「またね」
それから一週間は、驚くほど早く感じた。
何をしたかと言ったら、ただ空と一緒に家でスプラをしたり、今までと変わらない日常を過ごした。良く言えば平和で、悪く言えば刺激はなかった。
でも、それでよかったと思う。ただ空と居れるだけで俺は良かった。
一つ変わったことは、俺が勉強に使っていたちゃぶ台の上に水槽があることだろう。
水槽では、あの時の金魚が快適そうに泳いでいて、ブクブクと酸素供給機が音と泡を出している。机の横には祖母が買ってきた餌があって、空が遊びに来たときなんか毎回餌やりをしていた。
最終日、ここから離れるとなると、一週間しか飼っていない金魚でも情は感じる。
でも、ガラス越しにまじまじと見ると、すくわれたときよりも太ってる。なんだか笑ってしまった。
廊下に出て、祖母に別れの挨拶をする。
「またね、ばあちゃん」
「来年も来るのかい?」
「うーん、無理かな、受験もあるし」
「そうかい、じゃあまた来るとき連絡してね、渡辺さんも待ってるって言ってたわよ」
「それは…うんまあ、いいや」
「じゃ、空が待ってるらしいし、行ってくるわ」
「ええ、いってらっしゃい」
笑顔で手を振られながら、玄関を出た。
行きよりもパンパンのリュックを背負って、今年はもう見ることはないであろう景色を楽しむ。風が吹いて光が波打つ木々も、ほぼ茶色のガードレールも、近くに見える輪郭がガタガタの山々も、全部今日で見納めだ。
空が駅で見送ってくれるらしいので、そのまま駅へ向かって歩く。歩き続けると、ふと色々な感慨も湧き出てくる。主に空との思い出だ。たしかに、ちょっと口下手のところもあったかもしれないし、たまに子供みたいなとこもあったし、でも、そんなところも含めて好きになったのかもしれない。少なくとも、そんなことがここに来てから心の中でも言えるようになった。
しんみりとした感覚を胸に歩くと、駅のロータリーが見えてきた。
このロータリーにも思うことがある、でも今は人影を探す。もともと人がいないところなのですぐワイシャツが目につく。空だ。集合場所に使っていた駐車場に今日もいる。
「お、来た」
だぼっとしたワイシャツに若干のスカートが見えている、いつもの格好だ。
「どう?最終日の気分は」
「うーん、一ヶ月ちょい生活するとやっぱり帰る実感わかない」
「そうなんだ、てっきり悲しんでると思ったけど」
「悲しんではないかな、ちょっと寂しいけど」
「へー、ちょっとなんだ」
「まあ、あっちはあっちで学校もあるし友達もいるし」
空は小さく笑った。
「うわ、嫌味?」
「ここで嫌味は性格終わってるでしょ」
「たしかに」
また少し笑って、仕切り直した。
「そういえば、朱崎からどうやって帰るの?」
「多分このまま乗って金谷駅で乗り換えて静岡行ってそのまま新幹線かな」
「うわ〜、それなら帰る日同じなら一緒に帰れたのにな」
「空は親と一緒に帰るから無理でしょ」
「もし行くんだったら親に別々に予約してもらえばいいよ」
「というか空の親に俺のことなんて伝えてるの?」
「いや、一応友達って言ってる。そっちのほうがやりやすいし、あと友達ができたって言ったらめちゃくちゃ喜んでたから、多分恋人出来たとか言ったら死ぬんじゃないかな」
真顔で言われるとちょっと面白くて、少し笑った。
「そっか、ならそれでいいや」
「佐藤さんはなんて言ってた?」
「いや、なんか大切にして云々かんぬん言ってたよ」
「タカヒロよりも僕のほうが付き合い長いからね、その分思い入れがあるんだよ」
「うわそれ本人に言われたわ」
ふふっとまた空が小さく笑う。
「やっぱ家族揃って面白いね」
「俺は面白くなくない?」
「いや、ほらラム…」
「わかった、この話やめよ」
トラウマが蘇りかけたのでストップした。
じゃあ、と空が言葉を紡ぐ。
「あと、一回やりたいことがあるんだけど言っていい?」
「全然いいよ」
「ハグしてみたい」
「え」
予想してなかった言葉に若干戸惑って、思わず声が出た。
「ハグって?」
「抱きしめるやつ」
「…マジ?」
「いいじゃん、ここで会うのは最後だし」
ふんわりと空は笑う。
「ほらほら」
そして両手を伸ばして来る。
「うん…じゃあ」
周りに誰もいないことを確認して、そっと空に歩み寄る。
空の細い腕がそっと背中に回ると、世界が一瞬静止したように感じた。空の体温がワイシャツ越しにじんわりと伝わってくる。自分の体温が少しずつ上がっていく。肩に目を閉じたままの空の頬が触れて、ほのかな息遣いも感じた。空の髪からは少し甘い石鹸のような香りがする。
腕がゆっくりと解かれると、肩のすぐ傍、そのままの距離で話し始めた。
「タカヒロに会えてよかった」
小さい声だった。でも声の大きさなんてあんまり関係なかった。
「俺も、空と会えてよかった」
そんなことを言い合って、別れるための一歩を二人とも踏み出す。
「またね」
「うん、じゃあまた」
手をちぎれるかと思うほど手を振りあって、改札を通った。
静岡駅は混雑していた。騒音の中、駅の案内板を見ながら、新幹線乗り場へ歩いていく。
新幹線の時間も怪しい中、急いで座席を適当に決めてホームへ急いだ。
無事に座席に座れて、くもぐって聞こえる車両の音とともに、今までの日々が頭の中に浮かび上がってきて、なんとなく、とても寂しい気分になる。
トンネルの音がまるで囁かれるように感じる。その声はもう聞くことができない現実を突きつけ、さらなる孤独感とその言葉の温かさが逆に胸を締め付けてくる。
スマホの通知が来た。車両の中なので急いでマナーモードにしようとスマホを開くと…
空からだった。
「文化祭っていつ?」
さっきまで儚さが嘘みたいで、最初のラムネのときみたいな、顔面が熱くなるような恥ずかしさが襲ってきた。
ああ、なんだろう。
背もたれに体重をかけながら、安堵した。
また、会えるんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます