を機械に向かって投げつけた。瞬く間に雨雲は機械を包み込んだ。外からでは分かりにくいが、おそらく中では陽の光が届かない大嵐が襲っているのだろう。カタリナはその人智を超えた能力を目の当たりにして一瞬言葉を失っていた。

「君。今のうちにこの場を離れよう。これで終わるかの確証はないんだ。」

 ロシェのその言葉に、カタリナは頷いた。

 カタリナはロシェを連れてへカーソンの家の地下室へと連れて行った。そこで話を始める。

「詳しく聞きたいことがあるわ。」

「いいけど。僕も聞きたいことがある。」

「じゃあお先にどうぞ。」

 カタリナがそう言うとロシェは質問を投げかけた。

「君はどうしてあんなのに狙われているんだ?」

 カタリナは経緯を一通り説明した。

「なるほど。スタレスという特殊警察を殺して、国の中枢から狙われているわけだ。でもなぜ君は国を敵に回している?」

 カタリナは少し考えた。このロシェという男は、とてつもなく驚異的な能力を持っている。その上で正義感が溢れる男だ。味方としてならこれほど頼もしい存在はいないが、敵としては最も厄介となる障壁だ。カタリナが今から成そうとしていることが、ロシェにとっての悪だと認識されれば全てが終わってしまう可能性があった。だから言葉を出すのに時間がかかった。

「国を変えたいの。機械に汚染されたこの国を。」

 ロシェはその言葉を聞いて、少し表情が和らいだように見えた。

「炎を操る力。あれもその大義のために培ったものなのか?」

「あれはこれよ。」

 カタリナは右手に付いているフレアリングを見せた。

「フレアリング。選ばれし炎の巫女だけが操ることができるものよ。」

「そうなんだ。世の中にはまだ知らないことがたくさんあるもんだな。」

「私からも質問していい?」

「あぁ。いいよ。」

「あなたは空の王の子孫なの?」

 ロシェは困惑した表情を浮かべた。

「空の王?」

「だってあなたは空を飛んだから。それにあの人智を超えた力。普通ではないでしょ。」

「正直に言うと、わからないんだ。と言うより思い出せない。」

 カタリナは少し考えてから言葉を出した。

「つまり記憶がないということ?」

「そうなのかもしれないな。気がついたら瓦礫の上にいて、君たちが戦っているのが見えたんだ。止めに行かなければと思って走ろうとしたら空を飛べた。あの力は咄嗟に動いてみたらできたんだ。信じれないとは思うけど。それが事実だ。」

「あなたが嘘をつくような人ではないのはわかるわ。それにここで嘘を言ったってなんの意味もないしね。もしかしたら私はあなたの正体を知っているかもしれない。大昔の話は何度も聞いたから。空の王と、守り人【炎の巫女】。きっとあなたは空の王の子孫なんだと思う。」

「その話が本当なら君は僕の守り人ということになるのではないか?」

「逆に守られちゃったけどね。」

 カタリナがそう言うと、ロシェは被りを振った。

「僕の記憶はほとんどないのだけれど、たった一つ与えられた使命だけは、はっきりと覚えているんだ。」

「使命?」

「そう。古の時代から存在する古代兵器。古の機械。それを葬ること。」

「それがこの国にいるの?」

「おそらくはアクアストールにいる。あそこの地下空間に眠っている可能性が高いと僕は思うんだ。」

「その仮説が正しいとすると、私たちは二人ともアクアストールへ戻らなければならないみたいね。」

「まだダメだ。僕も君も。僕には記憶がない。今の状態だと限られた能力しか使えないんだ。君はまだ強くなれる伸び代を残している。」

「じゃあまず何をすればいいの?」

 カタリナが聞くと、ロシェは少し考えてから答えた。

「まずは僕の記憶を探したい。部分的に残された記憶を辿れば、この国のどこかに種という形で存在していると思う。それに付き合ってもらえないか?」

「曖昧すぎて場所の特定が難しいわね。何か他に風景とか思い出せないの?」

 カタリナにそう言われてロシェは頭の中を捻る。

「小高い丘。地下神殿。それと弾圧された民族の墓場。」

 ロシェの口から出たキーワードでカタリナは選択肢を絞った。

「もしかしたら。ロギレンスの丘のことかもしれないわ。」

「そこに行ってみたい。君も付き合ってくれるか?」

「君じゃなくて、カタリナよ。」

 カタリナが悪戯っぽく言うと、ロシェは慌てた様子で訂正した。

「ごめん。カタリナも付き合ってくれる?」

「もちろん。まずはあなたの記憶を探しましょう。」

「あなたじゃなくて、ロシェだ。」

 今度はロシェが悪戯っぽく返したので、カタリナの表情に笑顔が戻った。

「ロシェの記憶を探しに行きましょう。」

 こうして二人は行動を共にすることになった。記憶をなくした空飛ぶ青年と、機械との力の差を身に染みて感じた炎の巫女。ひとまずは本来の目的地アクアストールから遥か遠くに位置するロギレンスの丘へと向かうこととなった。

 

 ロギレンスの丘。スカーデッド王国の最北端に位置する百パーセント機械だけの都市。その超効率的産業によりこの国の生産力の源となっている。年中を通して落ちることのない生産性は他国からも称賛の声を浴びる国の最重要拠点の一つだ。しかし裏の顔も存在する。かつて少数民族ダヴァオが生活をしていたが、機械都市としての発展のため他国への移動を命じた国と真っ向から対立。その後戦争に発展したが、機械によって抹殺され、別名ダヴァオの墓場とも呼ばれている。それ以来、この地は人の立ち入りを一切認めておらず、近づけば機械により殺されてしまうという噂があり、一部の自殺願望者なんかが、機械に殺されに行くことも多々あるようだ。はたしてそれを自殺と呼べるのかはわからないのだが。

 道中カタリナは、記憶のないロシェにロギレンスの丘について説明していた。だからその実態を目にしたロシェは納得だった。

「なるほど。僕の限られた記憶だと、ここの地下神殿に枯れない花が咲いていたんだ。」

「枯れない花?」

「そう。別名【はじまりの花】。国の象徴だ。そこに記憶の種があると思うんだ。」

 カタリナからすればよく理解できない話だったが、今はロシェの数少ない記憶を辿る他に宛はない。

「分かったわ。行こう。」

 カタリナ自身、ロギレンスの丘に足を踏み入れるのは当然初めてのことである。よって何が待ち受けているのか、警戒を怠らないようにしていた。

「カタリナ。身体は大丈夫か?」

 ロシェは機械と戦った際、骨が折れたカタリナを心配した。

「えぇ。なんとかね。」

「あの人型機械は、量産型だ。各地で大量に生産されている。」

「知っているわ。私もその作り手の家にいた事があるから。」

「それなら分かっていると思うけど、あれに苦戦しているようだと、僕もカタリナも目的には辿り着くことはできないだろう。」

 カタリナはそれを理解はしていた。しかし改めてロシェの口から言われることで言葉は重くのしかかる。強くなって戻ってきたつもりだったのに、手も足も出なかった現状。己の弱さと真摯に向き合わなければならないと胸に誓いロシェの方へ顔を向けた。

「私はもっと強くなるわ。」

 カタリナの決意が滲み出た言葉に、ロシェは優しい笑顔を見せた。

 

 アルテミスの大戦で八十五万人のフェルト軍を、たった四十五機で葬った人型兵器こそ、カタリナを苦しめたあの機械だ。あれはスカーデッド王国が世界に誇る、人でも機械でもない融合体。人の身体の脆い部分を徐々に機械化していき、もともと秀でている部分は強化してそのまま用いる。液化した特殊金属を筋細胞に溶け込ませ硬化すれば完成する。人間を元に作っているから、見た目には人と遜色がない。しかし機械によって強化されたそれは、能力も破壊力も知能も精密性も、全てを兼ね備えた最強の軍事兵器と呼べる。しかし材料として使われる人間の中には、体が拒絶反応を引き起こして暴走を始める場合もあった。そのような場合は体内に仕組まれた鉄をも溶かす溶剤が爆発を起こす仕組みになっており、跡形もなく消滅してしまう。そうやって悪い噂を迅速に消し去り、成功例だけを特筆して栄えきた国がスカーデッド王国なのだ。

 

 ロギレンスの丘へ入ってからというものの、ただ何もない緑地が続いていた。震災の影響なのか、ところどころ地表に亀裂が走っており、生き物の気配は感じられない。噂によるとさらに奥地には工業地帯があるらしいので、そこを目指してみることにする。

 しばらく歩いたところでロシェはカタリナに語りかけた。

「空の王と炎の巫女って言っていたよな?」

「えぇ。私がフレアリングと出会った時に聞いた昔話よ。」

「僕も一つ思い出したことがあるんだ。」

「聞かせて。」

 ロシェは記憶を辿りながら話し始めた。

「古い言い伝えだと思うんだけど。【炎の巫女は炎を操り敵を葬り、水を操り人を癒す】と聞いた事があるんだ。」

「水を操る?」

 カタリナには水を操る力はない。それにグレイル山脈での試練の時も、そのような話は聞いた事がなかった。

「もしかしたらフレアリングには続きがあるのかもしれない。」

「よくわからないけど、それが私の強くなる手段なのかしら。」

「それはわからないけど。これから水の部分を知る必要はあると思う。」

 ロシェにそう言われて、カタリナは少し考えた。ロシェが空の王の子孫だとすれば、かなり信ぴょう性の高い話である。しかしあの試練の時もフレアリングと炎の巫女に関する記述はされていたが、水に関することは何一つ記されていなかった。疑問が心に残りながらも、少しの期待感を胸に抱いた。もっと強くなる方法があるのかもしれないのだと。

「ねぇ。ロシェ。本当は過去から来たんじゃないの?」

 カタリナは不意にそう尋ねてみた。

「過去か。」

 ロシェは少し驚いていたが、カタリナの言葉を飲み込んだ。

「嘘よ。そんなことあるわけないじゃない。でも。そのくらい不思議な存在よ。」

「そうだな。」

 ロシェは笑顔でそう答えた。冗談っぽく言ってはいるが、カタリナはその賢い頭で幾つかの仮説を立てていた。その一つが、未来の世界で復活する古の機械を倒すために、過去から送られてきたという説だ。カタリナは馬鹿馬鹿しいと思いながらも、なきにしもあらずなことだとも考えている。

「もしも本当にロシェが過去から来た人だったとしたら、戦う理由はなくなるわよね。だってあなたが何を成し遂げても讃えてくれる人たちは、未来であるこの世界にはもういないのだから。」

 カタリナなりの優しさなのかもしれない。機械の恐怖を知ったが故に、古の機械なるものがいったいどれほどの脅威なのか計りかねないでいる。それと戦うことが避けられるのであれば、避けた方がいいに決まっている。

「そうだね。カタリナの言う通り。仲間や家族はもういないのかもしれない。でも誰かがやらなければいけないことなら僕がやりたいと思っている。それが役目なんだ。」

 ロシェの言葉には意志の強さがあった。カタリナを救ったあの時の声と同じ。

「余計な口を出したわね。忘れて。それよりあそこに見える大きな外壁の向こうが工業地帯だと思うわ。何かあるとすればあそこね。機械しかいない場所だから、十分に警戒しないと。」

 カタリナが指差した壁はかなり背が高く、ずっと先まで続いている。当然壁の向こうの状況など見えるはずもなく、そっから先は出たとこ勝負になるのだろう。

「壁は崩れてないんだな。」

「言われてみればそうね。震災の影響は少なかったのかしら。でもその割にはここに来るまでの緑地は地割れがすごかったけれど。」

「それかよほど強い壁なのかもしれないな。国の最重要拠点の一つなんだろ?だったら頑丈に作られているはずだ。」

「そうね。そうなると中は崩壊している可能性も十分にあるわね。」

「どちらにしても警戒だけはしておこう。」

 二人は壁に向かって歩いた。ロギレンスの丘に入ってからここまで、怖いほどに何も起こらず、静かな時間が過ぎていた。人が入ると殺されるという噂は偽りだったのか、それともすでに都市が崩壊しているのか。その真偽がこの工業地帯の中にあると思われる。二人を待ち受けるのは機械による破壊か、自然による崩壊か。どちらだとしても、忌まわしい過去の呪縛と凍てついた暗闇の現在を破壊するためには乗り越えなければならない壁だと、二人は意志を強く持った。

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